陰鬱な子供2
それが十年前の記憶だ。それ以前のことは、酒を飲んだ父親が、母を殴ったので影で刺したら捨てられたことくらいしか覚えていない。両親の顔ももう思い出せない。化け物を見るような表情だけは、脳裏に焼き付いているのだが、顔立ちはそれこそ影絵のように闇に閉ざされている。
そうして両親に森に捨てられ、魔狼に襲われた俺は、未熟な魔法で相討ちになる。致命傷を負って倒れていた俺を助けたのは、“星詠みの魔女”ステラだ。ルビーのような紅い目と背中まで伸びた艶やかな銀髪が特徴的な、10代後半くらいに見える、見た目は美しい少女。
……だが、こいつは俺と魔狼の死闘を見物していたらしい。出待ちどころの話ではない。ポップコーンかじりながら映画を見るような心持ちで、箒に座ってふわふわ浮きながら、好物の林檎をかじりつつ、にやにや眺めていたらしい。性根が腐ってるってレベルじゃないぞ、おい。
まあ一応、致命傷だった傷を治してもらったのは確かだ。だが、首には縫い目のような傷が残り、左目は潰れた。見てくれに気を遣う性格ではないのだが、さすがにあれなので黒いチョーカーと眼帯をつけて隠している。この傷や目も、その場で治そうと思えば簡単に治せたというから、この魔女やはり腐っている。命が助かったのだからいいだろうというが、釈然としない。
今の俺は、13歳の痩せぎすで背は低め、ぼさぼさの腰まで伸びた黒髪、フランケンシュタインみたいなごっつい傷跡をチョーカーで、潰れた左目を眼帯と髪で隠している。黒と深緑を基調としたローブを纏って、陰鬱な雰囲気を出しているので、まあ、ずいぶん魔女らしくなったと言えるのではないだろうか。どうでもいいが。
「俺、じゃないでしょう?」
声とともにマグカップが飛んできて頭に当たる。痛い。頭にぶつかった後、カップは勝手に流しに飛んでいく。ステラは俺、いや、私に魔女らしさ、というものをやたらと強要したがり、拒否すると容赦なく体罰を加えてくるため仕方なく“魔女らしく”している。ステラの魔女としての実力は確かで、普通に心を読んだりするので面従腹背というわけにもいかない。まあ、独り立ちするまでの辛抱と思って耐えている。
「ぼんやりしてないで、早く夕食を作って」
「分かった、師匠」
見習い魔女のシルエッタ。それが私の今の肩書きで、師匠である星詠みの魔女ステラの身の回りの世話も私の仕事だった。奇妙な形のキノコやら不思議な薬草やらカエルやらネズミやら、ずいぶんアレな食材を多用する、というかまともな食材をあんまり使わないが、魔女料理もずいぶん上手になった。最初はゲテモノ食いに拒否反応を示していた私だが、今は普通に食材の確保から調理まで手際よくこなせる。良くも悪くも、この十年でずいぶんと魔女としての生き方に染まったものだ。
てこてこと台所に向かう。いかにも魔女の家らしく、なんだかよくわからない染みや、カビや、キノコがそこら中を埋め尽くしていた上に、ど真ん中を大釜が占めているので恐ろしく使いにくい台所だ。一応、食材は氷の魔法で冷やされた貯蔵庫に閉まってあるし、食器や調理器具は綺麗にしてあるし、最低限の衛生は保たれているはずだが、見た目的に、こんなところで作った料理を食べていたら、いつ死んでもおかしくないような気がする。もう慣れたけど。
照明の、燃え尽きない魔法の蝋燭に照らされて、ゆらゆら揺れる足元の影が、ぐにゃりと形を変えながら伸びる。三つの人型を作った影はそのまま立ち上がると、すぐにそれぞれの作業を開始した。「影絵の侍女」。私の影絵の魔法で作る人形の一つだ。ロングスカートにフリル付きのエプロン、頭には真っ黒だけどホワイトプリム。誰がどう見ても由緒正しいメイドさんだ。……真っ黒でペラペラだけど。
昔は一人作るにも苦戦していたし、作ったら作ったでまともに動かすこともできなかったが、今では三十体ぐらい作って操ることもできる。まあ、魔女なら誰でも使える火種の魔法なんかの共通魔法と違って、それぞれの魔女固有の魔法は習熟が早いものらしいけど。
狭い台所の中でもペラペラのメイドさんは引っかかることなく自由に動ける。手早く包丁やなべを準備し、食材を取りに行かせ、火をつけて湯を沸かす。大釜で料理するわけにもいかないので、その陰に隠れた普通サイズの竈を使う。初めは火加減の調整に苦労したものだが、共通魔法で、竈の火を操る強火の魔法や弱火の魔法を覚えてからはずいぶん楽になった。
共通魔法には所帯じみた魔法がやたらと多い、というかそれが大半な辺り、魔女も魔女で苦労してるんだなあというのが偲ばれる。普通の人間はエセ中世ヨーロッパ風ファンタジー世界に暮らしてるわけで、家電とか一切ないからそれなりに大変なのだろうが、代わりに隣近所で助け合い、みたいな古き良き感じの人間関係が維持されているのだ。翻って魔女は、人気のない森の奥や山奥、人里に近くてもせいぜい村はずれとか、セルフ村八状態であるから、こうした生活を便利にする魔法は切実に必要とされたのだろう。
十数種類の香草を刻み、丸々太ったネズミをさばき、メイドさんに水を汲ませた鍋に入れ、コトコト煮込む。隠し味に眠り蝦蟇の油を少々。身長が足りなくて、木製の踏み台の上に登らないといけないのだが、包丁を持って立っているだけでいいのはとても便利だ。包丁を振るう以外のことは全部メイドさんがやってくれる。……自分で動かしてるけど。というか、全部メイドさんに任せてその辺に座ってるだけでもいいのだが、魔女稼業には本体の手先の器用さを求められることも多いため、何もかもを魔法任せにするというのは推奨されないのだ。だから黙々と腕を動かしている。
黒い影がペラペラと踊る中、ツバ広の大きな黒いとんがり帽子を被った少女が、無表情にネズミ肉に包丁を振る姿というのは、はたから見たら中々ファンタジー、いや、ホラーか。長く伸びたこのワカメみたいな髪はいっそ切ってしまいたいのだが、師匠が許さないので帽子を三角巾代わりにしている。元の世界に帰りたいという思いはある。魔法が使えるといっても何から何まで不便だし、娯楽といえば本か、師匠とやる絶対に勝てないカードゲームやボードゲームだけ。妙な食材になれはしたが、焼肉とか、米とかを無性に食べたくなる時がある。
まあ、転移ではなく転生で、数百年単位でやたらと長生きしているらしい師匠ですら、世界を渡る方法など知らないというのだから、どうしようもないのだろう。かなりの速さで飛んできた銀製のフォークをしゃがんで回避する。さすがにこれは当たるわけにはいかない。壁に刺さる前に、メイドさんにキャッチさせ、というか黒い手のひらにざっくり刺さったそれを流しに置く。はいはい、師匠は17歳17歳。見た目的には確かにそのくらいだから、あえて藪をつつこうとは思わない。さっきのは油断だ。
しばらく無心で影と手を動かして、夕食の調理を終わらせる。夜泣きネズミと青縞キノコのスープだ。普通の人間が飲むと干からびるまで涙が止まらなくなるが、魔女はマナを帯びた食材に耐性があるので平気だ。この辺も魔女が疎まれる原因な気がする。
リビングの大きな樫の机に料理を置く。師匠は分厚い本を読みながら待っていたらしい。魔導書かと思いきや恋愛小説だったり、料理のレシピ本かと思ったら普通に魔導書だったりするのでこの世界の本はなかなか侮れない。今読んでいるのは推理小説のようだ。師匠は私に気付くと本に栞を挿んで脇にのける。影の侍女に食卓を整えさせ、自分も椅子に座る。
「うん、いい匂い。ずいぶん料理上手になったよね、シィは」
「ん」
まぁバシバシ殴られながら練習したのだから、そりゃあ多少は上手くもなる。かちゃりかちゃりと食器が鳴るかすかな音以外は、静かな食卓だ。私はのどが引きつる感覚が嫌で、あまり喋らないようにしているし、師匠もそれを認めている。というか喋らせたければ、初めから喉を治せばよかったんだし。私の扱いは、そこそこ大事にされてはいるが、遊びがいのある玩具の域を出るものではないだろう。
「魔女は意地悪をするものだからね」
「知ってる」
また心を読まれた。心底嫌だったがこれも慣れた。心を読まれないようにする魔法も覚えたが、結局師匠の心を読む術の方が上手だから意味がない。料理に集中することにする。今日のスープは上出来だ。肉の茹で加減がいい具合。昔はゲテモノ食いが嫌で摂食障害気味だったからこんなに体が小さいんだろうか。もっと早くに開き直っておけばもう少し成長していたかもしれない。元男としては、自分の体が女らしくなるのは勘弁してほしいが、背が小さいのはいろいろと不便だ。ここ数年でガリガリだった体は多少健康的になってきたものの、背はあまり伸びていない。男だったらこれからが成長期だが、女子はそろそろ成長期が終わるころではなかろうか。
「ごちそうさま」
私も食べ終わると手を合わせる。この世界の宗教はなんか大いなるマナの流れ、というよくわからないものを信仰しているのだが、エセ中世ヨーロッパ風ファンタジーらしく現代日本風に適当だ。食事の時も長々お祈りをして、などということはなく、最初と最後に手を合わせればよし。
影を操って食器を片付ける。付きっ切りで魔法を教わることがなくなって、自学自習になってから、師匠は食事が終わればすぐに寝室に籠って本を読み始める。だが今日はその前に私に一声かけてきた。
「明日、少し遠出をするから準備しておいてね」
頷いて了承を示すと師匠は寝室に戻っていった。ちらりと見えた横顔は、にやにやとした、締まりのないものだった。経験則から知っているが、師匠がああいう顔をするのは、誰かをいじめる上手いやり方を思いついた時だ。……嫌な予感しかしない。