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陰鬱な子供

魔女とは、世界にあふれる星の命の力、「マナ」を扱う才能を持つ女のことである。人間の生命の力である「オド」であれば、厳しい修行を積めば、という条件付きではあるものの、だれでも扱えるが、マナを扱う才能は完全に天賦のものだ。だから魔女は生まれながらに魔女であり、滅びるその時まで魔女なのだ。


そして俺は、この異世界に魔女として生まれて、両親に厭われ捨てられた。ぽーい、と。魔物の闊歩する森の中に。三歳の少女の体である。前世の男子高校生の体であっても生き残れたかは怪しいところだが、これは、無理。死ぬ。


思う通りに動かない短い手足を必死にバタつかせて駆けたが、野犬か、狼か、とにかく犬っぽい魔物が付かず離れずついてくる。初めは、木の枝で追い払おうとしたが、腕を引っかかれた。戦うのはあきらめて逃げた。ダラダラと流れた血が、今は固まって腕にこびりついている。粗末なワンピースにも血が付いて、黒い染みを作っている。


遊ばれているのだ。あの犬は、いつでも俺を食い殺せる。無駄なあがきを見て楽しんでいるのだ。悔しい。ぶち殺してやりたい。死にたくない。嫌だ。嫌だ。嫌だ!

なんで俺がこんな目に合わなきゃいけない? 俺が何か悪いことをしたのか?

死因は普通に事故だった。いわゆる転生トラックというやつか。なら、運が悪かっただけだ。……ならここで食い殺されるのも、運が悪いだけか。


なんだそれ。涙があふれる。こけた。張り出した木の根に躓いたようだ。ゆっくりと、犬が近づいてくる。荒い息が、自分のものと犬のものが混ざり合う。心臓の音がうるさい。さっきまで痛くて痛くて仕方なかった手足の感覚が遠い。舌が痺れたような感覚、叫びだしたいのに、のどから漏れるのはひゅうひゅうという息の洩れる音だけ。


体を起こすが、腰が抜けたようで立ち上がれない。尻餅をついたまま、後ずさる。もう犬はすぐ近くまで来ていた。黒く、固そうな毛が全身を覆い、細長い舌が、鋭い乱杭歯の生えた口の端からだらりと伸びている。爛々と輝く赤い目と目が合ってしまい、思わず悲鳴を上げる。


「ひっ……!」


それを聞いた犬の顔が歪む。無様な俺を嘲笑っているかのようだ。いや、笑っているのだろう。魔物は、普通の動物よりも知能が高いという。だから俺のような幼女をいたぶって遊ぶような悪趣味な真似もするし、悲鳴を上げさせて喜んでいるのだろう。


昔から、前世から、俺はキレると黙るタイプだった。キレて暴れたり、怒鳴ったりするのはみっともないと思っていたし、そういう感情に身を任せることができなかった。だから持て余した怒りは行き場を失って、腹の奥を暴れまわり、何もできなくなる。でも、今は違う。暴れるための手足が動かなくとも、怒声を上げるための喉が震えなくても、怒りを表すモノは持っている。


俺は今怒っている。今までにないほどに、心の底から。畜生風情が、人間様を……ぶっ殺してやる。そして、ぶっ殺すと思ったときに、その行動は終わっている。それがかっこいい男の生き様らしいから、俺も黙ってやろう。この怒りに任せてやろう。


嗤いながらさらに俺の近くに寄ってきた犬は、木々の陰に隠れて分かりづらいが、「俺の影を踏んでいる」。俺は犬の踏んだ影を“垂直に”伸ばした。鋭く、硬く、この畜生の足をぶち抜いてやるように。


俺が生まれ持った魔女としてのチカラ。影を操る魔法。最初は、影絵を動かせるだけの、それこそ子供の遊びのような、無害で、無邪気で、役に立たない魔法だったが、そのうちに物を動かせるようになり、今ではこんな風に生き物を傷つけられるほどになった。


犬は悲鳴を上げて飛びのいたが、すぐにこちらを睨みつけてくる。これで逃げてくれないかとも思ったが、だめなようだ。影の針は自分の影を伸び縮みさせた先からしか伸ばせない。そして殺傷力を保てるサイズはせいぜい5センチくらい。そしてかなり集中しないと硬くしたり尖らせたりはできない。影絵だけならそれなりに自由にできるようになってるんだけど。


つまるところ、さっきの不意打ちが最初で最後のチャンスだったのだ。じっくり集中できて、相手は油断していた。今のあの犬は低く唸りながらこちらを注視しており、さっき影の針を刺した左の前足から血を流しているものの、四本足の畜生らしく、それほど動きが鈍っているようには思えない。


駄目もとでもう一度針を突き出したが、タイミングを見切られてひらりと躱された。なんの前触れもないはずなのだが、野生の勘だろうか。集中する時間が足りなかったし、硬さや勢いが足りなかったのかもしれない。着地した犬は怒りをあらわにしてこちらに踏み込むと、無事な方の前足を俺の顔面めがけて振り下ろした。


「っぎぃッ……!」


とっさに顔をそむけたが、左の顔面に恐ろしい熱が走る。ドロリとした液体が頬を伝うのを感じる。半分になった視界で、犬が再び跳びかかろうとしているのが見えた。このままだと、死ぬ。犬は首筋を狙って食いついてくる。震える腕を無理やり持ち上げて、犬の顔面に押し当てた。弱々しいそれは、犬を押し返すことなどできず、ただ熱い何かが首の中にぞぶりと潜り込んでくるのを甘受するしかない。


「ギャイン!?」


犬の顎の力が抜ける。そのままずるりと落ちた。何かに手のひらを押し当てれば、そこには影ができる。頭に5センチの刃物が突っ込まれたら、魔物だろうが何だろうが、そりゃ死ぬよな。そうでなきゃ、困る。死を前にした俺の怒りと恐怖が集中力を押し上げたらしい。普段だったらこんなに短時間で連続してやったら絶対成功しない。


「ひゅっ……ひゅっ……」


笑おうとしたけれど、ただ息が漏れるだけだった。首筋から何かがあふれ出ている。冷たく、熱く、何かが抜けていく。血だ。そして俺の命だ。前に死んだときは何が何だかわからないうちだったが、今回はゆっくりとしたものだ。意識が遠くなっていく。悔しかったが、どうにもならない。半分の視界がさらに閉じていき、やがて俺は気を失った。真っ暗闇の中で、ひどく不愉快な感じの女の笑い声を聞いた気がした。


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