1話
巡回中、ハイウェイに面したドラッグストアでコーヒーを買い一服つくのはエリック・ハリントンとコンビを組んでからの習慣になっていた。
「今夜はやけに冷えますね」
両手にコーヒーを持ったまま器用に運転席側のドアを開き、車内に滑り込んできたエリックが言った。
「雪でも降りそうな天気だな」
受け取ったコーヒーを飲みながら答える。
「まったく、クリスマスだってのに巡回なんてついてないですよ」
「そう言えばお前、クリスマスは奥さんとパリに行くとか言ってなかったか?」
「二週間くらい前から喧嘩しちゃってて。今は子供連れてリヨンの実家に帰ってますよ。ボスの方は、クリスマスに予定とかなかったんですか?」
二週間前といえば、麻薬組織の大規模摘発があった日だ。あの日は私も含めた分署員全員がほとんど駆り出されたから、それが原因だろうと推測する。
「独り身の男に予定なんかあると思っているのか? 十月頃から仕事が入ることは決まっていたさ」
「結婚してるって聞きましたが」
エリックは最近私の部署に配属されたばかりだから、私のプライベートの事はほとんど知らないらしい。
「三年前に離婚したよ。警官、特にトウキョウ租界に配属された捜査官は離婚率が高いからな、お前も気を付けろよ」
私の言葉に、エリックは苦笑いして答えた。
「その忠告は少し遅かったみたいですね。ハイスクールにいた頃はクリスマスのバカンスが楽しみだったのになあ」
「出身はどこだ?」
「フロリダです。冬にはいつもカナダの別荘に行ってましたが」
「マイアミか。今でこそ落ち着いたが、お前がハイスクールの頃はずいぶんひどかったんじゃないのか?」
「ええ、ハイアリアの方じゃ銃声を聞かない日はありませんでしたよ。特にヒスパニック同士の抗争が酷かった。幼馴染がそれに巻き込まれて殺されて、めでたく僕は警察を目指す事になったわけです」
「辛い経験だったろうな。その幼馴染も、お前が不貞腐れず真っ当な道に進んだ事を喜んでるだろう」
余計な事を聞いてしまった。この状況に相応しい言葉が思いつかなかったから、当たり障りのない言葉で濁しておく。
「だといいんですけどね……。そうだ、ボスはどこの出身なんですか?」
暗い雰囲気を払拭するようにエリックが言った。
「ニューヨークだ。父が海軍にいたからな、バカンスはいつも日本の厚木基地で過ごしていたよ」
「それ……バカンスとは言わないんじゃ?」
「遊びたい盛りの俺には拷問に等しかったね。だがおかげで日本語を習得できたからな、このトウキョウ租界に配属された時に言語で困ることはなかったよ」
答えて、手渡されたコーヒーに口をつけた。続けてタバコに火をつける。祖国アメリカでは禁煙の風潮が高まってきてはいるが、このトウキョウ租界にはまだその風は吹いていない。警官のほとんどが喫煙者だった。
互いにタバコを一本ずつ吸い終わったところで、エリックがパトカーを発進させた。
クリスマス休暇の影響でがらんどうになった住宅街を低速で巡回する。この時期になると毎年空き巣被害が増える。
トウキョウ租界にある米国人の住宅地はほとんどが東海岸風に整備されている。生えている植物の違いを除けばほとんど米国本土と見分けがつかないくらいだ。道も、租界の外側と比べてかなり広い。
走り始めてから二十分ほど経ったころだろうか。一発の銃声が静かな住宅街に響き渡った。
エリックがパトカーを急停止させる。
「エリック、お前は本部に応援要請しておけ、俺が様子を見てくる!」
パトカーから飛び出し、腰に提げたコルト・ガバメントを抜いた。
銃声がしたのは、一軒だけ明かりが灯っている二階建ての家だ。パトカーから一ブロックしか離れていない。微かな怒号が聞こえてきた。扉が勢いよく開かれるのがよく見えた。
「止まって武器を捨てろ!」
飛び出して来た人影にガバメントを向けて叫んだ。
バラクラバで顔を隠した小柄な容疑者は手に大きなリボルバーを握っていた。
私の制止の言葉を無視してすり抜けて行こうとする影を咄嗟に掴もうとする。手の中に残ったのは奴の付けていたバラクラバだけだった。
「ボス、あと十分で……うわっ!?」
再び響いた銃声。応援要請を終わらせたらしいエリックが身体をくの字に折って地面に倒れた。
撃ったのは私が捕まえ損ねたあの容疑者だ。
驚いた事に、小さな手に不釣り合いなドイツ製の拳銃を持ったその小柄な容疑者は、まだ中学生にもなっていなさそうな綺麗な金髪の少女だった。少女の持った拳銃は地面に倒れたエリックに向けられていた。
「武器を捨てろ!」
「う、うるさい! あたしに近づくな!」
少女はパニックを起こしているようだった。
「銃を下ろせ! そうすれば私も君を撃ったりしない!」
怒鳴りつけたりしたら逆効果だと頭ではわかっていても、自然と声は大きくなってしまう。
エリックが呻き、立ち上がろうとした。
「エリック、起き上がるな、おとなしくしてろ!」
左手を突き出して制止を呼びかけながらジリジリと近づく。
「お前も、父さんも、あたしに近づくなあ!」
撃ったのは少女で、撃たれたのは地面に倒れたままのエリックだった。エリックの頭がガクンと跳ねる。
反射的にトリガーを引く。少女の胸に赤い穴が空いた。それでも少女は撃つのをやめない。
少女は地面に倒れながらもエリックに向かって銃を撃ちつづけた。私が四十五口径の銃弾を弾倉が空になるまで撃ち続けてやっと少女は死んだ。最後の一発は少女の額に穴を空けて、後頭部を綺麗に吹き飛ばしていた。スライドが後退したまま止まった銃を投げ捨て、エリックの元に駆け寄る。
身体を抱き上げる。身体は既に冷たくなりはじめていた。
少女の遺体が目に入る。
彼女は虚ろな瞳から涙を流していた。街灯の灯りを反射して輝いていた。
私がその夜の事で覚えているのはそこまでだった。