31. 眠りし場所への入り口 - 2
「ふぅ……少し肌寒いから、スープが美味しいね」
「そうだね。ひなみ様は、ちゃんとあったかくしてよ」
焚き火にあたりながらスープを口に含んで、しんと暗くなった外を見る。
この洞窟で少し休憩をしていれば、あっという間に夜がきた。「風邪をひかれたらたまらないからね」と、私にブランケットを掛けてくれる。
「イクルこそ、寒くないの?」
「別に、鍛えてるからこれくらい問題ないよ」
「ふぅん……?」
確かに、そう言われればイクルは鍛えているなと思う。細身ですらりとしてはいるけれど、筋肉はしっかりついている。かといってマッチョでもなく、丁度いい外見というのだろうか。理想だなと、なんとなくそう思った。
少し硬いパンをスープで柔らかくして、口に含む。味が染み込んでいて美味しいなぁと思いつつ、私はいいけれどイクルはこれだけで足りるのだろうか?
確かイクルは……19歳だったはず。
「ねぇ、イクル。それだけだと夕飯にたりないんじゃない?」
「ん? 別に大丈夫だけど」
聞けばさらりと返される。確かにイクルはそんなにもりもり食べるわけではないけれど、家に比べれば十分質素だ。そんなことを思っていれば、「ひなみ様はちゃんと栄養とって」と追加でスープをよそられる。
……これは何だろう、イクルのほうが女子力高いのでは!?
これではいけないと、イクルの器にスープをよそり返す。うんうん、男の子はいっぱい食べたほうがいいのですよ。
「……ほんと、ひなみ様っておせっかいだね」
「何、もう。だって、どう考えても私よりイクルのほうが食べるんだから! 遠慮したら駄目だよ」
ぴしっと指を立ててポーズを決めたらイクルに笑われた。
なんだか腑に落ちない気もするけれど、こうやってお互いに気を配りあうのはいいと思う。ましてや、私にはこんな冒険は初めてなわけで。
イクルの気遣いは、私の心に余裕を作ってくれる。だから私は辛くても笑っていられるし、体調にも十分気を使うことができる。野宿なのに、なんだか安心するこの矛盾が心地いいなんて笑ってしまう。
ご飯を食べて温まって、片付けをして。
今後について少し話しつつ、私たちは休むために洞窟の奥へ向かった。
「え? イクル、それ……本気で言ってるの?」
「そうだけど?」
「意義ありです! 駄目、絶対!! おかしいよ!」
夜も更けたので、そろそろ休もうか……というところで、私は重大なことに気付いた。
寝袋が1つしかない。
「ひなみ様が寝袋で寝て、俺はマット敷いたしそれでいいけど」
「だって、それじゃぁ休めないよ……!」
特に問題ないと言うように、敷いたマットの上に座って壁に背中を預けている。壁に寄りかかって、座った体勢で眠るつもりなんだということはわかった。
でも、それでは身体が休まらないのではないだろうか。というか、間違いなく休まらないと思う。寝袋もそうかもしれないけれど、まだましというかなんというか。
さっき用意したときに、寝袋が足りないなと思ったのだけれど……てっきりイクルがもう1つ持っているのだとばかり思っていた。
こんなことならば、私自身もしっかりと確認をしておくんだった。もう後の祭りではあるけれど、次回は絶対見よう。イクルは自分を後回しにしすぎます。
「というか俺、寝袋だと眠れないんだよね」
「へ?」
「だから、この体勢のほうが寝やすい」
ふぁ、と。ひとつあくびをするイクルが目にはいって……だけど、うぅん。寝やすいと、本人に言われてしまっては私が無理強いするのは難しい。
絶対そんなことはないだろうと思うのだけれども、イクルだし。デリケートな問題かもしれない。そうなるとそっとしておいたほうがいいのだろうか。
ぐるぐると思考を回して、とりあえず小さな声で「わかった」とだけつぶやいた。
私も寝ようかなと、寝袋に入ろうとして……座っていたイクルがおもむろに立ち上がった。どうしたんだろうと思えば、しっと口元に指を当てられた。すぐに「魔物」というイクルの声にどきりとして、息を呑む。
すぐ横に立てかけていた棍を手に取って、視線を洞窟の外へと向ける。
「ひなみ様はここで待ってて。倒してくるから」
「う……うん…………」
まるで少し散歩にでも行くように、イクルが軽く告げるその言葉。
しかしそんな様子に私はやっぱり慣れなくて。不安になりつつ返事をすることしかできない。洞窟の入り口へ向かうイクルの背を目で追って、心配になる。強いのはわかっているけれど、慣れない。
「…………」
洞窟にひとり、ぽつんと座っている私。
でも、ほら……少し視線をのばせばダッチョンがいる。
……イクル、大丈夫かなぁ。
イクルが行ってから、何分くらい経っただろうか。実際はまだ数分なんだろうけど、体感的には30分くらい経っているのではないかと思う。
少しだけ、洞窟の入り口の、ダッチョンのところまでなら……見に行ってもいいかな?
「そうだよ。ここで不安になっているよりも、少しだけ確認して洞窟の影に隠れてれば大丈夫……!」
たぶん。そう、心の中で付け加えて、そっと洞窟の入り口まで歩みを進めた。
イクルはどこにいるんだろう。洞窟の中からだと見えないかな……? そう思って、遠くを見るように目を細めれば…………いた。
棍を流水のように扱って、狼のような魔物を倒しているイクルの姿が目にはいる。
「……すごい」
イクルの腕が棍を振るうと、服についた装飾の紐が綺麗な円を描いて宙を舞う。
戦っているはずなのに、まるでダンスでもしているようだと思った。洋服屋のお姉さんが、戦闘がいかに綺麗に見えるかは服による部分も大きい。そう熱く語ってくれたのを思い出して、確かにと納得する。
買った投擲用の短剣を使うまでもなく、棍1本で3匹いた狼の魔物は倒された。
「…………」
やっぱり強いなと改めて思う。さて、なんて声をかけようか。お疲れさま? ありがとう? それとも、無事で安心したと……声をかけるのが先かもしれない。
こちらに向かって歩いてくるイクルに笑いかけて、ふとその違和感に気付く。
…………私のこと、見てない?
いやいや、まさかそんな。いくらイクルでも私を無視したりなんてしないはず。
そう考えて、ふと。イクルの声が脳裏に蘇った。
『医者には……治らないと、言われています。まだ見える右目は、一生を掛けて視力を失っていくと言われました』
呪奴隷市場で、初めてイクルに会ったときの言葉。
普通に生活していたから、特に何も感じなかったし、ましてやそんなすぐに目が見えなくなるとも思ってはいなかった。
ねぇ、イクル。もしかして。私のことを見ていないんじゃなくて、見えていない…………?
「……っ、あ……イクル」
「っ! ひなみ様、休んでてよかったのに」
なんとか声を搾り出して、イクルの名前を呼べば……何でもないというように、いつものように返事が返ってくる。少し強張ったような気がしたのは、私の思い過ごしだろうか。
「……やっぱりほら、心配だったから。洞窟の入り口なら、ダッチョンもいるから安全かなって」
「そう。でも、あんまり無茶はしないでよね」
呆れ顔のイクルに、「わかった」と伝えて……もしかして目が見えてない? と、聞く勇気が出なくて口が開かない。
だけど。
気付けば、私はイクルのもとへ駆け出していた。
体当たりするようにイクルにぶつかって、勢いあまって地面へと倒れこんだ。イクルを押し倒した形になってしまい、イクルの目が驚きで見開かれた。
そっとイクルの頬に触れて、両手で包み込む。
「……ひなみ様」
きっと、察しのいいイクルのことだから、私が何を言いたいかなんてお見通しなのかもしれない。
その証拠に、イクルは私の名前を疑問系で呼ばない。
「……イクル、ねぇ」
「うん?」
「目、いつから……見えてないの…………?」
「…………」
ぽたりと、イクルの頬に雫が伝う。それが自分の涙だと気付くのに、時間がかかる。それほどまでに、今この時間はゆっくりと流れているように感じられる。「泣かないでよ」と、今度はイクルの手が私の頬に触れる。
ごまかすように笑うイクルを見て、嫌だという意思を伝えるために首を振る。教えてと乞う。……気付かなかった私は最低だ。
「……ひなみ様は、すぐ流されるのに変なところで強情だね」
「そんなこと、ないもん……」
「…………見えなくなったのは、〈アグディス〉に来て少ししたころ。幸いこの大陸は山だから、風の精霊が多く風通りもいい。だから、そこまで不便はなかったんだよ」
「……なに、それぇ…………」
アグディスに来てからということは、数日間は目が見えていない状態だったということではないのか。それを私に気付かれないくらい、普通に生活していたなんて。イクルは超人なのか、なんなのか。
風の探索で普通に歩けると言い、とりあえずは問題ないと。そう、イクルが心配かけまいと微笑んだ。
けれど、だから目が見えなくてもいいというものではない。それはまた別の問題だろうと、思う。
溢れ出てくる涙を必死に抑えようと試みてはいるけれど、一向に上手くいく気配がない。
「ごめんなさい、全然……気付けなかった。ずっと一緒にいたのに、私……っ」
「別に、ひなみ様のせいじゃないんだから。そんなに気にしないでよ」
「……絶対、治す。回復薬の勉強も、もっと……頑張る、から……」
「…………うん。期待してまってるよ、ひなみ様」
絶対ぜったい、治すから。
ぎゅっとイクルにしがみついて、自分の無力さを悔やむ。しかし、私だってそんなに出来た人間ではない。所詮は、大学生。医療の知識なんて、花の病気に関することを除けばほぼ皆無だ。
でも。方法はまだわからないけれど、きっとその方法を見つけるから。そう自分に言い聞かせて、イクルが涙を流さない分、私が思い切り泣いた。
優しく私の頭を撫でるイクルの手が心地よくて、もっともっと、強くあろうと思った。
◇ ◇ ◇
翌日。
早朝からダッチョンを走らせてたどり着いたのは、レティスリール様の墓標。
木で作られた門があり、その前に立っているのは墓守役のエルフが2人。
イクルの目が見えないのであれば、私は最大限のフォローをしよう。強く心を構えて、姿勢よく立ってみせる。
「ここが、レティスリール様のお墓……」
「ひなみ様は、俺から離れないでね」
イクルの言葉にこくりと頷いて、墓守の人へ村長さんの紹介だと告げる。睨むような目で見られた気がしたけれど、私だってここで引くことはできない。
レティスリール様がここにいるのかは、正直にわからない。けれど、きっと何らかの手がかりがあるはずだと私は思う。いや、そう……思いたい。
中に入りたいことを伝えて、許可証を渡す。そうすれば、少し驚いた表情を見せられて、しかしすぐに門が開かれた。
「……いいだろう。ようこそ参られた、薬術師殿」




