6. たくさんのありがとう
まだ小鳥も鳴かない早朝、私は1人、庭に出て自分の世界を見渡す。
色とりどりの花や薬草に、木々。野菜や果物もあり、魔力水が流れる魔力マングローブもある。気付けば充実していた箱庭は、私にとってとても居心地のいい空間となった。
早く目が覚めたのは、私にやるべきことがたくさんあるからか。身体が勝手に起きてしまったのだろうと思う。
それは花の手紙に書かれていた私のできることの最後、3つめ。
『ひなちゃんは、仲間の戦力や状態を把握すべき!』
仲間というと、イクルにまろ。あとは、シアちゃんにキルトくんも入れていいのだろうか。一緒に冒険をしたことはないけれど。
『誰が、どういうことが得意で苦手なのか。どんなことができるのか。どれくらい戦っていられるのか』
確かに、回復薬は様々な種類がある。体力、魔力、他にも回復できる内容があるし、回復量も違う。
イクルは、スピード重視の前衛術師。
まろは、メインが魔法だけど体術も得意。
シアちゃんは、魔術師。
キルトくんは、剣を使う前衛術師。
そして、回復役として私。
んんっ? これは、結構バランスが取れているのではないだろうか。
イクルとキルトくんは前衛だし、シアちゃんは後衛。まろにいたっては、割となんでもこなしてくれる。
「治癒術師はいないけど、私が回復スキルを覚えたから……うん、なんかいい感じかもしれない!」
それぞれの持久力や強さを判断できたらいいのだけれど、さすがにそれは難しい。
体力と魔力を回復するとしても、個人情報のステータスを見せてくれとは言えない。
怪我を負ったら回復、というスタイルがいいのだけれども、回復薬だって無限に持ち歩けるわけではないし。
そう考えると、私のポジションはかなり判断力が必要になってくる。
「癒しの如雨露の使用感は、少しずつなれるしかないかなぁ?」
うーんと唸りつつも、最初からすぐにできてしまうわけではない。
前にリグ様が言っていたとおり、ゆっくり、私なりのペースで覚えていこう。
「あとは……イクル、かなぁ」
ぽそりと呟いたそのとき、庭の外にいるイクルが視界に入る。
私はどきどきする心臓を手のひらで抑えて、言うべきことを考えて……しかし、なかなか勇気がでないでいる。
「……おかえり、イクル」
「あれ? ひなみ様、早起きだね。ただいま」
庭の柵の外、スキル神様の箱庭から外れた森から姿を現したのはイクル。
夜中にそっと抜け出して、レベル上げに行っているということを知ったのは、イクルとアグディスに行ったとき。言ってくれればいいのにとは思ったけれど、イクルなりに心配をかけないようにしてくれたのだと思いたい。
決して面倒だから、という理由ではないはずだ。
「何となく、目が覚めちゃったから。庭を見てたんだ」
「そうなの? 庭もだいぶ変わったからね。種類も増えたし、動物もいるし」
「うん」
一緒に庭を見渡すイクルをチラ見して、いつも通りの様子にさすがだなぁと思う。
レベル上げに行っていたイクルだけれど、戦ってきたようにはまったく見えない。衣服に汚れがあるわけでもないし、息を切らしたり怪我をしているというわけでもない。
そもそも、ここは迷いの森とはいえそこまで強い魔物がいるわけではなかったような? もしかしたら、少し遠出をしているのかもしれない。
私の横まできて、「朝ご飯にはまだ少し早いけど、どうする?」と問うイクルに、「まだ大丈夫」と返事を返す。庭に設置をしたテラスに座り、イクルにも腰掛けるように促す。
「どうしたのさ。何か、悩み事?」
「あぁっと、うん。やっと落ち着いたかなって」
朝日を身体に受けながら、少し気持ちに余裕ができる。
魔物の凶暴化、庭の整理、お店、新しいスキルと。ここ最近はなんだかとても忙しかった。
そうして、余裕ができたのでイクルと話さなければならないことを、話そうと思う。
それは、呪奴隷のこと。私と契約をしていたイクルは、レティスリール様の力によって呪奴隷ではなくなった。
世間一般の呪奴隷に関しては、私もお店にきてくれたお客さんから現状を聞いて少しだけ知っている。
「ひなみ様?」
「…………私は、もう、イクルの主人じゃないよ。ごめんね、話すのが遅くなっちゃって。」
「ひなみ様……」
呪奴隷ではなくなった、けれど契約期間の5年がまだ残っている人たち。
聞いたところによると、どうやら2パターンに分かれる。
1つ。
契約自体を破棄とし、主従関係を終わらせる。
2つ。
そのまま、通常の雇用という形で契約を継続する。
呪奴隷というかたちで、今後も継続して縛り付けることはできない。もしそんな事態になっていたとしたら、教会とギルドが仲介にはいるようです。
契約破棄をした場合、金銭の問題が発生する。これは、それぞれ国から返還があるという話です。
「イクルにはたくさん助けられちゃったね。本当に、ありがとう。もう、100回言っても感謝の言葉だけじゃ足りないくらい」
えへへと笑う私に、呆れ顔のイクルが少しだけ顔をゆるめた。
けれど、すぐに真剣な眼差しになって、「ひなみ様のことだから、もう決めたんでしょ?」と。
こくりと頷いて私の意思を示せば、やれやれとイクルが呆れ顔にもどった。
イクルがいいたいのは、雇用継続をせずに契約破棄を選んだという点だと思う。
ひなみの箱庭の店員としてイクルを雇用する。もちろん、それも選択肢のひとつではある。
だけど、イクルはもっと広い世界に羽ばたけることは私が一番知っている。だから私は、契約破棄を選んだ。
イクルが自由に、したいことをできるように。
「ひなみ様って、いや。ひなみは、頑固だね」
「……っ!」
デフォルトの呆れ顔をくずして、イクルが私を“ひなみ”と呼んだ。
初めて聞く呼び捨てのそれは、なんだか……ひどく心地いい。そして恥ずかしかった。
呼び捨てられた名前は、今から私とイクルが対等であるという大切な証。そう思うと、心が温かくなって、身体も軽くなる。
「まぁ、知ってたけどさ」
「う……た、確かにイクルには我儘ばっかり言っちゃったけどさ」
「別にいいよ、あれくらい」
いきなりで動揺してしまった私とは違い、イクルはいたっていつも通り。それがさらに羞恥をさそうのだけれど、自分だけこんなにもあせってしまったなんて言えない。
あっさりと、「問題ないよ」というイクル。そのまま続けて、今度は少し心配したような表情で。イクルはいつもそうだ。自分のことよりも、私のことを優先してくれる。
呆れ顔をしているけれど、なんだかんだで甘くて優しい。
「それで、今後はどうするつもりなのさ」
「え?」
「……あーうん、そうだね。具体的に考えてるとは思ってなかったからいいよ」
「うぅ……」
笑顔の多いイクルだと思ったけれど、私の無計画のせいで通常運転の呆れ顔にもどってしまった。
しかし、と。イクルに言われたことを考える。今後はどうするのか、ということ。街は箱庭の扉があるから、問題なく行くことができる。森を1人で抜けるという必要はもうない。
「あっ、でもね! イクルの部屋はそのままだし、これからも変わらず使っていいから!」
出て行けと言っているわけではないので、ここを誤解されては困る。
慌ててそう言えば、「はいはい」と呆れられる。私がそう告げることなんて、最初からお見通しなのがイクルだから。
そして今後の私は、やはりいつも通りリグ様のために生きるのだろう。
私を観察していて楽しいのかはわからないけれど、リグ様との関係は良好であると……思っています。いや、私なんかがそう思ってしまうのは図々しいのだけれども。
「私は、今まで通りかな。回復薬を作ってお店をして、それから、余裕があれば冒険をして」
「冒険って、そのレベルじゃ厳しいよ」
「う、それはまぁ、わかってるけど。でも、私も自分でできることを増やしていきたい。新しいスキルも覚えることができたからね」
だから、無問題なのです!
冒険といっても、戦うだけが冒険ではない……はずだ。
でも、スライムくらいは1人で倒せるようになりたいな、なんて。
「イクルは、何かしたいことはないの?」
「俺?」
「そう。イクルは魔物を狩るから、呪を解除したいって言ってた。でも、本当はそれだけじゃないんでしょ?」
「…………」
正直、イクルは呪があったとしても。さらに目が見えていなかったとしても。それはもう、とてつもなく強い。
イクルは私に、目が見えなくなったから、呪を解除したいと言った。状態以上、ステータス低下、攻撃魔法不可。この3つが、イクルにかせられていたハンデだ。
目が見える分には問題ないと考えるイクルの思考もすごいけれど、実際は目が見えなくなってもすごかった。
そんなイクルが、目が見えないというだけで呪を解除したいということに少し違和感を覚えた。もちろん、目が見えないという理由は最もだとも思う。
「だけど……イクルは、何か、大切な何かがあるんじゃないかなって」
「……そうだね」
「イクル……」
私の言葉に観念したのか、イクル「はぁ」と面倒臭そうに息をついた。
まさか私にそんなことを言われるとは思っていなかったのだろうなと、用意に想像がついてしまうというのがなんだか切ないやら可笑しいやら。
「ぶん殴ってやろうと、思ったんだ」
「…………えっ?」
「俺を捨てて出て行った師匠を、捜し出してぶん殴ろうと思った。それが、1番に呪を解除したかった理由だよ」
「ぶんなぐる……」
「師匠は強いから、俺がいくら追っても追いつかない。……目が見えなかったり、呪があればなおさらに」
こんなに弱々しくしているイクルを、なんだか初めて見た。「本当は認めたくないけど」と、その理由にすら怒っているように思える。
目が見えなくなったときは、私に気づかせなかったほどなのに。それほどまでに、師匠という存在は、イクルの中で大きいのだろう。
「どこにいるか、とか、見当はついてるの?」
「残念なことに、まったく。桁外れに強いから、どこでも生きていけるような人だね」
「そ、そんなに……!」
ぶん殴りたいとか言いつつ、イクルはどうやらその師匠が大好きなのだろう。
なんだか笑ってしまえば、少しイクルに睨まれる。
でもでも! それであれば、私はイクルを応援したいと思う。もちろん、ぶん殴るのはどうかと思うけれど。
しかし、イクルが桁外れというほどの人物。いったいどんなゴリマッチョな人なのだろうと気になってしまう。
棍をはじめ、戦い方などを教えてくれたと少し教えてもらった。
「見つかるといいね。私も、できることがあれば協力するね!」
「まったく。相変わらず、おせっかいだね」
やれやれと、しかし続けて「ありがとう」と言うイクル。
私も笑顔で頷いて、イクルの未来を祝福しようと思う。この異世界で、イクルに出逢えてよかったと、心の底からそう思います。
でも。
なんというか、その……寂しいと思ってしまうのも仕方がないとは、思うのです。
「……イクル、えぇと、その」
「あーもう。何、泣いてるのさ」
「……泣いてないもん」
「…………そうだね」
髪をくしゃりと撫でられて、私はイクルの胸へ抱き寄せられた。子供をあやすように背中をさするイクルは、私に何も言わない。
ただただ、優しく背中を撫でてくれた。




