第八十八話 祖父と孫娘 side奈津子
「お祖父さま。お願いがあるのですけれど」
わたくし、湯江奈津子は斜め向かいに座った父方の祖父にお茶を飲み終わった後、そう切り出しました。お祖父さまとは言いましても、見た目は父と呼んでも差し支えない若さをお持ちです。五十代後半だったかと思いますけれど、未だに女性の噂が絶えない方でもあります。
「お願い? 珍しいこともあるものだね」
「とっても大事なお願いなのです。聞いていただけます?」
面白い事が大好きなお祖父さまですから、よもや断ることはないと思いましたが、お忙しい方ですので一応お聞きしてみました。
「なっちゃんのお願いを断るわけにはいかないねえ」
「ありがとうございます。お祖父さまは船をお持ちですよね?」
「うん」
「夏休み最終日まで、お貸し願いませんか」
「最終日までとは、また急な話だね。一週間くらいあるだろう」
「正確にはこの日からですから、八日間ですわね」
カレンダーを指して、初日の日付を見せます。
「もちろん急に言った理由があるんだろうね?」
「もちろんです」
「色々手続きがあるのは知っていてのお願いだね?」
「はい。どうしてもお願いしたいのです」
私はイスから立ち上がってお祖父さまの側に立ちますと、頭を下げました。
「お願いします」
「理由を聞かせてもらえるかい? まずは頭を上げて」
「はい、わたくしが懇意にしていただいている友人をご存じですわね?」
「あぁ、確か水崎さんだったかな? ふむ、彼女のためかい?」
「はい」
お祖父さまは少し考えるようなそぶりを見せた後、にっこりと笑いました。
「詳しくお願いしようか」
「はい。実は少し前から友人の中でも話が上がっていたのですが、夏祭りの時に決定的な出来事がありましたので、危険と判断しまして」
「危険?」
「ストーカーです」
「うん? 彼女のお父さんにまたストーカーなのかい?」
「はい。夏休み以前からいたようなのですが。元ストーカーが戻ってきたようなんです」
以前陽向さんが言っていた、刃物を振り回して陽向さんの鞄に穴を開けた女性です。
「接近禁止令がでていたのでは?」
「三年たちましたから」
「あぁ。三年だったのか」
夏祭りのあの日。
親戚を名乗って入り込もうとした人物の中に、彼女はいました。
わたくし達は知らなかったのですが、榊さんに面通し……もちろんこっそりとですが……したところ、その女性であることが分かったのです。
「父ではなく娘を狙うのは何故なんだろうね」
「さぁ。彼女の心理はわたくしにはわかりかねます」
あまりの執着のすごさに、震えがきますが。
陽向さんの命が脅かされることに、我慢がなりません。
何も装備せずに外へ出られないと言った陽向さんの気持ち。少しでも和らげてあげたい、何もいらない日々を取り戻してあげたい。
おこがましいとは思っています。
それでも、わたくしは彼女を助けたい。
そして、それを成せる人物をわたくしは身内にもっているのです。
「自分の力で助けたいというのが本当の気持ちです。でも、それまで待っていては陽向さんの身に何があるかわからないのです。お願いですお祖父さま。独りで戦おうとする陽向さんを守って!」
嗚咽するわたくしをお祖父さまは抱きしめてくださいました。
「分かったよ。奈津子とって、とっても大事な友人なのだね?」
とってもとっても大事です。
陽向さんがどう思っていようと、わたくしにとって一番大事な友達なのです。
速水君と私に漏らした弱音を聞いたあの日を私は忘れることができないでしょう。
「私から招待状を出そう。船のことは任せなさい。それから、その女性のことをもう少し詳しく教えてもらえるだろうか。君たちが船の旅をしている間に終わらせておこう」
「お、お祖父さま」
「ただ一つ私からもお願いがある」
「何でしょう?」
「なっちゃんの大事な陽向さんに、ぜひ紹介してくれないかな?」
お祖父さまは私の頭を撫でながら言いましたけれど、わたくしは釘をさして置くことを忘れません。
「口説こうとなされたら、怒りますわよ?」
「う……ん。えーと、彼女が私を好きになるのは自由だよねえ」
「自惚れも大概に。それに、彼女は色気に強いですわよ。そんじょそこらの色気ではよろめきませんわ」
「ほぉ、それはそれは」
楽しみだねえと呟いてニヤリと笑いました。
「叔母様に言いますわよ」
「うっ……」
お祖母さまとはわたくしが生まれる前に離婚なさったと聞いております。現在独身なのですから、恋愛は自由ですけれども。
さすがに未成年ともなると、父の妹である東間響子叔母様が黙ってはいないだろうと思いつつ、隣でお祖父さまが電話をかけるのを見ていました。




