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短編集(恋愛)

カエルの卵で変身

作者: 卯花ゆき


 ある国で森の魔女と谷の賢者が暮らしていて、二人は犬猿の仲だともっぱらの噂でした。


 そんなことは全く知らない当人たち。今度もまたひと悶着あったようです。

 誰もが陽気になる、春ですから。



*****



 魔女は怒っていました。イライラとしながら乳棒で乳鉢の中身をすり潰しています。怒りの原因は、他でもない谷の賢者でした。半年前、例の美女事件を起こしたあの不届き者が、またろくでもないことを仕出かしたのです。

 つい二週間ほど前、賢者が魔女の森を訪れました。よろよろと覚束ない足取りで、大木の又に挟まるようにして在る魔女の小屋に上ってきました。魔女が扉を開けた瞬間、縋りつくようにして――――いえ、実際に魔女の腰に手を回して縋りついてきたのです。


『助けてくれ魔女殿!三日の内に百人の女性とキスをしないと死に至る呪いにかかってしまった』

『さようなら、二度と来ないでね』


 バタン。

 表情を変えないまま扉を閉めようとした魔女でしたが、賢者の眼力と腕力には敵いませんでした。渋々中に迎え入れます。丸椅子に腰を落ち着けると、賢者はほとほと困り果てたという風に語りました。


『誰かが色男を陥れるために仕掛けた魔法陣を発動させてしまってな……。とりあえず町に下りて頑張ってみたんだが、一日十五人が限界だった』

『へええええ!』


 疲れ果てた賢者には、魔女の絶対零度の視線も吹雪いた声音も届かないようです。春の麗らかな風のように、耳の穴を通り抜けて行ってしまうのでしょう。

 散々嫌がって、泣きつかれて、嫌がって、泣きつかれて、ついに根負けして、魔女は賢者にかかった呪いを解いてやることにしました。この世の中に魔女に解けない呪いはありませんから。

 賢者がルンルンと鼻歌を歌いながら帰った後、魔女は小屋の壁をガンと蹴りつけました。丸太で出来た小屋は、主人の不機嫌を感じ取ってブルブルと震えています。

――――あの、好色男め!





 そういうわけで、寛大だった魔女の堪忍袋の緒も遂にちぎれたのです。魔女は、今こそ賢者に復讐してやる時だと悟りました。

 乳鉢の中で粉々になっていくのは、冷凍しておいたカエルの卵です。きれいな粉末になった後、手早く他の材料(おそらく皆さんが想像するものより、もっとずっとおぞましいものです)と一緒に大鍋に投げ入れ、ぐつぐつと煮込みました。水分がすっかり飛んだ頃に鍋の中を覗いて、魔女はニヤリと魔女らしい笑みを浮かべました。鍋の真ん中で、いびつな形の黒い固形物が転がっています。テーブルの上の小瓶に詰められた、キャンディーと同じくらいの大きさでした。

 これは、魔女の変身術です。

 自由自在に姿かたちを変えられる、高等な技です。昔魔女のご先祖様が、沼の大ガエルから聞き出したものでした。


(さて、何に化けて脅してやろうかな)


 クスノキ山の天辺でとぐろを巻く大蛇?

 死の谷で這いずりまわっている屍?

 王都で話題の白っぽい幽霊?

 何が一番賢者を懲らしめるに相応しいか、魔女はよくよーく考えて決めました。

――――そうだ。森の主、十二本の足を持つ大毒蜘蛛に化けてやりましょう。

 魔女の白く細い指が、黒い飴玉を口の中に放り込みます。飴玉はコロコロと転がって、舌の先でピタリと止まりました。あとはもう、変身したいものを心の中に思い浮かべるだけです。毒蜘蛛、毒蜘蛛と念じていると、徐々に黒い飴玉がとけてきて、舌全体に広がって行きます。

 想像の中で泣き叫ぶ賢者をせせら笑う魔女でしたが、その心にちらと魔が差しました。


(でも、もし私が色っぽい美女になったら、少しぐらいはドキドキしてくれるのかな……)


 その時、飴の最後の一欠けらがなくなりました。

 さあ、上手く化けられたでしょうか。

 いそいそと鏡を確認しに行った魔女は(魔女の小屋は伸縮自在なので、大蜘蛛に変身しても問題ありません)、鏡の中に映り込んだ姿に唖然としました。きらきらと真珠を散らしたようなブロンドの髪の毛。湖の色をした瞳。右目の下には泣ぼくろがあります。ぷっくりと艶やかな唇は紅を引いたように赤く、頬はバラ色でした。

 魔女は恐る恐る視線を下に向けて、現実の残酷さによろめきました。

――――まさか爪先が見えないなんて。自分の豊満になった胸のせいで!

 青のサテン生地に包まれた躰は、本来の魔女とはあまりに違いました。机に寄り掛かったはずみで、谷間のある大きな胸が揺れます。胸は揺れるものなのだと、魔女は長い人生の中ではじめて知りました。

 ショックで青ざめていると、ドンドンと扉が叩かれて、魔女の小屋が来客を知らせました。


「魔女殿、邪魔するぞ」


 魔女は固まって動けませんでした。返事がないことを訝しんで、賢者が勝手に扉を開けて入ってきました。両手に大きな箱を抱えています。

 そして二人の視線が合い、賢者もまた固まりました。

 零れそうな大きな瞳に浮かぶ涙。キスを求めるような唇。麗しい眉間に依った皺は悲しげで、顔はツルンとした卵のようです。

 衝撃から抜け出した賢者は、抱えていた箱を空き棚に置き、美しい人に一歩近寄りました。左手の親指に嵌っていた金の指輪をはずすと、台座に乗った青い宝石を人差し指ではじきました。たちまち、輝く薔薇の花が咲き誇ります。青い宝石の薔薇を差し出して、賢者は言いました。


「こんにちは、美しい人。貴女に会えて、今日の私は何て幸せ者なんだろう」


 恭しく魔女の手を取り、その甲に口づけを落とします。

 魔女はというと、


(なあにが「私」さ!普段の態度と全然違うじゃないか!)


 と例のごとく憤っていました。最初の内は、爽やかな賢者の微笑みにつられそうになりましたが、一度冷静になってしまえば胡散臭い笑みにしか思えません。変身術は失敗してしまったのですし、ここで種明かしをしても良いのですが、魔女は賢者を騙すことにしました。そうでもしないと、魔女の気が治まりません。


「こんにちは、素敵な殿方。薔薇をありがとう」


 魔女なりの精一杯で、美しい人を演じてやります。賢者の鼻の下がみるみる伸びました。額に青筋が浮かびそうなのを堪えて、魔女は次の策を考えます。何とかして、この姿で賢者を懲らしめてやることはできないものでしょうか。


「ねえ、素敵な御方。そのテーブルの上の箱は何かしら」


 ふと視界に入って来たものが気になって尋ねました。賢者が携えてきたものです。デレデレとしていた賢者は、箱に目を遣ってハッとしました。すばやくそしてさりげなく、四角い箱を抱えなおします。後ろ手に隠すその様子に、魔女の悪戯心がくすぐられました。


「ねえ、その箱の中身、下さらない?」

「申し訳ありません。貴女の望みと言えど、それは叶えられないのです」


 賢者はしっかりと箱を持ち、自分の影に隠しています。


「そうなの。それじゃあ、中身だけでも見せて下さいな」

「それもいけません。壊れやすい物なのです」


 頑なな態度に、魔女は苛立ちました。ここまでコケにされておいて、あんな箱の中身さえ見せてもらえないなんて……。意地になった魔女は、大きな胸を押し付けるようにして、賢者にしなだれかかります。

 「お願い、ねえ駄目かしら」と、じっと賢者を見つめました。賢者が明らかに怯みます。それにもムカッとしながら、魔女はさっと箱を取り上げようとしました。中身は何か知りませんが、どうせそう大したものではないでしょう。

 賢者はぎりぎりで美しい人の思惑に気が付きました。慌てて箱を高く掲げます。魔女の手は届かなくなりました。


「駄目だ!」


 賢者は顔を赤らめて叫びました。それがあまりにも必死な声なので、魔女は吃驚してしまいます。


「これはどうしても差し上げられない。大切な人への贈り物なんだ!」


――――美しい人の笑顔が、一瞬のうちに掻き消えました。

 魔女は一気に何もかもがくだらなく思えてきました。いつだって最後には賢者を助けていた自分が、とんでもない愚か者のようです。魔女は、あっけなく変身術を解きました。舌の上に張り付いていた黒い塊は、ゴクリと飲み込まれてしまいます。

 賢者は、突如現れた魔女に驚いています。魔女はそれをせせら笑いました。惨めな気持ちで、嘲りました。


「私の変身を見抜けないなんて、君の腕も落ちたんじゃないの。もう一度死の峡谷で武者修行してきたら?」


 冷たく言って、くるりと後ろを向きます。


「ついでに、その贈り物も渡してきたらいいよ。大事な人にあげるらしいから」


 できるだけ素っ気ない態度で追い出そうとすると、賢者は「いやこれは」とか「さっきのは言葉の綾で」とか、しどろもどろで言い訳しています。いつまでも出て行かない賢者が鬱陶しくて、魔女は叫びました。


「もう、さっさと渡してこればいいじゃないか!早く行ってよ!」

「それならどうか、受け取ってくれ!!」


 賢者が頭を下げて、箱を差し出してきました。魔女はきょとんとしています。この人は、いったい自分と誰を勘違いしているのでしょう。賢者は目が悪かったのでしょうか、眼鏡をかけたところは見たことがありませんが。魔女が困惑していると、賢者は不安げに見上げてきます。「怒っているか」と伺いました。


「その、こないだ迷惑をかけたから、そのお詫びにと思って」

「だって君、大切な人に渡すって言ったじゃないか」


 うろんな視線をぶつけてやると、賢者はやけにきっぱりと宣言しました。


「その通りだ。魔女殿は、俺にとって大切な人だ」

「え、ええ?!」


 魔女の顔がボッと紅潮します。いきなりそんなことを言われて、どんな反応を返せというのでしょう。魔女は怒りも忘れて、真っ赤になった顔を両手で覆いました。指の隙間から、賢者の姿がちらりと確認できます。


「魔女殿は、俺の目覚まし時計みたいなものだからな。鶏さえ起こせない俺だ。魔女殿が毎日起こしてくれなかったら、生活に支障をきたす」


 うんうんと頷く賢者。魔女はちょっとだけ落胆しました。目の前の賢者をじと目で睨み付けます。不味いことを口にしたと気付き、賢者は魔女の手に箱を押し付けました。とりあえず開けてみてくれと促します。魔女は何の期待もせず、箱の蓋を持ち上げました。

 現れたのは、黒い帽子でした。

 つばの広い、先がとがった三角帽。魔女のトレードマークです。帽子の中身まで真っ黒でしたが、つばとの境目に黒い光沢のあるリボンが巻かれていて、魔女の心がときめきました。


「前の帽子が駄目になったと、こないだ言っていたから。町の帽子屋で買ってきたんだ。気に入ってくれたか」


 魔女は帽子と賢者を見比べました。

――――なんてなんて、虫のいい男でしょう!これまでの魔女の苦労を、これだけで返せると思っているなんて。

 でも魔女は、そんな無粋なことは口にしませんでした。蝶々の形に結ばれたリボンが、あまりに可愛らしかったせいかもしれません。魔女がこれ以上怒り出さなかったのは、腕の良い帽子屋さんの手柄です。


 機嫌のよくなった魔女にほっとして、賢者は今度こそ帰ろうとしました。魔女の小屋が自分を歓迎していないことを感じ取っていたからです。小屋は主人のご機嫌を損ねたくありません。

 賢者が地上に続く階段に足をかけ、扉を閉めようとしたところで、魔女はその背中に声をかけました。振り向いた賢者の目に、真新しい帽子をかぶってはにかむ魔女が映ります。

 にっこり、魔女は可愛らしく微笑みました。


「ありがとう、賢者さん」

「……ああ、明日からもよろしく頼む、魔女殿」


 二人は微笑みをかわします。


 賢者は爽やかに去って行き――――ドサドサッ!

 扉の向こうで何かが転げ落ちる音が響きました。




*****




 ある国で森の魔女と谷の賢者が暮らしていて、二人の仲はそれほど悪くなかったと、ただそれだけのお話です。






テーマ:絶対に自覚させてはいけない闘いがそこにはある......!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 二人の関係性・並び自覚してないアレコレとか、色々想像出来る与地があるのがたまりませんww [一言] はじめまして。前話から続けて読ませていただきました。あとがきを読んでにやにやしました。 …
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