二
二人が出会ったのはもう七年ほど前の事だ。牧子は会社勤めのOLで(今もそうだが)、雅博はとある小劇団の役者だった。牧子の古くからの友人である翔子が、そこの劇団の脚本を書いていた。その翔子から誘われて公演を見に行った事がきっかけだった。
公演の後、彼女と食事に行ったのだが、その時一緒について来たのが雅博だった。
主役ではなかったが、ステージの上での雅博の存在感は主役のそれを上回っていた。牧子がそう感想を述べると、翔子はにやりと笑って、
「さすが牧。お目が高い」
と言った。彼女が言うには彼・山本雅博は逸材らしい。いずれはこんな小劇団ではなく、大きなステージを踏むに違いない。そしてますます成長するし、そうさせなくてはいけない。演出家魂を揺さぶる稀有な存在なのだと、彼女は熱く語った。
舞台から降りると、雅博は気さくで純粋な、少年のような笑顔の若者だった。実際当時は大学生だったそうだから、四歳年上で社会人の牧子から見ればまるっきり子供だった。会社でくたびれた営業の中年のオジサンばかり見ていた牧子には、本当に新鮮な青年だった。
その日をきっかけに、牧子はたびたび劇団の公演に足を運ぶようになった。翔子から誘われた時もあったし、自分から行く時もあった。
何度か翔子と雅博と三人で食事をするうちに、お互いの連絡先を交換するようになり、気がつけばなんとなく付き合うようになっていた。
雅博は舞台ではキラ星のような存在感だったが、舞台を降りて街中に入り込むとあまりにも存在感のない、どちらかというと控えめ、それもかなり地味な青年だった。身なりもあまり構わない(貧乏で構えないという実情もあったが)、極端な話、オタクといっても過言ではなかった。オタクはオタクでも演劇オタクだが……。
牧子にとってはそんな雅博の存在が心の癒しだった。OLという肩書き(?)ではあったが、大人しい文学少女がそのまま大人になったような牧子は、ブランドや会社の中の噂話や、芸能人の私生活の話題にはまったく興味がない。にも関わらず、そんな話で終始する会社の昼休みは牧子にとっては苦痛だった。付き合いきれなくて、一人で昼休みに外食する事もしばしばあった。そんな風だから、「岩崎さんはちょっと変わっている」というレッテルを貼られていた。仕事はきちんとこなしていたし担当している営業や上司からはそれなりに評価されていたので、そんな評判はたいして気にはならなかったが、女子社員仲間からは煙たがられている存在である事はわかっていた。それだけに周りに他愛のない話の出来る友人がいないというのは寂しかった。
そんな時に出会ったのが雅博だったのだ。
牧子は自慢ではないが、恋愛体質ではない。どちらかというと恋愛は苦手だ。十人並みだと人からは言われる様な容姿で、仕事に行く時はそれなりに綺麗にしているので、同じ会社の同僚から声がかからないという訳でもない。学生時代にしても彼氏がいなかった訳ではないが、「大好きだ、愛してる」なんていう印籠をこれでもかと突きつけて迫ってくるような相手は特に苦手だった。恋愛ごっこをしているだけだと、心のどこかがいつも冷めていた。
雅博は特に熱く迫ってくることもなく、気がつけば傍にいて映画の話や芝居の話をキラキラした目で語り、牧子の好きな音楽の話や、本の話を面白そうに聴いてくれていた。それでいて、雨の中ずぶ濡れになりながらも待ち合わせに遅れてきた牧子を怒りもせずにひたすら待ち続けるような、子犬のようなひたむきさがあった。
「母性本能をくすぐられるって?」
翔子にはさんざん笑われた。
「あんたみたいなタイプは、ああいう少年に弱いんだね。気をつけなよ、気がつけば『浪花恋しぐれ』みたいになってるよ」
そう言いながらにやにやするのだ。まるでそうなるのを期待しているような口ぶりだ。
その話を雅博にすると、彼は「ひどい例えだなぁ」と苦笑していた。
「僕は『酒や酒や~、酒持って来い!』なんて、絶対牧ちゃんにはいえないよ。怖すぎて」
そういって屈託なく笑っていた。そういうおおらかさがまた魅力だった。
雅博が大学をなんとか卒業して、本格的に芝居に打ち込み始めて一年程たって、二人は一緒に暮らし始めた。雅博は芝居に専念するあまり、見るからに自分の身の回りに構わなくなり、小汚くなっていった。その様を見かねた牧子が、時々一人暮らしの自分の部屋に泊めていたのが、いつの間にか居ついてしまったのだ。
深く干渉する気は毛頭なかった。逆に干渉されるのも嫌だった。でも、共に生活していれば、最低限の健康管理は手伝う事が出来るだろう。実際劇団の収入ではとても生活できないので、コンビニのバイトやら家庭教師やら副業をしない訳にもいかなかった。深夜まで働いて、芝居をしてという生活は体力的にもかなりきつそうだった。役者を志した時点で実家からは勘当されたという話は翔子から聞いていたのだ。雅博がヒモに成り下がるとか、タニマチになるとか、そういうのは論外だが、少しでも経済的な援助をしてあげたかった。そうすれば芝居にも専念できる。舞台の上に立っている雅博を観るのが楽しいのだ。
そんな軽い気持ちで始めた同居生活だった。
<続く>