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 一陣の乾いた熱い風が私達の間を吹き抜けた。風は砂を巻き上げ、容赦なく襲い来る。

 砂に足を取られて転べば、灼けた砂が剥き出しの手を傷めた。

「珠希」

 ぴったりと寄り添って歩いてくれていたリーアンが、私を助け起こしてくれた。

「無理はしなくていい。あの二人は別格なんだ」

 リーアンは苦もなく前方を行く辰希とディータを見た。

 辰希は子供の頃から厳しい環境下での訓練を受けて来たので理解出来るが、ディータは列車にいた時と全く同じ長衣とサンダル姿で軽快に歩いているのが不思議でたまらなかった。

 私の思考を読んだようにリーアンが言った。

「神官の修行は珠希が思ってるよりずっと厳しいんだ。ディータにとっては、こんな砂漠を歩くくらい何でもないのさ」

 二人は何やら話をしながら、時折こちらを振り返って私達がついて来ているのを確認している。

「さあ」

 リーアンが私に手を差し伸べた。リーアンは着膨れしている割には動きが軽い。歩く速度はゆっくりだが、私のように危なっかしいところは全くない。

 私は少し躊躇った後リーアンの手を握った。リーアンのひんやりした手に触れた瞬間、冷たい風が体を包み込み、体が冷えていくのが分かった。

「ほら、俺と一緒にいれば少しは快適だろ?」

 顔にスカーフをぐるぐる巻きにしてサングラスをかけたリーアンの表情は見えなかったが、声には余裕が感じられた。

「砂漠に来たのは初めてだけど、術でこんなに体感温度を下げられるとは思わなかった。全員に涼しい風を送るのは難しいから、珠希だけは特別に助けてやる。あの二人は必要なさそうだし」

 リーアンと手を繋いで歩くと、先程までのように砂に足を取られることもなくなった。前方を行く二人の姿は、砂山の向こう側になって見えなかった。

 中天を越えた太陽は、容赦なくじりじりと地上を灼いた。

 一つの砂山を越えるとすぐに次が現れる。私達はいくつの山を越えなければならないのだろう‥‥。

 山と山の谷の部分で辰希とディータが休憩していた。熱い砂の上には座れないので、荷物を椅子代わりにしている。私も背負っていたリュックを砂の上に下ろし、その上に座った。リーアンの手を離したので暑さは戻ったが、疲れていたので体は楽になった。

 ディータが私に冷たい水と小さな紙の包みを差し出した。

「これは疲労を取る薬だ。水と一緒に飲め」

 私は礼を言ってから、水で粉薬を流し込んだ。薬は目を剥くほど苦かったが、効果は数分で現れ始めた。頭がスッキリして筋肉の強ばりが和らいだ。更には体の中から気力が湧いてきた。

「ディータ、ここはまだ砂漠の東の端の方だろ?どう考えても、無事に西に抜けられるとは思えない」

 私と同じ薬を飲んだリーアンが言った。

「それは確かに無理だな」

 ディータはあっさりと認めてしまった。

「お前らの体力がもたないってのもあるが、何より水と食料が絶望的に足りない」

 四人で運べる荷物には限界がある。そしてここは砂漠で新たに調達することが出来ない。

「でも心配するな、俺に考えがある。お前らは俺についてくればいい」

 ディータは自信満々だったが、私達はそう簡単に安心出来なかった。

「神官様、どういうことなのか教えてはいただけませんか?」

 私の言葉にディータは答えた。

「お前ら魔導師なら分かるだろうが、ここには大掛かりな魔法がかかっている。古代の龍族が西からの侵攻を防ぐためにかけたと言われている。おかげでこの砂漠は西にだけは進めるが、他の方向に行こうとすると迷わされてしまう。だから俺らは西に向かうしかない。しかし西に砂漠を抜けるまで、まだ二千キロ近くある。どう考えたって無理だ。だが‥‥」

 ディータは砂の上に持っていた木の棒で地図を描きながら言う。

「俺の考えが正しければ、ここからだいたい百キロの地点にオアシスがあり、そこには幻のイトラ神殿がある‥‥らしい」

 ディータの言葉の最後の部分を聞いて、私達三人は揃って肩を落とした。

「その伝説なら俺も聞いたことがある。砂漠で命を落とした哀れな旅人や兵士達を弔うために建てられたっていう、龍国内で唯一のイトラ教の神殿だろ?」

 リーアンは低い声で言った。

「お前ら信者は伝説だと思っているようだが、確かに実在する。ただしオアシスごと結界が張られていて見付けるのが難しいようだ」

 リーアンは大げさに溜め息をついた。

「危険でも、あのまま列車で西華に向かえば良かったんじゃないか?」

 ディータは首を横に振った。

「乗客がいなければ、龍兵もいたし互角に戦えたかも知れないが、どうしても無関係な人間を巻き込みたくなかったんだ。俺らがいないと知れば、邪教の奴らも無理はしないはずだ」

 ディータの表情はいつになく真剣だった。

「一つ質問してもいいですか?」

 辰希が恐る恐るといった様子で口を開いた。

「何だ?言ってみろ」

 ディータは辰希に頷きかけた。

「どうしてこんな砂漠に鉄道を通せたんですか?工事を東から西へ進めたのだとしても、列車は西から東へも走っているではないですか?」

 リーアンは溜め息とともに答えた。

「それに関しては、俺の方が詳しい。俺の母方の祖父、つまりルテール社の社長は、大陸横断鉄道建設という偉業を短期間で成し遂げるために、権力者や名門魔導師一族に自分の妹や娘達を嫁がせた。このことの詳細は省略するけど、まず第一に嫁がされたのは祖父の妹、俺の大叔母のルッテだった。彼女は地術の名門ジア家に嫁いだ」

 リーアンはいったん言葉を切ると、額を押さえて続けた。

「もう分かるだろ?ジア家の手助けがあって、砂漠部分の高架橋を無事に建設することが出来たんだ。高架橋には、砂漠にかけられた魔法を無効にする術がかかっている。ちなみに橋の基礎は砂漠の地下深くの固い地層まで打ち込まれていて、こっちは魔法は使われてない」

 リーアンはこのことをあまり話したくないようだった。声のトーンが暗いのでそう感じる。

「そこまでして砂漠上を走らせる意味があるの?」

 リーアンは肩を竦めた。

「さあな、俺にも分からない。機会があったら本人に訊くといい」

 その機会が巡って来るか分からなかったが、辰希は軽く頷いた。

「俺からも質問だ」

 ディータが声を上げた。リーアンは面倒臭そうに言った。

「何だよ?」

「お前らの結婚にも、ルテール家の思惑が絡んでるのか?」

 リーアンは飲んでいた水を喉に詰まらせ、激しく咳き込んだ。

「お前は意外と分かりやすいな。それともそんなに驚いたのか?」

 ディータはリーアンの背中をさすってやりながら、呆れたように言った。

 私と辰希は顔を見合わせた。この話は初めて聞いた。私達は魔法の塔の結婚相性鑑定士が、リーアンにとって一番相性がいい相手として私を選んだと聞いたのだ。

 咳が収まったリーアンは、水を一口飲んで咳払いをしてから言った。

「ええっと、そのことについてはまたの機会に話したいんだけど‥‥‥‥分かったよ」

 私の視線に気付くと、リーアンは諦めたように言った。

「結婚相性鑑定士が珠希を選んだのは事実だ。ただ、選ばれたのは他にも何人かいたらしい。その中でなぜ一番遠くに住む珠希に申し込んだのかというと、母の強い意向があったからだ」

 ディータはリーアンの言葉の切れ目を捉えて口を挟んだ。

「つまり、ルテール社社長の娘だな?」

 リーアンは頷いた。

「そうだ。理由は‥‥アイレンティアだ」

 ディータは軽く眉を上げた。私と辰希は何のことか分からず、また顔を見合わせた。

「全く‥‥呆れたな、ルテール家はまだ拘っていたのか?」

 ディータは首を軽く左右に振った。

「アイレンティアっていうのは、ルテール家の先祖が五百年くらい前に書いた恋愛小説なんだ」

 私と辰希が事情を飲み込めていないことを察したリーアンが言った。

 東洋にはあまり西洋の文学は入って来ない。その小説についても私は知らなかった。辰希も小首を傾げている。

「アイレントでの恋物語だからアイレンティアだ。西洋では今でも売れてる。出回ってるのはオリジナルに脚色を加えて大衆受けを狙ったものだけど、オリジナルは作り話ではなく実話なんだ」

 私は困惑した。その恋愛小説と私達が、どう関係しているのか見当もつかない。

「アイレンティアの著者は、火野家の女性に恋をした。でも彼女が彼を恋愛対象として見ることは決してなかった。その思いを綴った物語だ」

 遠い昔、西洋と東洋は今より交流が活発だった。今では想像も難しいが、火野家の炎術者も世界中に散っていたという。

 火野家で魔導師として生まれて来るのは女性だけ。そんな彼女達に思いを寄せる男性が現れるのは、不思議なことではない。

 しかし火野家では、最近になるまで西洋人との結婚を固く禁じていた。だからその女性の思いがどこにあろうと、著者の気持ちを受け入れることは出来なかったのだ。

「リーアン、内容を割愛し過ぎだぞ」

 ディータが非難するように言った。リーアンは硬い声で答える。

「だいたい今はこんな話が重要じゃないだろ?とにかく、俺の花嫁候補に火野家の娘がいたのを、ルテール家出身の母が見逃す筈がなかったって話だ」

 元々恋愛結婚ではないので、このような話を聞かされても裏切られた気分はしなかった。ただルテール家が何故そこまで思い入れているのかは見当もつかない。。

「その本のオリジナル、向こうに着いたら読ませてくれる?」

 私の問いかけにリーアンは大きく頷いた。

「もちろんだ。まあ、俺が見せなくても母上が嬉々として読ませるだろうけどな」

 リーアンは立ち上がった。

「じっとしていても焼けるだけだ。休憩は終わりにして先に進もう」

 私達は全員荷物を持って立ち上がった。

「俺が方角を見極めるからついて来てくれ。それと悪いがペースを上げてくれ」

 ディータの言葉に私は不安になった。ペースを上げたくても、うまく歩けないのだ。

 すると辰希が私の側に来た。

「神官様、僕も珠希を助けるんで、その神殿を見付けることに集中して下さい」

 ディータは安心したように頷いた。

「分かった。それからリーアン」

 話を向けられたリーアンは驚いたようにディータを見た。ディータの声には、今まで感じられなかった緊迫感があった。

「もし予想の場所に神殿がなかったら、躊躇わずに最後の手段を取れ」

 リーアンは目を大きく見開いた。

「あれは他の手段が何もなくなった時以外、使わない方がいい」

 ディータはきっぱりと言った。

「神殿がなければ、他に取れる手段はない。助けも来るわけがないし、分かったな?」

 リーアンはディータの気迫に圧されて頷いた。


 歩き出した私達を待っていたのは、変わらない景色と増していく疲労感だった。

 どこまでも白砂の続くこの砂漠は、風の作用で常に形が変化しているが、基本的には砂の山と谷の連続だ。目標物がないので進んだ距離を実感できず、焦燥感ばかりが募る。焦りは心を挫き、疲労を蓄積させる。ディータの疲労回復薬も効果が薄れて来た。

 私達は日が落ちると数時間眠り、そしてまた歩き出した。砂漠で見る星空は、遮るものがなく鮮烈だった。月明かりと真っ白な砂が相まって、歩くには十分明るかった。

 気温が低く太陽の照りつけがない分、夜の方が歩きやすかった。

 ディータは星の位置で進む方向を見極めた。ディータだけは気力を失わず、私達を励まし続けた。

 そして砂漠を歩き始めて四日目の夕刻、とうとう水が底をついた。体力も気力も限界に近かった。

 崩れるように座り込んでしまった私を見てディータが言った。

「さっき、視界に揺らぎのようなものが見えたんだ。蜃気楼かも知れないが、ちょっと行って見てくるからお前らは休んでろ」

 ディータは返事を待たずに歩き始めた。夕日に向かって歩いて行く後ろ姿が、シルエットになって浮かび上がっていた。

 辰希とリーアンは私の両側に座った。リーアンは私の体を抱き寄せて言った。

「俺にもたれていいから」

 リーアンも疲れている筈なのに、私の体に回された手は力強く優しかった。

 私はリーアンに負担をかけたくなかったが、体は鉛のように重くリーアンの肩に頭を乗せた。

「すまない、俺には見付けられなかった」

 声がしたので体を起こすと、ディータが戻って来ていた。いつの間にかうたた寝をしていたらしい。

「あの揺らぎは、普通の蜃気楼とは明らかに違った。神殿への入り口だと思う。だが巧妙に隠されていて俺には無理なようだ」

 ディータは肩を落としていた。

「入り口だと分かるなら、粘れば何とかなるんじゃないのか?」

 リーアンは言った。ディータは溜め息をついた。

「諦めてもらうために、正直に話すことにする。あの神殿を隠している術は、俺には到底破れないほど高度なものだ」

 リーアンが息を呑んだのが分かった。

「ディータでも無理、なのか?」

 ディータの神官としての正式な地位は分からなかったが、若いながらかなりの高位であることはこの数日間で分かった。以前からディータを知るリーアンが驚くというのは、余程の事なのだろう。

「その神殿、何かあるな」

 リーアンの呟きに、ディータは力なく笑った。

「そうだな、だが今はもうどうしようもない。リーアン、転位術を頼む」

 ディータの言葉にリーアンが低く呻いた。

「え?この砂漠では転位術は使えないんじゃないの?」

 私が言うと、リーアンが説明した。

「使えることは使えるんだ。ただ‥‥どこに飛ぶか分からない」

 リーアンの口調は重い。

「確率は低いけど、この世界と波長の合う異世界に飛ばされる可能性もある」

 私は言った。

「つまり、この砂漠からは行き先を特定出来ないってこと?」

 リーアンは頷いた。

「まずい!」

 辰希が急に緊張した声を上げた。東側の砂山を見ると、何百もの黒い影がこちらに向かっていた。私達を追って来た邪教の者達だった。

「ごめん、気付くのが遅れた」

 辰希は謝りながら荷物から銃を取り出した。

「無理だ。こちらは疲れてる上、相手の数が多過ぎる」

 ディータが辰希を制止した。

「くそっ」

 リーアンは迷いを断ち切るように大きく頭を振ってから立ち上がった。

「仕方ない。側に来てくれ」

 リーアンは片手で私を引き寄せた。辰希とディータも荷物を持って近付いた。

「みんな目を閉じろ。すぐに終わる」

 私は目を閉じた。そして次の瞬間、私達は飛んだ。

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