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 ごちゃごちゃと統一性のない、色とりどりの賑やかな建物が窓の外を滑り行く。龍都では地上十メートルまでの建物しか建てられない決まりがあるので、少し開けた場所からなら、どこからでも紅龍殿が見える。列車は高架橋の上を走行しているので、紅龍殿は驚くほど近くに見えた。

 私は自分の部屋に戻り、荷物の中から封蛇杖を取り出した。ずっしりと重い純銀製の約一メートルほどの杖には、びっしりと聖印が刻まれている。傷がないのを確認してから専用のケースに納め、斜めに背負うように装着する。《蛇》といっても卵なので、この杖は必要ないだろうが用心に越した事はない。

 リーアンは魔法の塔の制服である、深紫のマントを羽織っていた。私も同じように身に着ける。

 力を解放したので先程のような気分の悪さは感じなかったが、腹の底に溜まるような嫌な感じはした。

 通路に出ると、銅鈴を持ったリーアンが前に立って歩き出した。辰希とディータはリーアンの部屋で待機することになっていた。動ける範囲の限られる車内では、人数が多いと身動きが取れなくなる可能性があるからだ。

 九号車のイーレがいた部屋の前を通り過ぎた。結局彼の代わりになる十号車専用乗務員は用意できなかったようだ。それにしてもあの人はいったい何だったのだろう‥‥。

 八号車に入ったところで、リーアンが急に立ち止まった。前方を見ると、乗務員が一人急ぎ足でやって来た。私達の姿を見付けると、困惑顔で立ち止まった。

「お二人は魔導師だったのですか?」

 それは鈴の箱を下ろし、私達を部屋まで案内してくれた乗務員だった。

「そうです。僕達は魔法の塔の仕事でここにいます。危険な魔生物の卵が持ち込まれたという情報がありますので、乗務員の皆さんに協力していただきたいのですが‥‥」

 リーアンの言葉に乗務員は戸惑った表情を見せたが、すぐに力強く言った。

「何をすればよろしいのでしょう?」

 リーアンは淀みなく答えた。

「乗客の皆さんに、部屋から出ないように伝えていただけますか?それから卵は非常に危険なものなので、不審な荷物には決して触らないように徹底して下さい」

 乗務員は頷くと来た道を駆け戻って行った。

 私達は再び歩き出した。全神経を集中させ、卵の気配を探る。

「だいぶ前の方みたいだな」

 リーアンの呟きに私は黙って頷いた。

 早くも乗務員の指示が徹底されていたのか、通路で他の乗客に会う事はなかった。時折すれ違う乗務員は、私達の姿を見ると何も言わずに通してくれた。

「そう言えばルテール一族って‥‥」

 私が言い掛けた言葉をリーアンが継いだ。

「うちの母上の実家だ。だから魔導師への対応はしっかり社員教育で叩き込まれてるんだ」

 私はリーアンの母の出自について全く知らなかったので動揺したが、今はそれどころではないと気を取り直した。

 三号車の入り口で年嵩の乗務員が待っていた。

「三号車担当の乗務員が、展望サロンで不審なものを発見致しました。念のため乗務員もこの車両から退避させてあります」

 私達はその乗務員が開けてくれた扉から三号車に入った。

 一気に鳥肌が立った。体中の全ての毛穴に、邪なものが侵入して来るような気がして足が止まる。

「大丈夫か?」

 気遣ってくれるリーアンに、私は気持ちを引き締めた。

「大丈夫。ありがとう」

 微笑もうとしたが失敗したので、誤魔化すように展望サロンへの階段を上った。

 三号車は二層構造になっている。下が軽食類を販売するスナックコーナー、上が大きな窓からの景色が楽しめる展望サロンだ。

 階段を上ると、それはすぐに見付かった。サロンの一番奥のテーブルの上に雑に布に包まれたものが乗っていた。

 邪気は更に強くなった。しかし私は引っかかりを感じた。

「どうした?」

 物体を凝視したまま固まっている私に、後から階段を上ってきたリーアンが声を掛けた。

「うーん、この気配は確かに《蛇》のものなんだけど、何か違うような‥‥」

 リーアンは溜め息をついた。

「俺は邪気は感じるけど、《蛇》かどうかは分からない。どちらにしても、調べてみるしかないな」

 私は背中から封蛇杖を抜き取った。素手で触るのは危険なので、杖で布が取れるかやってみようと思ったのだ。

 冷や汗が背中を流れた。

 杖で布の端を慎重にすくい上げ、包みを解いていく。きっちり包まれていた訳ではないので、大して苦労することなく中身が現れた。

 その物体を目にした瞬間、私は後方に飛びすさった。リーアンがよろめいた私の体を支えてくれる。

「あれは‥‥」

 絶句したリーアンは、私の手を引っ張って階段の方に向かった。私はリーアンの手を振りほどいた。

「だめよ、放置しておけない!」

 包みから現れたのは、一冊の古書だった。見るからにぼろぼろで、少しでも触れればバラバラになってしまいそうだ。

 書物自体が発する禍々しい気配は、それが闇術の魔法書である事を意味する。

 しかも《蛇》の気をはらんでいるという事は、いにしえの蛇真教の神官が《蛇》の体液をインクにして書いたという「蛇道書」である可能性があった。この書物については魔導師なら誰もが知っているが、誰も実物を見た事がないと言われている。

 私は杖を握り締めた。

「これが邪道書かどうか確かめないと」

 リーアンは首を横に振った。

「本物だとして、珠希の術は書物にも有効なのか?」

 私は考えた。封蛇術とは普段は眠っている《蛇》が覚醒した時に術を以て封じるもので、火野家の魔導師の中に稀に誕生する生まれつきの能力だ。不幸な事に、私はその一人という訳だ。

「分からないけど、やってみるしかないわ。こんなに邪気を撒き散らしていれば、普通の人にもそのうち影響が出るから」

 羊皮紙がこすれる微かな音が聞こえたので見ると、風もないのに書物の表紙が開きページが繰られていった。

「まずい!」

 リーアンは持っていた銅鈴を大きな印を描きながら振り始めた。同時に小声で聖句を紡いでいく。

 書物は中程のページで止まり、開いたページに書かれた文字がうねうねと動き出した。銅鈴の波動はとうに書物に届いていたが、効果は全く見られなかった。文字はページ上でのたくっていたが、空中へ引き上げられるように浮かび始めた。

 宙に浮いた文字は、それぞれがつながり何かの形を取り始めた。

 リーアンは今は銅鈴を振るのを止め、聖句だけを紡ぎ続けていた。緊張した表情がいっそう厳しくなり、私にはリーアンから銀色の波動が広がったように感じた。

 リーアンの紡ぐ聖句は目に見える聖印となり、完成されつつあった邪印に絡み付いた。リーアンの額に汗が浮かぶ。

 私達一般の魔導師は純粋に術として魔祓いは出来ないが、聖鈴のような聖なる魔法具の力を借りれば中等度の術なら使える。

 リーアンが発した聖印は、一見邪印を解くのに成功したように見えた。しかし一旦バラバラになっま書物の文字は、まさに蛇の如く聖印に巻き付き飲み込んでしまった。

 そこでリーアンの集中が途切れた。膨れ上がった文字は、再びつながり合い邪印を作り始めた。

 慎重に観察していた私は、《蛇》についての知識を総動員して邪印の意味を掴もうとした。元々勉強が苦手で実践型の私には、なかなか答えが見付からない。邪印はすぐに完成してしまいそうだ。焦燥感から強く頭を振った。

「焦るな」

 リーアンの冷静な声が、私の心を少しだけ落ち着かせた。息をついて何気なく下を見ると、封蛇杖に刻まれた聖印の中の一つが目を引いた。この杖は非常に古いもので、使い方を教えてくれた先輩封蛇師も、刻まれている全ての聖印について知っている訳ではなかった。私の目に留まったのは、そういう聖印の一つだった。ただ、意味が分からなくても、今目の前で形成されつつある邪印と反対の働きがあるのは形を見て分かった。

 私は深く考える事なく、杖を持ち上げてその印を宙に刻んだ。聖印は禍々しい黒い邪印とは対照的に、白く光り輝いた。

 私が手の平でそっと押すと、聖印は静かに邪印に吸い込まれた。

 失敗したと思った直後、邪印は苦しむように歪み始め、音もなく粉々に砕け散った。

 邪印が消えた後に現れた聖印は、何度かくるくると回転してから書物の開いたページの上に落ちた。そしてパタンと革の表紙が閉じられた。

 一気に世界に音が戻った。列車の走行音、遠くから聞こえる人の話し声‥‥。

 書物はまだそこに存在していた。でも完全に邪気は消え失せていた。

 私は書物を包んでいた汚らしい布に術で火を点けて燃やした。

 リーアンが大きく安堵の息を漏らす。

「珠希、よくやった」

 私は書物から目を離さずに言った。

「神官様を呼んできて」

 リーアンは不満そうな顔をしたが、黙って頷くと階段を下りていった。

 一人になった展望サロンで私は考えていた。封蛇術で制することの出来たこの古書は、蛇真教の闇術書で間違いないだろう。でもやはり伝説の蛇道書かどうかは判断がつかない。それにいささか簡単過ぎはしないだろうか。

「珠希!」

 階段を駆け上がってきたのは背中に封蛇剣を背負った辰希だった。剣の柄と鞘には、封蛇杖のようにびっしりと聖印が刻まれている。

「二人とも三号車の扉の前で、乗務員と揉めてたんだ」

 続いて現れたリーアンが言う。そして最後にディータが階段を上ってきた。

「狭い車内で大剣を振り回す余地などないと止めたんだが、どうしても行くと言うからついて来たんだ。俺にも手伝えることがあるかと思ってな‥‥だがあの頑固じじいが、どうしても通さないと言うから間に合わなかった」

 ディータは残念そうに溜め息をついた。

 私の無事を確認した辰希は、表情を和らげた。そして背中の剣を外してテーブルの上に置いた。

 封蛇剣は辰希の身長ほどもある大剣で、非常に重く扱いが難しい。

 ディータは興味深そうに剣に刻まれた聖印を見ていた。

「この目で本物の封蛇剣と封蛇杖を見られる日が来るとはな」

 私は握ったままの杖を背中のケースに戻して言った。

「神官様、その書物が何かお分かりになりますか?」

 剣に目を奪われていたディータは、私の言葉に顔を上げた。私の視線を辿って書物を見付けると、近付いて気軽に持ち上げた。

 書物が放っていた邪気を知る私とリーアンは同時に息を呑んだ。

「これは蛇真教の開門の書だな」

 こともなげに言ったディータに、私は驚いて訊いた。

「開門の書とは何なのですか?」

 ディータは険しい顔で私を見た。

「封蛇師のくせに、蛇真教の書に関する知識がないのか?」

 私はうろたえて答えた。

「邪道書なら聞いた事が‥‥」

「そんなもの、魔導師なら誰でも知っている!」

 一喝されて私は身を竦ませた。側にいたリーアンが私の肩に優しく手を置いた。

「僕は珠希の盾として、《蛇》に関する知識は一緒に学びました。でも邪道書以外の書物については聞いた事がありません」

 辰希が助け船を出してくれた。私より記憶力のいい辰希が言うのだから、間違いないだろう。

 ディータは長く息をついた。

「それは参ったな‥‥」

 それきり絶句して何やら深く考え込んでしまった。

 私は辰希と顔を見合わせた。蛇道書について調べようと思わなかったのはこちらの落ち度かも知れないが、伝説の書とされていて実在すら定かではなかったのだ。元々向学心の低い私が興味を持つ訳がない。

「決めたぞ!」

 ディータが急に大声を出したので、私達は驚いて彼を見た。

「俺は神官の中でも自由のきく身だ。闇術書に造詣の深い俺が、特別にお前らの師になってやろう」

 得意満面で宣言したディータに、リーアンが冷たく言った。

「そんなもの、誰も頼んでない」

 ディータはリーアンの言葉が耳に入らなかったかのように続けた。

「封蛇師が蛇真教の教典を知らないのは恥だぞ?それにしても火野家は長い間国に引きこもっている間に、多くの知識を失ったようだな、由々しき問題だ」

 ディータは大げさに首を振った。

「あの、知識は大切だと思いますが、今は目の前の問題から片付けましょう」

 私の言葉にディータは手にした古書を見た。

「開門の書は、蛇真教の神殿の遺跡を開くための書だ。神殿の地下深くには、一体の《蛇》が封印されている」

 私は驚きのあまり、言葉を失った。《蛇》が封印された場所には、全てイトラ教の神殿が建てられていると学んだのだ。

 ディータはまた溜め息をついた。

「知らなかったのか?遠い昔蛇真教の神官が《蛇》が封印されたイトラ教の神殿に侵入し、まだ子供の《蛇》を盗み出した。眠っていたのと子供だったのとで成功したんだろうが、どうやって盗んだのかはいまだに謎だ。神官は《蛇》を蛇真教の神殿に連れて行った。その課程で《蛇》が覚醒しかかったという。それで火野家の封蛇師がその《蛇》を封印した。蛇真教の神官達は盾によって全て倒されたが、元々不浄な土地だったためにイトラ教の神殿を建てる事も出来ず、今もそのままだ」

 私は喘ぐように言った。

「それではその封印は、かなり不安定なのではないですか?」

 ディータは真剣な眼差しで私を見た。

「その時の封蛇師は、自分の血で非常に強固な閉門の印を描き《蛇》を封じた部屋を閉じた。たとえ《蛇》が覚醒したとしても、簡単に外に出られないようにな」

 私は奥歯を噛んだ。何故そんな大事なことが伝えられていないのだろう。

「今の火野家にこの話が伝えられていないとすると、理由は想像できる」

 私の表情を読んだのか、ディータは言った。

「その封蛇師は、当時の火野家の禁忌を破った。つまり外国人の男に恋をしたんだ」

 聞いた事がある。昔、封蛇師は一生独身を通し、身を清らかに保たなければならなかったのだという。しかも相手が外国人とは、当時の火野家に許容出来る訳がない。

 ディータは言った。

「まあ、今は恋愛話は重要ではないから割愛するが、とにかく《蛇》が封印された部屋の閉門の印を解けるのは封蛇師だけだ」

 私は目を大きく見開いた。

「開門の書とは、印を解くために封蛇師を呼び寄せる囮の書だ」

 ディータは重々しく告げた。

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