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 鈴が鳴るのは邪なものが通った場合だけではないことを思い出した。対の金鈴と同種の、聖なる印が刻まれた鈴にも反応する。ただ聖鈴はそう誰もが持っているものではないので、可能性を全く考えなかったのだ。

 乗務員や警察官が戸惑っている隙をついて、私は一気に鈴に近付き、輪になった取っ手を掴んだ。そして大きく振る。

「あれ?これ、音がしないのね」

 私は話しながら神経を研ぎ澄ました。この鈴は聖鈴の中でも大きなもので、耳に聞こえる音は出さないが波動は広範囲に広がる。

「何をするんだ!」

 年上の警察官が怒鳴り付けた。顔が真っ赤になっている。

「だってわたし、鈴が大好きなんで思わず振ってみたくて‥‥」

 波動はどんどん広がって乗客達を呑み込んでいく。

「そんな事知るか!勝手に触るな!」

 私は悄然とうなだれた。

「ごめんなさい」

 私は素直に謝った。

 その時、間近から強い衝撃を感じてよろめいた。何とか転ばずには済んだものの、ひどく気分が悪く息が苦しくなる。

「い、いや危険なものではないようだし、今回だけは大目に見てやろう」

 警察官は私の異変を誤解したのか、焦ったように言った。だが私はそれどころではなかった。あの衝撃は銅鈴の波動が反応したものに間違いはない。そして同時に非常に強い邪気を風蛇師として感じた。

「大丈夫か?」

 リーアンが私の体に手を回して支えてくれた。

「列車の中に‥‥」

 苦しいながらも声を絞り出すと、リーアンは囁いた。

「分かってるから黙ってろ」

 私は力なく頷いた。

「あの、気分が悪いようなので、部屋で休ませてもいいですか?」

 私は立っているのもつらくてリーアンに縋りついた。

「もちろんです。どうぞ」

 鈴の箱を降ろした乗務員が、慌てた様子で前に立って案内してくれた。

 私はリーアンに半ば抱えられるようにして歩いた。途中乗客達のざわめきを聞きながらホームを歩き、十号車から列車に乗り込んだ。

 邪気がいっそう体に纏わりつく。これは《蛇》の卵の気配だ。

 辰希が通路で待っていて、何も言わずにリーアンの反対側から私を支えてくれた。

 リーアンの部屋に入ると、体がすっと軽くなり気分も楽になった。

「何かご入り用のものがございましたら、何でもお申し付けください」

 一緒に来た乗務員の言葉に、リーアンが答えた。

「彼女は大丈夫です。ただ、あの鈴のことが何か分かったら教えて下さい」

 乗務員は疑問を差し挟まずに言った。

「かしこまりました」

 部屋の扉が閉まり、私は溜め息をついた。

「この部屋に結界を張っておいて良かったわね」

 私とリーアンは朝食後、この部屋に結界を張って清浄な状態にしておいた。二人とも結界を張る術は使えないので、強力な聖油を部屋の四隅と扉に振りかけた。邪気や不純なものはこの部屋に入って来られない。

 辰希が言った。

「そうだね、なかったら珠希はこの部屋に入る頃には失神してたかも知れないし‥‥」

 リーアンはベッドに座る私の前に跪いた。

「もう躊躇してられない。指輪を外すぞ」

 リーアンは私の手を取ると、優しい手つきで指輪を抜いていった。結婚式での指輪交換の儀式の逆のような光景に、私は不思議な気分になった。

 残されたのは右手中指の封蛇師の証の銀の指輪と、左手薬指の白銀の結婚指輪だけだった。

 大半の魔導師は自分の力を周りに気取られないように、普段は力を封じるための何かを身に着けている。私の場合はそれが指輪なのだ。

 力封じの装身具は自分で取ることが出来ないので、身近な誰かに外してもらう必要がある。

「俺のも頼む」

 リーアンは立ち上がると、おもむろに着ていたシャツを脱いだ。胸には銀色の印が刻まれている。

 私は印の事を知ってはいたが、初めて見るリーアンの裸にどぎまぎした。白く滑らかな肌はまるで女性のようだった。

「早くしろよ」

 リーアンの声で我に返り、私は印に手を伸ばした。指でそっとなぞると、印はすぐに消えた。

「力を解放した魔導師が二人もいると、僕でも気配を感じるよ。運び手は大丈夫なの?」

 辰希の疑問にシャツを着ながらリーアンが答えた。

「卵は空間転位術で運ばれたから、それは心配しなくていい。でも確かに術を使えば、素手で触らなくていいからな」

 辰希は言った。

「術を使えるなら、わざわざ列車で運ぶ必要ないんじゃないの?」

 リーアンは笑った。

「術者として空間転位術を使えるのは、風術師一族のルーナー家の中でも直系に近い数十人だけだ。そして俺達は決して邪悪なものには手を出さない」

 リーアン・ルーナー、それが彼の本名だ。ルーテルというのは偽名で、この鉄道を運営するルテール一族の親族の名前だ。ちなみに私と辰希の本当の姓は火野で、桐原というのは大和の有力政治家の名前なのだ。

「じゃあ、やっぱり転位石を使ったって事よね?」

 リーアンは頷いた。

 転位石の効果はかなり限定的だ。短距離しか転位できないし、一度使用すると壊れてしまう。

「結局、金鈴線は意味がなかったって事だな」

 リーアンは肩を竦めた。私は肩を落として言った。

「邪気を隠す措置を施して来ると思ったのに、気配垂れ流しだもんね」

 私ははっとしてリーアンを見た。

「ちょっと待ってよ、おかしくない?いくら卵でも龍と《蛇》は対極にある存在で、相容れないものなのよ。龍族に放置されてるなんて普通じゃないわ」

 リーアンも難しい顔をしていた。

 その時急に扉に寄りかかっていた辰希が体を起こして扉を見た。しばらくすると騒々しい足音と人の声が聞こえた。

「お待ち下さい!この車両には他の車両のお客様はお入りいただけません」

 直後吹き飛ぶような勢いで扉が開いた。辰希は素早い動きで小型の銃を侵入者に突き付けた。

「動いたら撃ちますよ」

 辰希の言葉は丁寧だが、声は鋭かった。

 侵入者は部屋の入り口で固まっていたが、そのままの姿勢で怒鳴り出した。

「邪なものを引き入れたのはお前らか!?」

 目は燃えて吊り上がり、頬は怒りで朱に染まっていた。

 侵入者はイトラ教の上級神官の白い長衣を着ていた。私達の気配に気付いて乗り込んで来たのかも知れない。

 銃を向けたままの辰希は動じずに言った。

「あなたは誰ですか?」

 神官のなりをした男性は、辰希を睨み付けて言った。

「見れば分かるだろう?フレリアのパーレ大神殿の神官だ。光術も使える」

 私は彼の着けている金のブローチが、パーレ大神殿の神官を表すものだと気付いた。何しろ一月前にお互いの両親だけが出席した私とリーアンの結婚式は、パーレ大神殿で執り行われたのだ。

「あ、ディータ‥‥」

 リーアンが口を開いた。神官姿の男性は、部屋を見回すとリーアンに目を留めた。

「リーアン?何でお前がここに?」

 二人が知り合いだと判断したのか、辰希は静かに銃を下ろした。リーアンが乗務員に言った。

「この人は知り合いなので大丈夫です」

 乗務員は目に見えて安堵の表情をすると言った。

「さようでございますか‥‥それではもうすぐ発車ですので私は失礼致します」

 乗務員が去ると、私達の視線は神官風男性に向いた。

「この人はディータ。魔法学校で俺の二つ上だったんだ。でも俺が入学してから一年で神学校に行くために転校したから、そんなに親しい訳じゃない。何故か兄さんの親友だけどな」

 ディータはリーアンの言葉に複雑な表情を見せて言った。

「何だか可愛げがなくなったな」

 リーアンは薄く笑った。

「可愛いなんて言われるのは迷惑だからな」

 ディータは溜め息をつくと、部屋の中に入ってきた。さすがに四人も部屋にいると窮屈だ。私はベッドの端に寄って息をついた。

「大丈夫か?まだ気分が悪いのか?」

 リーアンは私の隣に座ると、顔を覗き込んだ。

「ちょっと狭いなと思っただけ」

 私の言葉にリーアンはディータの方を向いた。

「用があるなら手短に頼む。こっちは今忙しい」

 ディータは目をむいてまた怒り顔になった。

「ここには結界が張ってあるし、お前がいるなら邪気の犯人ではないだろうが、お前らは何か知ってるんじゃないのか?」

 結界とリーアンの存在で、ディータの私達への疑惑は晴れたらしい。

「塔の仕事だ。邪魔しないでくれ」

 ディータはリーアンを睨み付けると、何故か私の前に来て私の顔を不躾に見た。

「龍族か?それにしては雰囲気が違うな‥‥」

 ディータが顔を近付けてきたので、思わず私はのけぞった。

「ディータ」

 リーアンの声が冷たく低く響く。

「龍族の女は、もっときつい顔をしているしな」

 ディータはリーアンの言葉を聞いていなかったのか、一人でぶつぶつと呟いている。

 次の瞬間ディータは部屋の壁に叩き付けられた。

「いった‥‥何するんだ!?」

 ディータが声を荒らげても、リーアンは涼しく答えた。

「人の話を聞け」

 ディータは壁から離れるとリーアンに向き直った。

「神官に術を使うとは、身の程をわきまえろ」

 イトラ教は世界最多の信者数を誇る宗教で、中でも魔導師は龍族以外のほぼ全員が信者だとされる。神官の中でも癒しや魔を祓う術を使える光術師は、信者から深く尊敬されている。

「敬意を払って欲しければ、それなりの態度を取れ」

 久々の再会のようなのに、険悪な雰囲気の二人に私は言った。

「わたしは炎術師の火野家の者です。神官様は何故この列車に?」

 リーアンは面白くなさそうに眉を吊り上げたが、ディータは今までの表情から一転して上機嫌になった。

「なるほど、火野家の娘か。俺は銅鈴を運ぶために来たんだ。エンジェントの間抜けな下っ端神官が、おとといこの列車に銅鈴を置いたまま降りてしまってな、乗務員にも気付かれずにこっちまで来てしまったから、たまたま龍都にいた俺が代わりにエンジェントまで持って行くことになったんだ。お前可愛いな、リーアンとはどういう‥‥」

 再びディータの体が宙を飛んだ。しかし今回は壁にぶつかる前に体を丸めて耐えた。

「俺の妻に気安く話しかけるな」

 リーアンの声は氷のように冷たかった。

「なっ、妻だと?」

 体勢を立て直したディータは、呆気に取られたように私とリーアンを見比べている。

「とにかく列車が動いたら、仕事を始めるから邪魔しないでくれ。ああそうだ、あの銅鈴を貸してもらいたいんだけどな」

 リーアンはディータの動揺などお構いなしに話を進める。

「子供の頃からの許婚と結婚したって話は聞いたが、まさかこの娘なのか?」

 相変わらずディータは話を聞いていない。

「あの、銅鈴を貸していただけませんか?用が済んだらすぐにお返ししますから」

 私が言うと、ディータはあっさり答えた。

「ああ、どっちにしろ鈴は民のためにあるのだから、お前らが使っても問題ないだろう」

 ディータはいったん部屋の外に出ると、木箱を抱えて戻って来た。そしてそのまま私に差し出す。

「傷を付けるなよ、使い方は知ってるな?」

 私は頷いて受け取ると、早速箱から鈴を取り出した。聖鈴には邪なものを感知するだけでなく、祓う力もある。音のしない無音鈴はその中でも強力だ。

 リーアンが私が持つ鈴を覗き込んだ。

「聖印がびっしりだな。これなら役に立ちそうだ。それにディータは変人だけど、珠希の言うことは聞くみたいだな」

 リーアンの言葉を聞いた瞬間、ディータが目を見開いた。

「なっ、火野珠希なのか!?」

 ディータはいきなり私の両肩を掴んで、今までにない真剣な眼差しで見つめてきた。

「そうですけど‥‥?」

 私は訳が分からないままに答えた。

「良かった、やっと会えた」

 ディータは心底ほっとした様子だ。

「は?何言ってるんだ?」

 状況が理解できずに混乱している私の隣で、リーアンが言った。

「火野珠希に頼みがあって探してたんだ。龍都にいるって聞いたから来てみたんだが、見付からないから鈴の件もあっていったん西洋に戻ろうとしてたところだ。お前らの邪魔はしないから、仕事が終わったら話を聞いてくれ」

 ディータは私に会えてよほど嬉しかったのか、満面に笑みを浮かべている。

 私は返答に困ったが、とりあえずディータの用は後回しにする事にした。

 時刻は午前九時ちょうど。列車が動き出した。十時間後の西華駅までどこにも停まらない。

「ディータなんて気にしなくて言い。さあ、行こうか」

 リーアンの言葉に私は大きく頷いた。

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