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 辰希とリーアンの話し声が聞こえた。最初は小さな雑音だったそれは、意識が戻るにつれて意味を成していった。辰希がリーアンに説教をしているようだった。

 私はうっすらと目を開けた。二人はベッドから離れた所にいるらしく、姿は見えなかった。

 そう言えば私は部屋に入ってからの記憶がない‥‥。

「だからね、珠希には優しくしてあげてよ」

 辰希の声が近付いて来た。私は目を閉じた。

「珠希おはよう、寝た振りをしても無駄だよ」

 私はぱちりと目を開けた。

「この後はリーアンが面倒見てくれるよ。じゃあ、僕はやることがあるから行くね」

 辰希はにっこり笑うとゆったりとした足取りで部屋を出て行った。

 私は訳が分からなかったものの、リーアンがいる事は知っていたので小さく呼びかけた。

「リーアン?」

 リーアンは返事をしなかったが、重い足取りでベッドの側までやって来た。私はリーアンを見上げてぎょっとした。

 顔中が想像を絶する有り様を呈していた。

 左目蓋は腫れて目がほとんど塞がり、両頬は私が叩いた時とは比べものにならないほど腫れ上がっていた。口角は切れ、血が滲んでいる。顔全体が赤やら青やらの斑模様になっていた。

 私はショックのあまり言葉を失った。

 辰希がやったのは明白だ。しかしこれはあまりにひどい。

「えっと、大丈夫‥‥じゃないわよね」

 開いているリーアンの右目は痛みのためかやや潤んでいる。

 私はゆっくりと体を起こした。どこにも痛みはなく、眩暈も感じなかったのでそのまま立ち上がった。

 リーアンが手で制するのを無視して、クローゼットの中からスーツケースを取り出した。中から白い革張りのケースを出すと窓際のテーブルに置いた。

「リーアン、ここに座って」

 私がソファを示して言うと、リーアンは素直に従った。

 私はケースを開いた。中には貴重な魔法石や壊れやすい魔法具がいくつも納められている。

 私は少し考えてから手の平サイズの丸いガラス玉をそっと取り出した。中が空洞なのでとても割れやすい。

「ええと‥‥また痛いけど我慢してね」

 私はリーアンの顔めがけてガラス玉を思い切り投げ付けた。そしてガラスの破片が当たらないように距離を取る。

 ガラス玉はリーアンの顔に当たり、派手な音を立てて砕け散った。

 リーアンは言葉にならない呻き声を上げた。砕けたガラスの破片はキラキラと輝きながらリーアンの顔の傷に吸い込まれていく。

 私はその時の痛みを思い出して震えた。まさに砕けたガラスが皮膚に突き刺さる痛みなのだ。

 リーアンはしばらく呻いていたが、やがて力尽きたようにぐったりとソファに沈み込んだ。

 私はリーアンの顔を覗き込んだ。傷は全て完全に治癒していた。

 私は安堵の溜め息をつくと、白いケースをスーツケースの中に戻した。

 そしてようやく自分がまだ下着姿なのに気が付いた。一瞬動転したがいまさらどうしようもない。

 私は別のワンピースを着てさっきのサンダルを履いた。

 リーアンは眠っているのか気絶しているのか、目を閉じて動かなくなっていた。私は毛布をそっとかけた。

 リーアンの顔は本当に美しい。透き通るような白い肌、形のいい唇、あまり高くはないが鼻筋は通っていて‥‥見ていると触れたい衝動に駆られる。

 散々迷った末に私はリーアンに近付いた。少し癖のある銀色の絹糸のような髪がリーアンの頬にかかり、美しい陰影を作り出していた。

 私はその髪にそっと触れた。リーアンがぴくりと身動きしてゆっくりと目を開いた。気怠げに私を見上げると、不思議そうに呟いた。

「珠希?」

 私はぱっと手を離し数歩後ずさった。

「か、顔は元に戻ったから心配しないで」

 リーアンは自分の顔を撫で回した。私は小さな手鏡を渡した。

 鏡を見て安心したのか、リーアンの表情が和らいだ。

「よく癒し玉なんか持ってたな」

 癒し玉はさっきリーアンに使ったガラス玉のことで、かなりの痛みを伴うが外傷を綺麗に治してくれる。高価だが癒し系の術が使えず危険に巻き込まれやすい私と辰希にとっては必需品だ。

「私達もよく使うから」

 笑顔を向けると、リーアンは困ったような顔をした。

「どれだけ危ない事をやってるんだよ?」

 私は返事に困り笑って誤魔化すことにした。

「笑い事じゃない」

 リーアンの目には苛立ちがあった。

「これからはもうちょっと自覚を持って行動してくれよ。結婚したんだから」

 リーアンは真剣に私を見つめた。

「それとさっきはごめん。服を切り裂いたりして‥‥冷静になって考えたら女の服を裂く男なんて最低だな」

 リーアンは自嘲気味に笑った。

「やり返してスッキリしたから大丈夫」

 私の言葉にリーアンは急にそわそわし始めた。

「あれって幻炎術ってやつだよな?」

 幻炎術は決して攻撃魔法ではない。かけられた方はいきなり炎に包まれて一瞬パニック状態に陥るが、炎自体は熱くもなくまさに幻なのだ。私はリーアンを驚かすためだけに使ったつもりだった。

 ただし何らかの呪いを受けた人間がかかると、炎に焼かれるような熱さと痛みを感じて悶絶する。浄化力のある炎が簡単な呪いなら焼き尽くしてしまうのだ。

「そうだけど?」

 私はリーアンが炎に包まれて苦しんでいたのを思い出した。

 リーアンは右手首にはめていた銀の腕輪を外して私に見せた。

「右手首の内側に呪いの印があったんだ。結構複雑な呪いだったはずだけど綺麗に消えてる」

 私は全く驚かなかった。

「だって私達、術の相性がいいんだから、お互いにかけた術がの何倍かの効果を現しても不思議じゃないわ」

 リーアンは小声で言った。

「ありがとう」

 私はさらりと言った。

「呪いをかけられてたなんて知らなかったから、私はただびっくりさせようと思っただけよ。ところで何の呪いだったの?」

 リーアンは溜め息をついた。

「まだ小さい時に父上に恨みを持つ闇術師がかけたんだ。心臓を弱らせる呪いをね」

 私は目を見開いた。闇術はある邪教の神官が使う邪悪な魔術で、当然魔法の塔から認可されていない。

 それに心臓を弱らせるような呪いは闇術でもかなり高度な筈だ。

「そう言えば、今までより顔色が良くなったような気がするわ」

 リーアンは美しいがあまり血色が良くないせいで冷たい印象だった。それが今ではほんのりと頬に赤みが差し、唇にも赤みが戻ったために眩しいほど輝いて見える。

 私は思わず眩暈を感じてふらついた。リーアンは慌ててやって来ると私の体を支え、そのまま胸の中に抱き締めた。

「激しい術も使えなかったし、ほとんど運動も出来なかったんだ。ありがとう、珠希。一生大事にする」

 私はどうしていいのか分からずに混乱した。今まで家族以外の男性に触れられたことなど記憶にないのだ。

「心配するな。さっき辰希に散々言われたけど、珠希は過剰なくらい周りに守られて今まで男と付き合った事もないんだろ?無理強いしたりしないから‥‥」

 耳元で囁かれて私の鼓動は倍になった。

「今日は下着姿を見れたから、それで満足する事にする」

 熱くなっていた体が一瞬で冷えた。どうやらリーアンは私を怒らせるツボを心得ているらしい。

 リーアンの胸の中から抜け出して少し距離を取ると、私は指を突き付けた。

「心臓が弱いのに、何で辰希の暴力をおとなしく受け入れたの?死にたいの?」

 辰希の役目は何があろうと、相手が誰であろうと私を守ること。強い攻撃術を使える代わりに私は防御がほとんど出来ない。辰希は幼い頃から私の盾となるために鍛えられたのだ。

 そのために私を傷付ける相手には容赦がない。私の夫となったリーアンも例外ではないようだ。

「ああ、珠希と結婚するから炎術の事を可能な限り調べたんだ。それで幻炎術も知ってた。だからあの時呪いが解けたのもすぐに分かったんだ。辰希が怒るのが理解出来たから好きにさせてただけさ」

 私は呆れ果てて言った。

「は?リーアンって痛いのが好きなの?一、二発殴られるだけならともかく、あんなにめちゃくちゃにされて‥‥」

 リーアンは肩を竦めた。

「俺にそんな趣味はない。ただ、辰希にとって今までは珠希が全てだっただろ?そこに俺みたいなのが現れて面白い筈がない。喧嘩で気が済むなら、いくらでも相手になってやるよ」

 リーアンの目がキラリと光った。

 私は溜め息をついた。辰希は私の盾としてこの先も一緒に生活する。二人が仲良くしてくれないと私がやりにくい。

「喧嘩するなら、お互い死なない程度にしてよね」

 辰希が両手に大きな紙袋を持って入って来たので、私は二人に向かって言った。

「心配しないで。さっき一生分殴ったからもう二度とリーアンに手を出さないよ。でももうちょっとひどい顔のままでも良かったのに」

 にこやかに言う辰希に、私は背筋が寒くなった。

「珠希が治してくれたから、ほら元通り。全く根に持ったりしてないから気にしなくていい」

 リーアンは辰希よりにこやかに応じたが、目は鋭く光っていた。

「いい加減にしないと、二人とも火だるまにするわよ!もちろん本物の火でね」

 二人は一瞬黙り込み、私を見た。そして辰希は溜め息をつき、リーアンは一歩後ずさった。

 二人の言い合いが止んだのを見て取ると、私は口を開いた。

「辰希が持って来たのは食べ物?」

 辰希は両手に持っていた紙袋をベッドの上にどさりと置いた。

「列車の中を見て回ったら、軽食の自販機があったから買って来たよ」

 中を覗き込むとカップ麺や菓子パンが二つの袋に溢れんばかりに入っていた。

「わあ、ありがとう」

 私と辰希、そしておそらくリーアンもまだ朝食を食べていない。私は喜びで目を潤ませながら、袋の中に手を突っ込んだ。

 私が取り出したカップ麺を見てリーアンが訊いた。

「それ何?」

 私の手には天ぷらそばのカップ麺があった。

「大和の食べ物でそばの上に天ぷらが乗ってるの。って言っても分からないかな?食べてみる?」

 私が差し出すとリーアンは素直に受け取り、カップ麺を矯めつ眇めつした。

「僕はお茶とお湯の用意をしてくるよ、自販機コーナーにポットがあったから」

 辰希はすぐに出て行った。

「このカップ麺って、全部大和の会社が作ったものだろ?」

 私は笑った。

「そうね。たぶん他のものもあったんだろうけど、辰希が買ってこなかったんだと思う」

 リーアンはふうんと言いながら自分の前にカップ麺の山を築いた。

「何やってるの?」

 まさか全部食べる訳ではないだろう。

「食べたことないやつを出してみたんだ。どれを食べようかな?」

 リーアンの目はキラキラしていた。好奇心は強いようだ。

「リーアンの味の好みが分からないし、勘で選べば?」

 リーアンが意を決したように持ち上げたのはきつねうどんだった。甘く煮た油揚げが口に合うか心配だったが、私はあえてコメントを差し控えた。

 戻って来た辰希は手早く茶の用意をし、リーアンのきつねうどんを用意してやった。私は自分のカレーラーメンが出来るまでくるみパンにかじり付いた。

「ずるいぞ珠希、一人だけ食べて」

 リーアンが口を尖らせた。

「リーアン、さっき珠希がどれだけ自由のない生活をしてたか話したよね?そんな珠希の最大の楽しみが食べること、次に飲むことなんだよ。だから改まった場所以外では自由にさせてやってよ」

 私は辰希がリーアンにどんな話をしたのかとても気になったが空腹の方が勝り黙々と口を動かした。

「全く過保護だな」

 リーアンは溜め息をついて言った。

「僕は珠希が一番大切だからね」

 事もなげな辰希の言葉に、リーアンは肩を竦めた。

「それさっきも聞いた」

 辰希はにっこり笑いながらリーアンのうどんの蓋をはがしてかき混ぜてやった。

「リーアン、もう食べれるよ」

 辰希は結局誰に対しても世話を焼くのが好きなのだ。

 リーアンは辰希に渡されたプラスチック製の箸を器用に使って一口油揚げをかじった。そして何度か瞬きして言った。

「うまい!」

 リーアンは目を輝かせて夢中で食べた。私と辰希は顔を見合わせて微笑んだ。

 食事を終えると辰希が言った。

「珠希、後一芝居よろしくね」

 私は空になったカップ麺の容器や、パンの袋を片付けていた手を止めた。

「芝居はもう終わりでしょ?」

 辰希はにやりと不敵に笑った。

「イーレさんを黙らせたって言ったの、覚えてない?黙らせたのはいいけどうまく片付けないと厄介だからね」

 私は血の気が引くのを感じた。

「黙らせたってまさか‥‥」

 私は片付けていたものを放り出し、部屋を飛び出した。リーアンも後に続いた。

 通路にはわずかに響く列車の走行音と、私達の息遣い以外何も聞こえなかった。

 列車の見取り図は頭に入っていたので、私は迷わず九号車にある乗務員控え室に向かった。

 九号車には客室が五つと、十号車専用乗務員用の個室がある。私は迷わずイーレの部屋のドアを引き開けた。

「‥‥」

 ベッドと机だけの狭い部屋の床には、イーレが体を折るようにして倒れていた。うつ伏せになっているので顔は見えない。ざっと見た所、外傷はないようだがぴくりとも動かない。

 私は慌てて駆け寄り、イーレを上向かせた。

 瞬間、イーレが素早い動作で体を起こし、私を後ろから押さえ付けた。首筋に冷たいものが当たる。

「動くなよ、動いたらこいつの命はないぞ」

 イーレは今までの柔らかい声とは違い、低い凄みを利かせた声で言った。

「お前バカか?」

 リーアンは冷たい声で言ったが、緊張感はまるでない。

「あーあ、痛い目に遭わないようにしてあげようと思ったのになあ」

 私は意識を集中すると、軽く指でイーレに触れた。

 イーレは青い炎に包まれた。一拍置いて絶叫が響き渡る。

 私はイーレの側を離れると、軽く服を払った。そしてくるりと向き直り、手を上げて炎を消した。

「ちなみにこれは仮炎術ね。かけられると高位の魔導師以外は業火に焼かれる気分が味わえる。更には長時間だと間違いなく気がふれる。そして呪いが解けるなんていう効果は全くなし」

 物問いたげなリーアンの視線を受けて私は説明した。

 リーアンは溜め息をつくとイーレに言った。

「病気になったとでも言って龍都でこの列車を降りろ、分かったな?」

 床に座り込んだイーレは何の反応も見せなかった。しかし私が一歩近付くと、震える声で慌てて言った。

「分かった、分かったから近付かないでくれ」

 イーレは哀れなほど怯えて震えていた。

「それからもう一つ。私達の事は誰にも言わないでね」

 イーレは何度も頭を上下に動かして同意を示した。

「呆気ないね」

 後ろから辰希の声がした。

「あなたが何のためにここにいるのか知らないけど、その程度では僕達の敵じゃないね。さ、部屋に戻ろうよ」

 哀れなイーレを残して私達は部屋を出た。

「あの人は警察じゃないって事よね?でも残念だなあ。背が高くて格好良かったのに」

 前を行く二人は同時に振り返り、私をぎろりと睨み付けた。

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