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「リエル、お前が出てきたら、話が複雑になると言っただろ?」

 シャルナは苦い顔をした。リエルと呼ばれた少年はそんな言葉など気にする風もなく、笑顔を浮かべてシャルナの前に立った。

「同じ場所にいるならいつ鉢合わせするか分からないし、最初にご挨拶しといた方がいいと思ってね」

 リエルが差し出した短剣を、シャルナは受け取った。リエルはそのままリーアンに駆け寄って抱きついた。

「兄上、お久しぶりです!もうお会いすることはないかと思ってました」

 リーアンは呆然としながらも、リエルの背中に腕を回した。

「リエルって、本当にリエルなのか?」

 リーアンの当惑は私にも伝わった。

「兄上がどのように聞かされたのかは分かりませんが、僕は子供の時に神官になるためにここに来たんです」

 リーアンはリエルの腕を解き、じっと顔を見つめた。リーアンの目は緑だが、近くで見るリエルの目は銀色をしていて、思わず息を呑んだ。

「僕の目がそんなに珍しいですか?」

 リエルは私達の顔を見回してから言った。

「ごめんなさい、その目は神の瞳ですね?」

 私は言った。世界にはごく稀に、人種や性別関係なく金や銀の瞳を持つ者が生まれる。イトラ教では太陽の光を金、月の光を銀で表す。そのため昔から金や銀の瞳の持ち主は、神の使いとして神官になる場合が多いのだ。

「そう言われていますが、僕は特別な存在でも何でもありません」

 リエルはにっこりと微笑んだ。屈託のないその笑顔はまさに天使のようだ。

「なるほどな」

 ディータが呟いた。

「神の瞳を持つ者が魔導師の一族に生まれた場合、特殊な能力を持っている場合が多いと聞く。だから子供の頃から修行をして神官の中でも特別な地位に就くのだとか」

 リーアンは溜め息をついた。

「俺は父上に、リエルには特別な理由があって遠くの学校に行ったって聞かされてた」

 リエルは微笑を崩さない。

「まあ、修行していたわけですから学校みたいなものです。父上や母上はお元気ですか?それにクレイス兄上も」

 リーアンは言った。

「みんな元気だ。それにリエルがいなくなってから、弟のロナンが生まれたんだ」

 リエルはほんの少し驚いた顔をした後、満面の笑みを浮かべた。

「それは素晴らしいです!僕も会えたらいいのに」

 リエルが寂しげな目をしたとき、シャルナがわざとらしく咳払いをした。

「リエル、皆さんお疲れなんだ。話は後にしろ」

 リエルははっとしたように飛び上がった。

「あっ、ごめんなさい。兄上、皆様、また後ほど」

 リエルは言い終わると、私達がやって来た森の中に駆けて行った。

「それでは神殿へどうぞ」

 シャルナはリエルの後ろ姿を見送る私達に言うと歩き出した。

 私達は慌ててシャルナの後を追った。

 神殿の外観を彩るのは、壁に施された彫刻だけだ。よく見ると全て神話をモチーフにしたものだと分かった。

 神殿の中は光と静寂に満ちていた。すぐ外にある森の木々の葉擦れや、鳥達のさえずりの音は一切聞こえない。私達以外に人の気配もなかった。

 シャルナは二階の奥まった場所に私達を案内した。たくさんの部屋の扉が、緩やかに弧を描く廊下に並んでいる。私達の部屋は広くはないが個室だった。

「浴室と手洗いは廊下の一番奥です。部屋に食べ物と飲み物を用意させましたので、お召し上がり下さい。それではごゆっくりお休み下さい。夕刻にまた参ります。ディータは私と一緒に来い」

 シャルナはディータを伴って去って行った。残った私達三人は、疲れた顔を見合わせたがそれぞれの部屋に入った。

 部屋の中は清潔で、想像していたより居心地が良さそうだった。家具はベッドと机しかなかったが、所々に木の葉の模様が彫り込まれた美しいものだった。

 大きめの机の上には保冷容器、鍋と食器類が入った大きな籠、そしてパンが山盛りの籠が置かれていた。保冷容器には水のボトルとグラス、保温機能のある鍋には野菜と豆の具沢山スープが入っていた。

 私は冷えたグラスに水を注ぐと一気に飲み干した。砂漠で水が尽きてから、初めて口にする水だった。よく途中で倒れなかったものだと自分でも思う。でもなぜか、森に転位してから疲労も喉の渇きも薄らいでいたのだ。軟らかな水は喉を潤し、細胞一つ一つにまで染み渡った。

 二杯目はゆっくりと味わった。水にはわずかに柑橘系の果物の果汁が搾られているらしく、爽やかで口当たりが良かった。

 喉の渇きが消えると、激しい空腹感に気付いた。砂漠では暑さで食欲がわかず、無理に少量の食べ物を口にしていたのだ。

 私は熱々のスープを皿に盛った。食欲をそそる香りに腹が鳴った。

 私は一口スープを口に運んだ。野菜の味が染み込んだコンソメスープは、派手さはないものの温かい味がした。

 あっと言う間に三杯のスープを平らげると鍋が空になった。保温機能を切って一息つく。

 しばらくぼんやりとしていると、強烈な睡魔が襲って来た。到底抗えそうもない。

 私はそのままベッドに倒れ込み、気絶するように眠りに落ちた。


 体が震える。寒さで意識が覚醒した。ゆっくりと目を開けると、見慣れない部屋に頭が一瞬混乱した。すぐに神殿の中なのを思い出し、体を起こした。

 布団を掛けずに眠ったので、すっかり体が冷えてしまった。筋肉も強ばっている。

 私は浴室があるというのを思い出し、荷物の中から着替えを引っ張り出して廊下に出た。結局砂漠に下りてから一度も着替えをしていない。自分がいかに汚れているかに初めて思い至り、一人で顔をしかめた。一緒にいたシャルナや、リーアンの弟だというリエルは、顔に出さなかったものの悪臭に耐えていたのかも知れない。

 私はいても立ってもいられなくなり、小走りで浴室に向かった。

 廊下には他に誰もなく、私の足音だけが騒々しく響いた。

 脱衣所には棚があり、籠が置かれていた。まるで故郷の大和の銭湯か温泉のような風情だ。すっかり持って来るのを忘れていたが、タオルが棚の端に積まれていて安心した。浴室利用者は使っていいものだろうと判断し、大小それぞれ一枚ずつ借りることにした。

 浴室に入り、ここが大和の銭湯をイメージして作られたのだと確信した。

 壁一面にど神山ヒイラが描かれている。長方形の湯船にはなみなみと湯が満たされ、何か葉っぱのようなものが詰め込まれた薄布の袋が浮かんでいた。湯は薄い緑色で、浴室全体に森の中にいるような香りが漂っていた。

 壁に取り付けられたシャワーの近くには、シャンプー、トリートメント、石鹸が置かれていた。シャワーは一カ所で鏡もない点が銭湯との違いだ。

 私は全身を時間をかけて洗い上げた。この数日間の疲れが、汚れとともに落ちていくのを感じた。

 洗い終わった頃にはすっかり身も心も軽くなり、気分良く湯船に体を浸した。深めの湯船で手足を伸ばしていると、体がどんどん暖まり気力も湧いて来た。

 そのまま爽快な気分で上がり、持って来たワンピースを着て浴室を出た。ドライヤーがなかったので髪は濡れたままだ。

 浴室を出てすぐのところで何かに躓いた。驚いて見てみると、リーアンが壁に背中を預けて座り込んでいた。

「どうしたの?気分でも悪いの?」

 リーアンは弱々しく顔を上げた。

「ああ、珠希」

 心ここにあらずといった雰囲気でリーアンは答えた。浴室はちゃんと男女別になっているが、リーアンに入浴した形跡はなかった。

「リーアン、どうしたの?お風呂に入らないの?」

 私は心配になって顔を覗き込んだ。顔色は悪くないが、開かれた目の焦点が合っていない。それに強烈な悪臭を感じて反射的に数歩飛びすさった。

「リーアン臭い」

 私が鼻をつまみながら思わず呟くと、リーアンは何度か瞬きをしてから真っ直ぐ私を見た。

「珠希‥‥何?」

 まともな反応が返って来たのでもう一度言った。

「リーアン臭うよ。お風呂に入らないの?」

 私は言いながらさらに遠ざかった。自分も先程まで、同じように悪臭を放っていたに違いないのだが、臭いものは臭い。

 リーアンは落ち込んだような顔をした。

「ここの風呂は共同だ」

 私は首を傾げた。

「いつ誰が入って来るか分からない場所で、裸になんかなれない」

 リーアンの声は不機嫌そうだ。

「どうして?」

 私は単純な疑問を口にする。

「は?」

 リーアンは鋭い目で私を睨んだ。なぜか怒らせたようだが、放心状態のままよりはいい。

「だって入って来るとしても全員男性だし、ここなら辰希か神官の方しかいないんじゃない?」

 リーアンはゆっくり立ち上がると、私との距離を詰めた。手にはタオルや着替えを抱えていた。

 私はリーアンが近付いた分遠ざかった。

「あれ、風呂に入ったのか?」

 リーアンは私をまじまじと見て言った。

「そりゃ、入るでしょ。体が汚れて気持ち悪かったし」

 私の言葉にリーアンは言った。

「へえ、珠希は人前で裸になっても平気なんだな?」

 私はすぐに言い返した。

「何言ってるの?混浴じゃないし平気に決まってるでしょ」

 リーアンの顔が引きつった。

「全く理解できない」

 私は溜め息をついてから言った。

「ごちゃごちゃ言ってないで早く入れば?入りたくないなら好きにすればいいけど、体をきれいに洗うまでは臭いからわたしに近付かないでね」

 私がリーアンに背を向けて歩き出そうとしたとき、男性用浴室の扉が開いて辰希が現れた。

「全くこんな場所で喧嘩するなんて、恥ずかしいと思わないの?」

 私とリーアンは口を結んだ。

「リーアン、僕がここで誰も入らないようにしといてあげるから、入っておいでよ。誰かが来る確率は低そうだけどね」

 辰希の親切な申し出に、リーアンは一瞬で顔を輝かせた。

「誰かいると思ったけど、辰希が入ってたのか。ありがとう!」

 リーアンは辰希に駆け寄って手を握ろうとしたが、辰希は顔をしかめながら素早い身のこなしで離れた。

「後で握手でも何でもするから、早く入って」

 辰希の言葉には人を従わせる力があった。

「分かった。じゃあ頼む」

 リーアンは上機嫌で浴室に姿を消した。

「僕達は部屋に戻ろうよ」

 私は驚いて辰希を見た。

「ここにいるんじゃなかったの?」

 辰希は薄く笑った。笑顔なのに背筋が冷えた。

「どうして僕がリーアンのために、そこまでしないといけないの?ここはどうせ誰も来ないよ」

 私は目を見開いて辰希を見た。

「でも辰希が言ったのよ?ちょっとひどくない?」

 辰希は今度は大きく笑った。

「全然ひどくないよ」

 辰希はさっさと歩き出した。私が代わりにここにいようかと思ったが、面倒なのですぐに考え直した。

 私が追いつくと、辰希が言った。

「横になって休んでたのに、珠希の足音で目が覚めたんだよ?何かあったのかと思ったけど、方向的にお風呂かトイレだと思ったから声掛けなかった」

 私は言った。

「ごめん。早く体を洗いたかったの」

 辰希は小さく溜め息をついた。

「神殿や公共施設では廊下を走ってはいけません」

 口調が大和にいた時の私の家庭教師に似ていたので思わず吹き出した。

「分かりました、先生」

 辰希は口調を戻して言った。

「ここだけど、何のための場所だろうね?隠されてるのには意味があるはずだよ」

 私は考えた。本来イトラ教の神殿は、街の中にあることが多い。人々にすぐに救いの手を差し伸べるためだという。

「何かイトラ教の秘宝のようなものがあって、ここの神官の方達はそれを守っているのかも」

 辰希が言った。

「厄介な場所に来てしまった気がするんだよ。簡単にここから出られるとは思えない」

 私はここに着いてから、説明のつかない居心地の悪さのようなものを感じていた。神聖な場所に間違って足を踏み入れてしまったような‥‥。

「無事に出られることを祈るしかないわね」

 ここで辰希といくら話しても結論は出ない。私達の持つイトラ教の知識は、ごく基本的なものなのだから。

「そうだね」

 辰希はぽつりと言った。

 部屋に戻ると、ベッドのシーツが交換されていた。スープの鍋や食器類も片付けられている。ボトルの水も足され、新しいグラスが用意されていた。

 私は水を一杯グラスに注ぎ、ゆっくりと喉を潤した。

 すっかり元気になった私は、もう眠気も感じなかった。

 空腹を感じてパンに手を伸ばそうとした時、部屋の扉が爆発するように開いた。

 私は片手を空中に止めたまま、驚いて侵入者を見た。

 髪から水滴を垂らし、顔を真っ赤にしたリーアンだった。

「辰希はどこだ!?」

 私に詰め寄るリーアンは、目を吊り上げ体を小刻みに震わせている。

「えっと‥‥、もしかしてお風呂に誰か入って来た‥‥とか?」

 私は恐る恐る尋ねた。リーアンの目が鋭く光った。

「どうして分かるんだ?もしかして‥‥」

 リーアンはさらに私に近付いた。

「な、何?」

 私がリーアンから離れると、リーアンは張り詰めていた表情を緩めた。

「ごめん、珠希には関係ないのに」

 リーアンはベッドに力なく腰を下ろし、うなだれてしまった。

「ええっと、お風呂に誰か入って来たの?」

 私の質問に、リーアンは小さく答えた。

「ディータ」

 私は納得した。ディータも長旅で相当疲れているに違いなかった。

「知り合いで良かったじゃない」

 言ってしまってから私は後悔した。どういう事情があるのか分からないが、リーアンはディータに対してわだかまりのようなものを持っているように感じていたからだ。

「知り合いであろうとなかろうと、嫌なものは嫌だ」

 リーアンの言葉ははっきりとした拒絶を示していた。私はそんなによく利用したわけではないが、銭湯や温泉は大和ではごく身近なものだ。リーアンの気持ちを理解するのは難しかった。

 私が色々と思いを巡らせていると、突然リーアンが立ち上がり、決然とした様子で宣言した

「辰希を探して来る!」

 そして風のように去って行った。私は大きな溜め息を一つ、ついた。

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