ぼくたちは分化する
夏の間に背が3センチ伸びた。おかげで身体のあちこちが痛い。そんなことをフウカに話すと、「成長期かもね」とくすくすと笑った。夏の終わり、棒アイスをくわえるぼくたちの頭上、フウカの家の風鈴がちりんと鳴く。
「リンドウ、シシュンキなんじゃない?」
「よせよ」
ぼくはややむっとして答える。
「シシュンキなんて、冗談じゃない」
未分化のぼくたちはシシュンキを迎えると、ぼくたちの意思とは関係なく、身体がオスかメスかに分かれる。そして、一生その性別のまま過ごすのだ。それはつまり、フウカとぼくが別々の性別になってしまうかもしれないということ。
「そんなにムキにならなくても。いつかは来るんだよ、オトナになる時がさ」
「ぼくはオトナになんかなりたくないな」
「案外悪くないかもよ? ……まあ、自分がオスやメスになった姿って想像できないけど」
「ぼくも想像できない」
それは半分嘘で、半分は本当のことだった。平べったい自分の胸を触る。フウカも同じように胸や喉を触っていた。この胸が、いつか膨らんできたり、喉仏が出てくる様を想像すると、なんだかとてもおかしなことのような気がした。だけど、ぼくにはなぜか、膨らんだフウカの胸が想像できるのだ。フウカはぼくより幾分華奢で、声も高い。胸の辺りまで伸ばした黒髪もよく似合っている。きっとフウカはメスになるだろう。ぼくはメスにはなれない気がする。オスへと分化した自分の方が、まだいくらか想像ができた。
「フウカは選べるとしたらどっちになりたい?」
「んん?」
「オスとメス」
「んー……そうだなぁ……」
フウカは思案するように宙を見上げる。その拍子に、ぽた、と溶けたアイスが一滴落ちた。おっと、とフウカは慌ててそれをぬぐう。
「どっちになりたいとか考えたことなかったな。なるようになるんだろうなって思ってたし。そういうリンドウは?」
「なにが?」
「どっちになりたい? オスとメス」
「……なりたいっていうか……何となく、オスになる気がする」
「オスかぁ。うーん、想像できないな」
「じゃあメスなら想像できる?」
「ううん。リンドウはリンドウとしてしか想像できない」
フウカはぼくをまじまじと見たあと、笑みの混じった声で、けれどはっきりとそう言った。
「ぼくもフウカをフウカとしてしか想像できないよ」
二人の間に沈黙が落ちた。その沈黙を縫うように、風鈴がまたちりん、ちりんと風に揺れる。
「ねえ」
「うん」
「もしもさ、この先お互いがオスとメスに分かれちゃってもさ、ずっと友達だよね?」
「当たり前だろ」
ぼくたちはお互いの顔を見ずにそう言った。視界の端でフウカの髪が揺れ、小さく頷くのが分かった。
十四歳のぼくたちのクラスメイトの中には、既に分化の兆候が現れているやつもいる。強制的に変化する身体に誰もが漠然とした不安を抱えていた。それを口に出すことはなくとも、互いの空気で察していた。
フウカもぼくも、変化を恐れている。身体がすっかりオスやメスに変化したあと、それでもなお変わらないものがあると信じたかった。不確実な未来は誰も保証してくれない。
「だよね。ごめん、変なこと言った。忘れて」
「気にするなよ」
ぼくはわざとぶっきらぼうに言ってアイスをかじる。フウカの声が少しかすれていたのには気付かないふりをした。
そして、ぼくとフウカのシシュンキは同時にやってきた。
秋、ふと自分の声の通りが良くなったような気がした。それから、フウカの身長がぐんと伸びた。夏の終わりにはぼくの方が僅かに背が高かったのに、秋の半ばにはフウカの身長がぼくを追い越してしまった。これはもしかしたら、ぼくもフウカもオスになるのかもしれない。そんなことをふたりで話していた時だ。
ぼくの胸が、僅かに膨らみ始めたことに気がついた。
ぼくたちは大いに混乱した。フウカの声は次第にかすれ、低く変化していく。ソプラノを歌えたフウカはテナーへとパートを変えた。僕はアルトのまま高くも低くもならない。一度始まってしまった変化は、まるで春を待ちわびた草木のようにいっせいに芽吹いた。細かったフウカの腕にうっすらと筋肉がつき始めた頃、ぼくは生まれて初めてブラジャーを買った。身につけた姿を鏡で見て、なんだか似合わないなと思った。
クラスメイトの分化が進むにつれ、ぼくたちはオス同士、メス同士でいることが増えた。それにしたがって、ぼくとフウカも別々に過ごすことが増えた。保健室の先生は「オトナになるってそういうことよ」と少しさみしそうに笑ったけれど、ぼくには不自然なように感じた。
どうしてぼくはメスに分化したのだろう。どうしてフウカはオスに分化したのだろう。
どうしてぼくたちはずっと一緒ではいられないのだろう。
ぼくは次第にひとりで過ごすようになった。メスに分化したみんなが嫌いなわけではない。ただ、流されるように変わっていく自分が嫌だった。「リンドウはリンドウとしてしか想像できない」と言ったフウカの言葉が胸の中を激しく吹き回っていた。ぼくはぼくのままでいたかったのだ。
冬が来て、春が来て、学年が変わった。桜が散り、青葉が茂り出す頃、フウカに声をかけられた。
「一緒に帰ろう」
「……うん」
陽の傾いた道路をとぼとぼと歩く。少し前を歩いているフウカの背はぼくより頭一つ分高い。華奢な印象はなくなり、代わりに精悍さを感じる。
「リンドウ、最近ずっとひとりだから心配でさ。声かけたかったんだけど勇気出なくて」
「別に心配いらないよ。ただちょっと……まだ、シシュンキの変化に慣れないだけだから」
「うん。こっちも同じ。自分の身体じゃないみたい。変な感じ」
振り返ったフウカの目は悲しそうだった。ぼくは立ち止まり、フウカの顔を見上げる。
「みんなもさ、シシュンキになってから急にオス同士、メス同士でいるようになって、オスとメスが一緒にいると変な目で見られてさ。今までの友情はどこいっちゃったんだろうって感じ。オトナになるっていいことないね。ずっと一緒が良かった」
「案外悪くないかもって、いつかフウカ言ってたじゃないか」
「うん。でも、実際にシシュンキが始まってみたらあんまり良くなかった。リンドウは良かった?」
「いいや。やっぱり良くなかった」
うん、とフウカが頷く。ぼくたちは手を繋いで、再び歩き出す。分かっているのだ。昨年の夏には戻れない。ぼくたちは、それぞれに違う道を歩いていく。
「リンドウさぁ」
「うん」
「これからも、ずっと友達だよね?」
ぼくはフウカの顔を見ずに答える。
「当たり前だろ」
ふっと笑った気配がして、視界の端でフウカの髪が揺れる。ぼくは繋いだ手に強く力を込めた。
ぼくたちの頭上で、僅かに欠けた月が白い光を放っていた。




