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宮廷をクビになった不遇の錬金術師、もふもふ達と一緒に【辺境の薬局】でのんびり暮らします  作者: 綾瀬蒼


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第5話 狐耳がピンと立つほどの奇跡の味

 世界を丸呑みにするようだった嵐が去った翌朝。


 最果ての街ルーンフェルドの空は、昨夜の荒れ狂いぶりが嘘のように、高く澄みわたっていた。

 分厚いガラス窓の外には、一晩でどっさりと積もった新雪が朝日を反射してダイヤモンドのようにきらきらと光り、屋根の上から時折、どさっと雪の塊が落ちる音が平和に響いている。


 けれど、ニーナの小さな薬局の中だけは、朝から妙に落ち着かない空気に包まれていた。


「……熱は、完全に平熱まで下がってる。脈も力強くて安定。破れていた内臓も、切断されていた筋肉の繊維も……綺麗に繋がってる。魔法の干渉痕もないし、魔力毒の後遺症もゼロ……」


 ニーナは奥の調剤台の横で、何度目か分からない診察の確認をしながら、信じられないというように小さく息をついた。


 昨夜、嵐の中で狐獣人のレオンに担ぎ込まれた、瀕死の黒狼騎士団団長ガルシア。

 胸から脇腹にかけて、内臓が覗くほど深く抉られていた致命傷は、今ではもう嘘のように薄いピンク色の真新しい皮膚で閉じている。もちろん、昨日今日で失った大量の血液が完全に元に戻ったわけではないので顔色は少し悪いが、あの絶望的な損傷の深さと魔力毒の侵食を思えば、これはもはや『回復』の域を超えていた。


 いや、完全に『奇跡』だ。

 神殿の奥深くに鎮座する、国宝級の聖遺物でも使わない限り、こんな現象は起きない。


 ニーナは視線を、作業台の端にぽつんと置かれた空のクリスタル瓶へ向ける。

 昨夜、ガルシアに飲ませた『黄金色の特製ポーション』が入っていた瓶だ。


「……いくらなんでも、効きすぎでは?」


 昨夜から、一睡もせずに考え続けても、結論はそこに行き着く。


 自分の作る薬が、宮廷の他の錬金術師たちが作るものより高品質なのは知っていた。

 素材に含まれる微量な魔力毒や不純物を、何十段階もの濾過と魔力操作で完全に消し去る。その結果、嫌な苦味や悪臭が消え、人間の身体が魔力を拒絶することなく、スポンジのようにスッと吸収できるようになる。だから効能も跳ね上がる。そこまでは、錬金術の理屈として通る。


 でも、あの『一瞬で肉が編み直されるような再生』は、さすがに常識外れだ。


「もしかして、辺境は魔力濃度が高いから、薬の効き目が増幅されたのかな? それとも、公爵様自身の基礎体力や治癒力が異常に高かったとか……? うん、獣人の方々は頑丈だって言うし……」


 相変わらず自分の作った薬が「失われた伝説の秘薬・特級エリクサー」であることに全く気づいていないニーナが、うんうんと首を捻っていると。


「真剣に考え込んでる顔も、なかなか可愛いな、お嬢ちゃん」


「ひゃっ!?」


 背後から突然、至近距離で声をかけられ、ニーナは「ビクゥッ!」とウサギのように肩を跳ねさせた。


 振り向けば、狐獣人の副団長レオンが、丸椅子に逆向きに跨って座り、背もたれに顎を乗せてこちらを面白そうに見ていた。

 昨夜の泥と血にまみれたずぶ濡れ姿から一転、今はニーナが貸した大きめの室内着(前の住人が置いていったもの)の上に、乾かした自前の濃紺の軍服を羽織っている。赤茶の髪もさらさらに乾き、頭の上のふさふさの狐耳と、腰の立派な尾は、機嫌が良さそうにゆらゆらと揺れていた。


「お、脅かさないでください! 心臓が止まるかと思いました!」


「悪い悪い。あんまり難しそうな顔してブツブツ言ってるから、ついな」


 全然悪いと思っていなさそうな、からかうような口調で笑う。

 けれど、その飄々とした金色の目の下には、薄く疲労の隈が残っていた。昨夜は団長の容体が急変しないか見守るため、ほとんど一睡もしていないのだろう。

 それどころか、ニーナが「温かくしないと」と言えば進んで薪を割り、湯を沸かし、血塗れの床を拭き上げるなど、屈強な副団長らしからぬ甲斐甲斐しさで手伝ってくれていたのだ。


「公爵様……いえ、ガルシア団長、今朝はちゃんと目を覚まされました?」


「ああ、さっき少しだけな。あの人、自分が死にかけたって自覚が薄いから、すぐに起き上がって城に戻ろうとするんで、『ニーナ先生の許可が出るまで絶対安静です』って言って寝かせておいたところだ」


「だろうなあ……」


 ニーナが想像通りの反応に苦笑すると、レオンは心底うんざりしたように、長いため息を吐いて肩を落とした。


「あの団長、とにかく規格外に丈夫すぎるんだよ。普通なら、あの雷の変異種の一撃を食らった時点で即死だ。運よく息があっても、数週間は高熱にうなされて生死の境を彷徨うレベルの猛毒傷だぞ」


「そんなに……」


「そんなに、じゃない。お嬢ちゃんが、とんでもない魔法を使ったんだよ。いや、魔法以上の奇跡をな」


 そう言って、レオンは作業台の上の『空のクリスタル瓶』を、まるで神棚に飾られた御神体でも見るように、じっと食い入るように見つめた。


 昨夜、ほんの数滴残っていたあの黄金の液体を舐めただけで、彼は雷に打たれたような顔をして震えていた。だがあの時はガルシアの処置と命が最優先で、それ以上詳しく話を聞く余裕はなかった。


 今、改めて彼の表情を見ると、強烈な興奮と、深い困惑と、そして何か「絶対に手放してはいけない救済」を見つけたような、切実な感情がないまぜになっている。


「……あの、レオンさん」


「ん?」


「昨日のあれ、そんなに驚くことだったんですか? その……お薬の、味のこと」


 ニーナが、また「ふざけた菓子だ」と怒られるのではないかと、おそるおそる尋ねると。

 レオンは数秒黙ってから、いつものお調子者の顔を捨てて、真剣そのものの顔で言った。


「驚くどころの騒ぎじゃない。俺のこれまでの三十年の人生と、常識という世界が、根底からひっくり返る味だった」


「大げさな……ただ蜂蜜とお花の蜜を入れただけですよ?」


「大げさじゃない」


 即答だった。

 そして彼は椅子からバッと立ち上がると、ニーナのいる作業台へ大股で歩み寄り、両手をドンッと突いた。


「頼む、ニーナ。もう一度だけ、確認させてくれ。昨日のはほんの残り数滴だったし、こっちも団長が死にかけて頭が真っ白だったんだ。ちゃんと一口、致死量じゃない程度でいいから、俺に飲ませて確かめさせてくれ」


「えっ」


「もちろん金は払う。いや、言い値で払わせてくれ! むしろこんな奇跡、金で買えるなら安すぎるくらいだ!」


 あまりにも切実で、拝み倒すような声音に、ニーナは戸惑いながらも、鍵のかかった棚を開け、小さなガラス小瓶を取り出した。


 昨夜使った『黄金色の特製ポーション』はもう一滴もないが、これは普段使いの『試作用の微細ポーション』だ。

 淡い琥珀色をしており、こちらも魔力毒を完全に抜いた上で、蜂蜜と果実のエキスで口当たりを極限まで柔らかく調整してある。効能こそ特製のものよりは弱いが、味の方向性と「苦くない・痛くない」という特性は全く同じだ。


「これなら、普通の風邪や切り傷用の回復薬です。重傷者向けじゃないので、昨日のほどの魔力はありませんけど……」


「十分だ! 頼む!」


 ニーナは清潔な小さなガラス杯に、ほんのひと口ぶんだけ、とろりとした琥珀色の液体を注いだ。

 ふわりと立ち上る、果実と蜂蜜の甘く優しい香りに、レオンの狐耳が「ピクンッ!」と激しく反応する。


「……本当に、これが魔法薬なんだよな?」


「はい。私が作った薬です」


「市場で売ってる、甘いシロップ菓子とかじゃなく?」


「立派な薬です。効き目は保証します」


「……信じられない」


 半分、神に祈るような、あるいは毒杯を煽る前のような悲壮な顔で、レオンは杯を震える両手で受け取った。

 そして意を決して、目をギュッと瞑り、ぐいっ、と一気にあおる。


 ごくり。


 次の瞬間。


「――ッッ!!」


 レオンの頭の上の狐耳が、ピンッッ!! と天井の木目を突き破らんばかりの勢いで、真っ直ぐに直立した。

 さらに、背後の狐の尾までが、ボンッ! と二倍に膨れ上がり、ブルブルと歓喜に打ち震える。


「えっ、ちょ、ちょっとレオンさん!? 大丈夫ですか!? 副作用!?」


「う、うま……ッ」


「え?」


「うまい……!! なんだこれ、やっぱり夢じゃなかった……!!」


 カッと見開かれた金の瞳がみるみるうちに赤く潤み、レオンは杯を持ったまま口元を強く押さえた。

 ぽろ、ぽろ、と、屈強な騎士の頬を、大粒の涙が伝い落ちる。


「に、苦くない……っ。喉がチリチリ焼けない……鼻の奥に、腐った泥とカビた薬草の激臭が突き抜ける感じが一切しない……! なんだこれ、すげぇ柔らかい……優しくて、甘い……っ」


 最後には完全に感極まったように、レオンは杯を握りしめたまま、その場に崩れ落ちて膝をつき、両手で顔を覆ってボロボロと男泣きを始めてしまった。


「俺……生きててよかった……! 薬を飲んで、美味しいって泣く日が来るなんて、思わなかった……っ!!」


「そ、そんなに泣くほど!?」


 ニーナは完全にぽかんとして、慌てて背中をさするしかない。


 レオンは涙と鼻水を袖で乱暴に拭いながら、震える声でニーナを見上げて続けた。


「ニーナ。人間の錬金術師が作る従来の魔法薬はな、俺たち獣人にとっては、怪我より恐ろしい『拷問』なんだよ」


「拷問……?」


「感覚が違うんだ。獣人の味覚と嗅覚は、人間とは構造からして違う。種族にもよるが、人間の五倍から、十倍は鋭い」


 赤くなった鼻をすすりながら、レオンは己の狐の鼻先を指さした。


「人間には『ちょっと苦いな、マズいな』程度で済む薬の魔力毒でも、俺たち獣人の舌と鼻には、内臓を焼く硫酸か、劇毒のように強烈に感じるんだよ。腐った泥水と、魔獣の血と、焦げた苦虫を一緒にすり潰して煮込んだみたいな絶望的な悪臭が、口と鼻と、脳髄の奥深くに一気に広がるんだ」


「そ、そこまで……?」


「そこまでだよ。軽傷なら、息を止めて気合で飲み込む。でも、重傷で弱っている時にあれを無理やり流し込まれると、あまりの激痛と悪臭で胃袋が痙攣して吐く。痛みで気絶するやつもざらにいる。獣人の子どもなんか、薬瓶を見ただけで恐怖で泡を吹いて泣き叫ぶんだ」


 ニーナは、雷に打たれたように言葉を失った。


 王都の宮廷では、ポーションの強烈な苦味や悪臭は「権威ある薬らしさ」として、半ば当然のもの、いや、むしろ推奨すらされていた。

『飲みにくくても、良薬は口に苦し。治るのだから黙って我慢しろ』。

 それが、上司であるクロードたちの常識だった。


 でも、もし、獣人たちにとってそれが、人間の想像を絶する凄まじい苦痛と拷問だったのだとしたら――。


「じゃ、じゃあ……最前線で戦う黒狼騎士団の皆さんは、今までその薬を……」


「飲んでたよ。魔獣に食われて死ぬよりは、マシだからな」


 レオンは自嘲気味に、力なく笑った。

「でも皆、内心じゃ死ぬほど嫌がってる。怪我をして治療班が近づいてくると、屈強な男たちが顔を引きつらせて逃げようとするんだ。中には、激マズ薬を飲まされるのが嫌で、傷を隠して悪化させて死にかける大馬鹿野郎も珍しくない。……団長なんて、立場上、部下の前では一切顔に出さずに一気飲みして平然としてるけど、あの人だって、獣人の中でも飛び抜けて感覚が鋭い『狼』なんだ。平気なわけがない」


 その時。


「……誰が、平然としているだと?」


 地を這うような低い声がして、ニーナとレオンは同時にビクッと振り向いた。


 調剤台の上で、いつの間にかガルシアが上体を起こし、こちらを睨み下ろしていた。


 朝の光を受けた灰銀の瞳は、昨夜の虚ろさが消え、研ぎ澄まされた刃のようにはっきりとしている。顔色も健康的なものに戻りつつあり、乱れていた漆黒の髪を無造作にかき上げる仕草には、傷病人とは思えない強烈なおすの力強さと色気があった。


「だ、だから起き上がらないでって言ったじゃないですか!」


 ニーナは慌てて駆け寄る。


「傷の表面は塞がって見えても、まだ中は完全じゃありません! 細胞の超速再生には身体のエネルギーを莫大に消費するんですから、無理に動いたら倒れますよ!」


「分かっている」


 そう言いつつ、絶対に分かっていなさそうな、堂々とした態度だった。


 だがガルシアは、自分に堂々と説教をしてくるニーナの小言を遮ることなく聞き流し、代わりに彼女の手元の『空のガラス杯』を見た。


「……それを、先ほどレオンが飲んだのか」


「はい。味の確認をしたいと泣きつかれまして」


「そうか」


 短く答えたあと、ガルシアはしばらく黙り込んだ。

 そして不意に、己の口元に手を当て、昨夜の記憶を手繰り寄せるように目を細めた。


「昨夜、目を覚ました時……口の中に、酷く甘い後味が残っていた」


「え?」


「信じられなかった。死に際に見る、質の悪い幻覚か、夢かと思った」


 その声音は低く落ち着いていたが、どこか熱を帯び、わずかに掠れていた。


「俺の口の中に残るのは、いつだって濃密な血の臭いと、魔獣の臓物の瘴気と……そして何より、あのヘドロのように喉を焼く、王都の薬の吐き気を催す苦味だけだ。死線を越えた後は、常にそういう絶望的な味が口にこびりつく。……だが、昨日は違った。……初めて、温かくて優しい、極上の蜂蜜みたいな味がしたんだ」


 ニーナは思わず、手元のガラス杯を見た。


 戦場を生き抜いてきたガルシアほどの苛烈な男が。

『薬が苦くなかった』。たったそれだけのことを、これほどまでに深く、奇跡のように覚えているなんて。


「それで、俺が目を開けたら」


 ガルシアの灰銀の視線が、まっすぐ、逃げ場のないほど強くニーナを射抜く。


「お前がいた」


 どくり、と。

 ニーナの心臓が、自分でも驚くほど大きな音を立てて跳ねた。


 ただ事実を述べただけのはずなのに、妙に甘く、重たい一言だった。昨夜、死にかけた彼を必死に覗き込んでいたのは確かに自分だ。

 けれど、そんな熱っぽい瞳で見つめられながら言われると、まるで「俺の運命を見つけた」とでも言われているようで、顔がカッと熱くなる。


 その甘い空気をぶち壊すように、レオンがにやっと意地悪く口元を上げた。


「だーんちょぉ? あんた、昨日死にかけた時より、随分と声が甘くないですかぁ? そんな口説き文句、どこで覚えたんで?」


「……レオン。貴様、その狐の舌を引き抜かれたいか?」


「いてっ! 目つきがガチの殺意!」


 鋭く睨まれただけで、レオンが震え上がって狐耳をペタンと伏せる。

 ニーナはそのコントのようなやり取りに少しだけ緊張をほどきつつ、咳払いをしてガルシアの枕元に真新しい水差しとコップを置いた。


「と、とにかく! まだ安静です。お薬の成分を体に馴染ませるためにも、ちゃんと水分もたくさん摂ってくださいね」


「……了解した、主治医殿」


 昨夜も思ったが、この人は恐ろしい顔と巨体に似合わず、「治療」に関するニーナの指示には、驚くほど素直に従う。

 ニーナが不思議に思っていると、レオンが真面目な顔に戻って口を開いた。


「ニーナ」


「は、はい」


「その甘くて痛くない薬、他にもあるのか?」


「試作品の在庫なら少し……でも、個人で作っているものなので、樽で大量にはありませんよ」


「だよな」


 レオンは狐耳を掻きながら、天井を仰いだ。

「もし、この『苦くない奇跡のポーション』の存在が、黒狼騎士団の連中に行き渡ったら、皆嬉しさのあまり腰抜かしてひっくり返るぞ。いや、お嬢ちゃんを女神として祀り上げて、泣いて拝むかもしれない」


「そ、そんな大げさな……」


「だから、大げさじゃないって」


 今度は、心の底からの安堵と、泣き笑いみたいな優しい顔だった。


「俺たち獣人にとって、“ちゃんと傷が治って”、しかも“痛くなくて美味しく飲める薬”があるってだけで、それはもう、神様が下ろした奇跡そのものなんだよ」


 そのレオンの言葉は、ニーナの胸の最も柔らかい部分に、深く、真っ直ぐに刺さった。


 ニーナにとっては、魔力毒を抜いて飲みやすい薬を作るのは、患者のことを思えば「当たり前の工夫」だった。

 怪我や病気で苦しんでいる人が、薬を飲む時くらいは苦しまずに、少しでも心安らかになれるように。そう願って、血のにじむような努力で積み重ねてきた技術だ。


 それを王都の錬金術師長クロードたちは、鼻で笑った。

「品位を下げる恥だ」「お遊戯だ」「伝統への冒涜だ」と、徹底的に否定し、最後にはニーナを追放した。


 けれど今。

 目の前の、最前線で命を懸けて戦う獣人たちは、自分の作ったその甘い薬を、涙を流して『奇跡』だと呼んでくれている。


「……そんなふうに、喜んでもらえるなんて」


 気づけば、ニーナは泣きそうな声で小さく呟いていた。


 レオンが優しく首を傾げる。

「喜ぶも何も、事実だろ。あんたは俺たちの救世主だ」


「でも私、王都では散々だったんです。甘い薬なんて邪道だ、宮廷の恥だって、上司からずっと……」


 そこまで言って、ハッと口をつぐむ。

 追放されたなんて、初対面の人たちに余計な身の上話をしてしまったかもしれない。


 だが、黙って聞いていたガルシアは、表情を変えないまま、絶対零度の低い声で言い放った。


「……愚かな馬鹿どもだな」


「え」


「痛みを取り除き、患者が助かる薬を作って、それを笑う者がいるとは。王都の錬金術師どもは、脳髄まで腐っているらしい」


 あまりにきっぱりと、ニーナを全肯定する言葉に、ニーナは驚いて目を瞬いた。


 レオンも深く、怒りを込めて頷く。


「ほんとそれ。そんなクソみたいな上司、俺が王都に行って、そいつの口にあの激マズ薬を樽ごと流し込んで、尻から火を吹かせてやりたいくらいだ」


「レ、レオンさん、物騒!」


「いやいや、冗談ですって。……たぶん」


「たぶん」が恐ろしく不穏だった。


 けれど、二人の怒りと肯定の反応には、一切の嘘がなかった。

 ただのお世辞でも、慰めでもなく、本気でニーナの技術と信念に『価値がある』と断言してくれている。


 その揺るぎない事実が、宮廷で長年否定され続けてカチカチに凍りついていたニーナの胸の奥の固いしこりを、春の雪解けのように、少しずつ、優しく溶かしていくのを感じた。


 すると、足元でずっと大人しく二人の会話を聞いていたシロが、「きゅう!」と高く鳴いた。

 見下ろすと、真っ白なもふもふの子犬は、「どうだ、俺のママはすごいだろう!」と言わんばかりに、ふんすっ! と誇らしげに胸を張っている。


「ふふっ、シロまで自慢そうなお顔してる」


「その白い犬、ただの犬のくせに、やけに態度がデカくて偉そうだよな……」


 レオンが苦笑し、ガルシアはなぜか、シロに対してだけは獲物を狙うような険しい目を向けた。

 シロも負けじと、ガルシアを「俺の縄張りから早く出ていけ」とばかりに銀色の瞳でジッと睨み返す。


 バチバチバチッ……!!

 と、目に見えない高位の魔力の火花が、一人と一匹の間で激しく散りそうな沈黙。


「……あの、二人とも、喧嘩しないで仲良くしてくださいね?」


 ニーナが呆れ気味に間に割って入ると、なぜかガルシアとシロは「フンッ」と同時にそっぽを向いて視線を逸らした。


 その息の合った様子に、レオンがたまらず吹き出す。


「はははっ! こりゃ、色々と面白くなってきたな!」


「何がですか?」


「こっちの話。うちの団長様に、ようやく春が来たかもしれないって話さ」


 ニヤニヤしながらかわされて、ニーナはますます「?」と首を傾げるしかなかった。


 その日の昼前、特級エリクサー(ニーナ作・特製ポーション)の効果もあり、ガルシアの容体は驚異的なスピードでさらに回復・安定した。

 傷の再生はほぼ終わり、ニーナが作った温かい消化に良いスープも、少量だが自力で平らげた。レオンは「この薬、夢じゃないよな?」「本当にまた買いに来ていいんだよな?」と何度も何度も念を押し、そのたびにニーナを苦笑させた。


 そして、ついに城へ帰還するため、薬局の扉を開ける前。

 立ち止まったレオンが、振り返って言う。


「ニーナ。今日のこと、悪いがたぶん、騎士団の連中に黙ってられない」


「え?」


「“痛くない、美味しくて最高に効く薬を作る女神がいる”って知ったら、明日からうちの野郎どもが、全員押しかけるかもしれない」


「ぜ、全員!? 騎士団って、何百人規模じゃ……!?」


「安心しろ。店の扉を壊さないように、ちゃんと一列に並んで順番待ちするようにキツく言っておくから」


「心配のポイント、そこなんですか!?」


 ニーナが思わずツッコミの悲鳴を上げると、レオンは楽しそうに腹を抱えて笑った。


 一方、まだ本調子ではないものの、自らの足でしっかりと立ち上がり、ズタズタになった漆黒の外套を羽織ったガルシアは、ニーナを真っ直ぐに見下ろし、低い、甘い声で一言だけ残した。


「――また来る。必ずな」


 それはただの挨拶ではなく、獲物を逃がさない絶対の『宣言』のように短く、けれど妙に有無を言わせぬ重たい響きがあった。


 ニーナがぽかんと頬を赤らめているうちに、二人は雪のきらめく街へと出ていく。

 バタン、と扉が閉まり、静けさが戻った薬局の中で、ニーナはしばらくその場に立ち尽くしていた。


「……なんだか、とんでもなく大変なことになりそう」


「きゅう!」


 シロが足元で元気よく鳴く。

 まるで「今さら気づいたの?」とでも言いたげだった。


 窓の外では、昨夜までの凄惨な嵐が嘘のような、抜けるような青空が広がっている。

 けれど、ニーナが思い描いていた『のんびりスローライフ』には、どうやら明日から、屈強な獣人たちによる「新しい嵐」が押し寄せてくるらしい。


 それも、歓喜のしっぽと耳を、ちぎれんばかりに揺らしながら。


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