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宮廷をクビになった不遇の錬金術師、もふもふ達と一緒に【辺境の薬局】でのんびり暮らします  作者: 綾瀬蒼


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第2話 最果ての極寒領で、夢のマイ店舗を手に入れました

 息の詰まるような王都の巨大な城門を抜け出してから、一体どれくらいの時間が経っただろう。


 綺麗に舗装されていた石畳の街道は、いつしか馬車の車輪が深く沈み込む土の道へと変わり、立ち並んでいた貴族たちの豪奢な館は、まばらな農家や木造りの素朴な宿場町へと姿を変えていた。

 行き交う着飾った人々の姿も、耳をつんざくような怒声や喧騒も、車輪が回るごとに少しずつ遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなった。


 ニーナは、ガタガタと揺れる乗合馬車の小さな窓辺に頬杖をつきながら、ぼんやりと外の景色を眺めていた。


 目的地は、王国最北端に位置する辺境の地――グラキエス辺境伯領。

 一年を通して冬が長く、雪深く、凶悪な魔獣が多数生息する過酷な土地だと聞いている。王都の人間からは「好き好んで行くような場所じゃない」「罪人が送られる流刑地みたいなものだ」と眉をひそめて語られるような場所だ。

 だが、今のニーナにとってはその酷評すら、都合がよかった。


 人が少なく、環境が厳しいなら、家賃や物価も安いはずだ。

 王都の権威主義や「伝統」という名の呪縛が届きにくい辺境なら、自分のやり方で患者のための甘い薬を作っても、「恥だ」と指を差されることはないかもしれない。

 そして何より、あの錬金術師長クロードや、理不尽なブラック労働から、物理的に遠く離れられる。


 それだけで、何日も馬車に揺られる疲労など吹き飛ぶほど、心が羽のように軽かった。


「しかし、お嬢さんみたいな細っこい若い子が、たった一人で北の果てへ向かうなんて、随分と珍しいねえ」


 向かいの席に座っていた、恰幅のいい商人風の初老の男性が、感心したような、それでいて少し心配そうな声をかけてきた。分厚い熊の毛皮のコートを着込んだ彼は、王都と辺境を行き来して日用品を卸している行商人だという。


「そうですか?」

 ニーナが微笑み返すと、商人は大きく頷いた。


「そうとも。これから行くグラキエス領は、冗談抜きで寒さの桁が違う。おまけに街のすぐ外は深い森で、人を丸呑みするような魔獣もウヨウヨしてるんだ。王都育ちの人間なら、あの寒さと殺風景さに耐えられず、三日で泣いて帰るって皆言うよ」


「ふふ、私は、静かで涼しいところが好きなので平気です。それに、魔獣が多いということは、怪我をする人も多いということですよね? なら、私の仕事も少しはあるかなって」


「ほう、仕事?」


「はい。私、これでも錬金術師の端くれなんです。あっちで小さな薬局を開けたらいいなと思っていて」


 にこりと笑って告げると、商人は目を丸くしてから、「こりゃ驚いた!」と豪快に笑い声を上げた。


「ははは! こんな可愛らしいお嬢さんが薬師様とは! いやはや、人は見かけによらない。しかもあえて辺境を選ぶとは、随分と肝が据わってる! 気に入ったよ。だが、雪国の舐めてかかっちゃいけない。特に、辺境を護る『黒狼こくろう騎士団』の連中は、魔獣より恐ろしいって噂の荒くれ者揃いだからな。怪我人は絶えないだろうが、お嬢さんみたいな子が店を開いたら、あっという間に目をつけられちまうかもしれないぞ」


「黒狼、騎士団……」

 その物騒な響きにニーナは少しだけ肩をすくめたが、すぐに「大丈夫です」と力強く頷いた。

「どんな荒くれ者でも、痛いのは嫌なはずですから。美味しいお薬を出せば、きっと分かってくれます」


「美味しい薬? 薬は苦いもんだろうに、変わったことを言う嬢ちゃんだ。……まあいい、辺境の連中は実力主義だ。腕が良ければ、王都の人間よりずっと義理堅い。頑張りな。ただ、街に着いたらまずは一番分厚い毛布と薪を買うことだ」


「ありがとうございます。参考にしますね」


 そんなたわいない、けれど温かい会話を交わしながら、馬車はさらに何日も北へと進んだ。


 途中の宿場町で固いパンと安い塩スープをすすり、隙間風の吹く簡素なベッドに潜り込み、朝になればまた荷馬車に揺られる。身体中が痛くて疲労は溜まっていくのに、不思議と気持ちはどこまでも晴れやかだった。

 行く先は不透明で、貯金も心もとない。それでも、「明日も徹夜で嫌な仕事をさせられる」という、あの絶望的な息苦しさがなくなったことが、ニーナにとっては最高の処方箋だった。


 そして、王都を出てから三週間が経とうとしていたある朝。

 分厚い防寒具を着込んだ御者が、「おーい! 見えてきたぞ!」と弾んだ声を張り上げた。


 ニーナは膝にかけていた毛布を押しのけ、凍りつきそうな窓ガラスに顔を寄せる。


 視界いっぱいに飛び込んできたのは、息を呑むほど美しい、一面の白銀の世界だった。


「わあ……っ」


 思わず、感嘆の吐息が漏れる。


 見渡す限りの針葉樹の森は、枝先まで純白の雪を重そうにまとい、遠くの険しい山々は薄青い冬空の下で静寂に包まれて連なっている。街道の脇には大人の背丈ほどもある雪の壁がそびえ立ち、馬車の隙間から吹き込む風は、肌を切るように冷たい。

 吐く息は驚くほど真っ白だ。


 けれど、その空気はどこまでも澄みきっていた。

 胸いっぱいに吸い込むと、冷たさの奥に、肺の中を洗い流してくれるような不思議な清浄さを感じる。


 王都の空気は、いつも少し重たくて、濁っていた。

 密集した人々の熱気、工場の煙、下水の匂い、そして貴族たちの権威や見栄、焦り――そんな淀んだ感情までが空気に溶け込んでいるような気がしていた。


 けれど、この土地の空気はまったく違う。

 冷たいのに、真っ直ぐで、純粋だ。

 ぴんと張りつめていて、冴え渡っていて――何より、空間に満ちる『魔力』の粒が、王都のそれとは比べ物にならないほど濃密で美しかった。錬金術師の命とも言える魔力が、この土地には溢れている。


「……すっごく、好きかも」


 ぽつりと呟いた言葉は、誰に聞かせるでもない本音だった。


 昼過ぎ、馬車はようやく目的の街へと辿り着いた。

 グラキエス辺境伯領の中心都市、城塞都市ルーンフェルド。


 王都と比べれば規模はずっと小さい。けれど、魔獣の襲撃を防ぐための高い石壁にぐるりと囲まれたその街は、門は分厚い鉄と魔石で重厚に補強され、街の中には雪の重みに耐えられるよう設計された低層の石造りやレンガ造りの建物が、肩を寄せ合うように整然と並んでいた。


 屋根は雪が滑り落ちやすい急勾配になっており、どの家の煙突からも、温かそうな白い煙が立ち上っている。通りを歩く人々は皆、大きな獣の毛皮で作られた外套に身を包み、長靴を履いて雪を踏みしめていた。


 無骨で、実用的で、飾り気はない。

 けれど、厳しい自然の中で助け合って生きる人々の、力強い温かさを感じる街だ。


 馬車を降りた瞬間、容赦ない冷気がニーナの全身を包み込んだ。


「ひゃっ……! 冷た……っ!?」


 王都の冬とは次元の違う寒さに、思わず首をすくめ、持参したマフラーに顔をうずめる。

 だが同時に、気分は最高潮に高揚していた。


 王都から遠く離れた、私を知る人が誰もいない土地。

 ここから、ニーナの本当の人生を始めるのだ。


 重いトランクを雪道に取られながら引きずり、ニーナはまず、商人のおじさんに教えてもらった不動産を扱う雑貨商兼仲介所を訪ねた。

 扉を開けると、カランカランと素朴なベルが鳴る。


「すみません、王都から来た錬金術師のニーナと申します。空き家を探しているのですが……できれば、店舗兼住居にできるような場所で、お安いところはありますか?」


 応対してくれた初老の店主は、ニーナの身なりと若さを見て一瞬訝しげな顔をしたが、彼女の真剣な瞳を見て、顎髭を撫でながら一枚の書類を取り出した。紹介されたのは、街の南側、防壁にほど近い一角にある小さな平屋だった。


「ひどく古いし、外壁に近いから少し冷えるが、立地は悪くない。昔はしがない薬師が工房兼住居として使っていたらしいんだが、数年前に夜逃げしちまってな。ずっと空き家さ」

 案内役を買って出た店主は、雪を踏みしめながら重そうな鉄の鍵をチャリチャリと鳴らした。

「雪かきは自分でする必要があるし、暖炉も煤払いからやらなきゃならん。だが、井戸は生きてるし、裏には小さいが薬草を育てられそうな庭もある。お嬢さん一人で暮らすなら十分すぎる広さだろう」


 案内された家の前で立ち止まる。

 レンガ造りの外壁は所々崩れかけ、屋根にはこんもりと雪が積もっている。

 ぎいぃぃ、と嫌な音を立てて、重い木扉が開いた。


 中に入った瞬間、ツンとしたカビと、長年閉め切られていた埃っぽい空気が鼻をくすぐった。

 窓ガラスは汚れで真っ白に曇り、床板には薄く砂や泥が積もっている。正面にはかつて商品棚だったであろう木枠が倒れ、部屋の奥のカウンターの上には、白い埃が分厚い膜のように積もっていた。


 普通なら「こんな廃屋には住めない」と顔をしかめるだろう。

 けれどニーナは、その光景を見た瞬間に、アメジスト色の瞳をキラキラと輝かせた。


「……かわいい!」


「は? かわいい?」


「はい! とっても素敵な場所です!」


 店主が「この嬢ちゃん、寒さで頭がおかしくなったか?」とばかりにきょとんとする。


 確かに今のこの家は、お世辞にも綺麗とは言い難い。

 けれど、ニーナには見えていた。

 正面の曇った大きな窓を磨き上げれば、店として使うには十分すぎる明るい光が差し込む。入口横の壁面には、自分で作った薬瓶を並べる棚を造り付けられる。奥の広いスペースには、愛用の調剤釜を置くのにぴったりな石造りの台座が残っている。

 さらに、生活空間となる二階の屋根裏部屋へ続く小さな階段もある。


 何より――ここは、誰のものでもない、ニーナだけの場所になれる空間だ。


 隣の席の先輩に気を遣って、肩を縮めながら使う作業台ではない。

 無能な上司に「匂いが気に入らん」と怒鳴り散らされる工房でもない。

 新しい素材を一つ試すのに、何枚も許可書を書かされる場所でもない。


 ここなら、自分の好きなように、好きなだけ、患者のための甘い薬を作れる。


「あ、あの! お値段は……おいくらでしょうか」

 胸の前で両手を組み、恐る恐る尋ねる。


 店主が提示した額を聞いて、ニーナは思わず二度聞きしそうになった。


 ……安い。破格だ。

 王都で借りるような小さなワンルームの、数分の一の値段だった。寒冷地仕様の修繕が必要なこと、防壁沿いで借り手が少ないことなどが理由らしいが、それにしても安い。


 ニーナは胸元に隠し持っていた、全財産の入った革袋をぎゅっと握りしめた。

 宮廷の薄給の中から、食事を削り、服も買わずに少しずつ少しずつ貯めてきたお金。贅沢はできないし、手持ちはギリギリになるけれど、ここでなら――買える。


「……買います! 私、ここを買います!」


 勢いよく言い切ってから、自分の声の大きさにびっくりした。


 店主も目を丸くしていたが、やがて呆れたように、そして嬉しそうに破顔した。


「決断が早いな、お嬢さん。下見の五分で即金で買うなんて、大した度胸だ」


「こ、こういうのは、勢いとインスピレーションが大事かなって」


「ははは! 違いない。ようこそルーンフェルドへ、小さな薬師さん」


 辺境の街では、面倒な身分審査などはなく手続きは驚くほど簡素だった。空き家を長く放置して家を傷ませるより、住んで街に税を落としてくれる若者がいるほうがずっと歓迎されるからだ。

 役所の書類に震える手で署名し、持ち金の大半をずっしりと支払うと、店主はあの重たい鉄の鍵を、ニーナの小さな両手にポンと載せた。


「これで今日から、この家はあんたの城だ」


 ずしりとした鍵の重みと、鉄の冷たさが、掌から伝わってくる。


 その瞬間、冷え切っていたはずの胸の奥が、じんわりと、やけどしそうなほど熱くなった。


 私の家。

 私のお店。

 誰にも追い出されない、理不尽に奪われない、私だけの居場所。


「ありがとうございます……っ!」


 思わず深々と頭を下げると、店主は照れくさそうに鼻を鳴らし、帰り際にぽんとニーナの肩を叩いた。


「礼なら、ちゃんと店が繁盛してから言ってくれ。怪我人が多いこの街に、腕のいい薬屋が増えるのは大歓迎だからな」


「薬屋……」


 店主が去った後、その言葉を口の中で反芻して、ニーナはじわじわと実感に包まれた。

 そうだ。自分はただ逃げてきたわけじゃない。

 ここで、自分の理想の薬局を開くのだ。


 夕方までに、街の市場で必要最低限の寝具と、鍋などの食器、大量の薪、そしてパンやチーズを買い込み、ニーナは新店舗へと戻ってきた。


 鍵を開け、誰もいない室内に入る。

 しん、と静かだった。


 宮廷のように、慌ただしい誰かの足音も、罵倒する怒声も、締切を急かす声も聞こえない。

 あるのは古い家のミシッという軋みと、外を渡る風の音だけ。


「よし……やるぞ!」


 ニーナは両頬をパンッと軽く叩いて気合を入れると、外套を脱ぎ捨て、腕まくりをした。


 まずは窓を少し開けて換気だ。

 次に掃除道具を……と考えたところで、ニーナはふと立ち止まり、自分の手のひらを見つめた。


「……いや、せっかく誰も見てないんだから。こういうときこそ、アレを使おう」


 ぱちん、と指を鳴らす。

 ニーナは目を閉じ、この土地に満ちる清浄な魔力を肺いっぱいに吸い込み、己の魔力回路へと接続した。


「――『生活魔法・広域洗浄クリーン・オール』」


 ふわり、と淡い水色の魔法陣がニーナの足元に展開し、瞬く間に部屋全体へと広がった。

 それは、並の魔術師なら一週間は寝込むほどの高度で精密な魔力操作を要する魔法だ。しかし、宮廷で来る日も来る日も、致死量の魔力毒を中和するという神業を「当たり前の雑務」として無自覚に強要されていたニーナにとって、この程度の魔力放出など、息をするより簡単なことだった。


 次の瞬間、室内の空気が一変した。

 床板の隙間に入り込んでいた長年の砂埃が、ふわりと光の粒になって浮き上がり、消滅していく。棚の煤がするすると剥がれ落ち、蜘蛛の巣は跡形もなく消え去る。真っ白に曇っていた窓ガラスは、まるで新品のように透明度を取り戻し、黒ずんでいた壁やカウンターの木目も、本来の温かみのある色合いを取り戻した。


「おおお……!」


 自分でかけた魔法なのに、その凄まじい効果に思わず感嘆の声を漏らす。


 一瞬にして長年の汚れが落ちた室内は、見違えるほど明るく、清潔な空間になっていた。傾きかけた夕陽が、磨き上げられた窓から差し込み、床に金色の帯を作っている。

 ニーナはカウンターに駆け寄り、そっとその表面を撫でた。


 つるりとした木の感触が心地いい。


「これが、私のお店……私の、居場所」


 じんわりと本物の実感が湧いてくる。

 胸がいっぱいになって、目頭が熱くなり、たまらずえへへと笑ってしまった。


 次は暖炉だ。

 煙道の詰まりがないか確認し、買ってきた薪を手際よく組む。指先から小さな火の粉を飛ばす着火魔法を使うと、ぱちぱちと乾いた音を立てて小さな火が生まれ、やがて暖かで力強い橙色の炎が、レンガの炉の中で揺れ始めた。


 みるみるうちに、室内の凍てつく空気がやわらいでいく。

 指先に刺さっていた寒さが、少しずつほどけていく。


「はああぁ……生き返る……」


 ニーナは暖炉の前にへたり込みそうになるのをこらえつつ、小さな鍋で雪解け水を沸かした。王都を出る時に買っておいた、少し香りの飛んだ安い茶葉をひとつまみ入れる。

 高級な茶葉でもないし、ミルクも砂糖もない。たいした贅沢ではないけれど、今この瞬間の自分には、王侯貴族の晩餐よりも価値のある最高のご褒美だった。


 湯気の立つマグカップを両手で包み、カウンター越しに店内を見渡す。


 がらんとした空間。

 まだ薬を並べる棚もないし、看板もないし、商品もゼロだ。

 寝床も薄い毛布だけで、今夜は硬い床の上で丸まって寝ることになるだろう。


 でも、不思議と寂しくはなかった。

 むしろ、今までの人生で一番、心が満たされていた。


「今日からここが、私の無敵のお城だ」


 ぽろりと呟いた言葉の響きが嬉しくて、また一人で吹き出す。


 王城の工房に比べたら、この家は犬小屋みたいに小さい。

 きらびやかなシャンデリアもないし、高価な魔石のランプも、最新式の調合機材もない。

 けれど、誰にも文句を言われない暖炉と、好きなものを並べられる空間と、自分のためだけに淹れたお茶がある。


 それだけで、十分すぎた。


 カップに口をつける。

 ほっとする渋みが舌に広がり、冷えた身体の芯まで温もりが染み渡っていく。


 しばらく暖炉の火を見つめながら静かにお茶を飲んだあと、ニーナはトランクの中から、表紙の擦り切れた調合ノートを取り出した。

 中には、宮廷時代に誰にも見せず、一人でコツコツと積み上げてきた膨大な研究記録が詰まっている。


 魔力毒を完全に中和し、苦味を飛ばす特殊な工程。

 回復効果を高めつつ、香りを甘く整える比率。

 子どもでもジュースのように飲みやすい濃度。

 体力のない重傷者向けの、魔力負荷を抑えた微調整。


「……ここなら、もっと自由に、最高の薬が作れる」


 誰かに「ピンク色などふざけている」と鼻で笑われることもない。

 痛みを我慢している患者のために、美味しくて優しい薬を作れるのだ。


 どんな店にしようかと思い描くだけで、胸が弾んで鼓動が早くなる。


 一番目立つ棚には、定番の甘い回復ポーション(いちご味とピーチ味)。

 横の棚には、飲みやすいシロップタイプの風邪薬や胃薬。

 寒い土地だから、身体の芯から温まるハーブたっぷりの薬湯も需要があるかもしれない。

 あとは、おやつ感覚で舐められる疲労回復用のドロップ飴なんてどうだろう。

 待合用の椅子を置いて、待っている間に温かいハーブティーを飲めるようにしてもいいな。


「看板も必要ね。『辺境の薬局』……ううん、もう少しかわいい名前がいいかな? 『おひさま薬局』とか……」


 一人きりの店内で、ニーナはあれこれと呟きながら、ノートに新しい店の見取り図を描いていく。


 宮廷にいた頃は、自分の未来を考えることは、ただただ苦痛でしかなかった。

 どうせまた理不尽な仕事が増える、また手柄を奪われる、また叱られる、また眠れない――そんな真っ暗な先しか見えなかったから。


 でも今は違う。

 明日を考えることが、こんなにも楽しい。


 その時だった。


 ごぉぉぉ、と外で強い風が唸り声を上げた。

 窓の向こうを見ると、いつの間にか日が落ちかけた薄暮の空から、しんしんと雪が舞い始めていた。


「また雪……」


 ニーナはペンを置き、立ち上がって窓辺へ寄った。

 青く沈みゆく街は、屋根の上や通りの端が再び分厚い白に覆われようとしている。遠くに見える見張り塔には、魔除けの松明が赤々と灯っていた。

 窓から伝わる冷気が、この土地が容赦のない極寒の辺境であることを、あらためて実感させる。


 王都の温室のような環境に比べれば、ずっと過酷だろう。

 冬は長く、薪代も馬鹿にならない。

 薬師としても、これからたった一人で商売を成り立たせていける保証なんて、どこにもない。


 それでも。


 ニーナは、窓ガラスに薄く映る自分の顔を見て、小さく笑った。


 目の下のクマはまだ消えていないけれど。

 ちゃんと、希望に満ちた、楽しそうな顔をしている。


「大丈夫」


 それは誰かに向けた言葉ではなく、自分自身への誓いの言葉だった。


「私なら、ここでやっていける」


 静かな店の中で、暖炉の薪がぱちりと弾ける音を立てた。

 その音に背中を押されるように、ニーナはまたカウンターへ戻る。


 今夜はまず、明日から使う作業台の配置を決めよう。

 持ってきた薬草の種や素材の仕分けもしておきたい。

 明日の朝起きたら、まずはご近所へ挨拶回りをして、どんな人が暮らしていて、どんな怪我や病気が多いのか、市場で話を聞いてみよう。

 必要としてもらえる薬を作るには、まずこの街と、そこに住む人々を知らなければ。


 王都では、上から降ってくる仕事を機械のようにこなすだけだった。

 けれどここでは、自分で考えて、自分で選んで、自分の足で歩いていける。


 ニーナは真新しいページを開き、綺麗な字でゆっくりと書きつけた。


『ルーンフェルド生活一日目。お天気、雪。』

『マイ薬局の開業準備、いよいよ開始!』


 その元気な文字を見て、胸の奥がまたぽかぽかと温かくなる。


 最果ての極寒領。

 雪と針葉樹、そして清浄な魔力に囲まれたこの小さな街で、不遇の錬金術師ニーナの夢は、ようやく確かな形になり始めた。


 今はまだ、看板もない。

 お客さんもいない。

 明日のご飯の保証だってない。


 それでも彼女は知っている。


 口の中が苦くなるだけだった昨日より。

 ずっと甘くて、ずっとワクワクするような「今日」と「明日」が、ここにはあることを。


 そしてこの場所で、彼女はやがて運命的な出会いを果たすことになる。

 容赦なく吹き荒れる吹雪の森の中で、震えながら助けを待つ、真っ白な小さな命に――。


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