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宮廷をクビになった不遇の錬金術師、もふもふ達と一緒に【辺境の薬局】でのんびり暮らします  作者: 綾瀬蒼


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第14話 俺の愛する妻(予定)に気安く声をかけるな

 ガルシアの鋭利な灰銀の瞳が、すっと、三日月の刃のように細くなった。


 静かなのに、ぞくりとするほど冷たく、絶対零度の殺気を孕んだ視線だった。

 レオンもいつものふざけた気配を完全に消し、カウンターの上に置かれたままになっていた書類をひょいと手に取る。

 『宮廷印』と『復職命令』の文字を見た瞬間、その狐耳がピクリと不快げに揺れた。


「……復職命令、ねえ」


 書類をパラリとめくり、レオンが乾いた冷たい笑みを浮かべる。

「これ、復職ってより奴隷の強制連行だろ。完全な命令口調、待遇改善の一切の記載なし、過去の謝罪も説明もなし。……ずいぶん、偉そうだな。どの口が言ってんだか」


「……そのままです」

 ニーナはシロを抱いたまま、少しだけ疲れたように答えた。

「王都へ戻れと。今なら広い心で“使ってやる”って」


 その言葉を聞いた瞬間。

 ガルシアの巨大な身体がまとっていた空気が、明確に、決定的に変わった。


 怒っている。


 それも、凄まじく。


 彼は何も言わなかった。表情も変えていない。

 だが、その無言のまま、ぐっと低く重く沈んだ気配だけで十分すぎた。暖炉の火が酸欠になったように小さく揺れ、店内の空気が、張り詰めた弓の弦のようにピンと張りつめる。


 レオンが、珍しく真剣な、怒りを抑えた顔で尋ねる。


「ニーナ。あいつ、何かしたか? 怪我はないか?」


「……怪我はしてません。ただ、『その泥のついた靴を舐めるように磨いて、忠誠を示せ』とは言われました」


 言いながら、自分でも少し呆れてしまう。

 あまりにも馬鹿馬鹿しくて、古臭い悪役のセリフみたいで、今となっては現実味すら薄い。


 だが、その言葉を聞いたガルシアには違ったらしい。


 彼の口元が、ゆっくりと吊り上がった。

 笑っているようで、目は一切笑っていない。戦場で敵の首を刎ねる直前に見せる、狂犬の顔だった。


「……ほう。舐めるように、磨けと」


 低い声が、底冷えするほど静かに、地を這って落ちる。


 次の瞬間、ガルシアは無言のまま踵を返した。


「え、ガルシア様?」


「あの馬鹿の乗った馬車は、まだ遠くへは行っていないな」


 それだけ言い残し、漆黒の外套を翻して、長い脚で扉へ向かう。

 慌ててレオンが後を追う。


「待て待て待て、団長! その顔はよくない。すごくよくない。街で大虐殺が起きる顔だ!」

「どけ、レオン」

「どかない! 俺も行く!」

「好きにしろ。止めればお前も斬る」


 まったく止まる気配のない、殺気と闘気に満ちた背中に、ニーナは慌てて声を上げた。


「ま、待ってください! 何をするつもりですか!」


 ガルシアが、薬局の扉の前でピタリと振り向く。


 その顔は、恐ろしいほど整っていて、恐ろしいほど怒っていた。

 けれど、ニーナを見た瞬間だけ、ほんの少しだけ目元の険が和らぎ、無理に優しい顔を作った。


「安心しろ」


 全然安心できない、ドスの効いた声だった。


「少し、平和的な“話し合い”をつけてくるだけだ」


「その“話し合い”っていうのが、一番怖いんですけど!?」


 ニーナが半ば叫ぶと、レオンが困ったように肩をすくめる。


「まあ、俺もそう思う。でも放っとくと、団長が一人で王都の近衛兵を皆殺しにして国際問題になるからな。俺がブレーキ役で行ったほうが、まだ安全だろ?」


「危険だって認めてますよね、それ!?」


「完全に認めてる」


 あっさりと頷かれてしまった。


 シロがニーナの腕の中で「……グルルッ!」と喉を鳴らす。

 どうやら「俺も行って、あいつを食い殺してやる」と言いたいらしい。けれど、ニーナはシロをぎゅっと抱きしめて首を振った。


「シロはだめ。さっきのフェンリル化で十分よ。これ以上やったら、街が吹雪になっちゃうから」


「きゅう……」


 不満そうに、白い耳がペタンと寝た。


 その間にも、ガルシアはもう外へ出ている。

 レオンが「すぐ戻るから」と軽く手を振って続き、扉がバタンと閉まった。


 店の中に、静けさが戻る。


 だが、静かになればなるほど、ニーナの胸のざわつきは大きくなるばかりだった。


「……絶対、あの二人、穏便に済ませる気がない」


「きゅう」


 シロまで「そりゃそうだ」と同意するように鳴いた。


 ニーナは思わず額を押さえる。

 クロードには腹が立ったし、二度と関わりたくないとも思う。けれど、だからといって、あのガルシアが『本気で怒った時』に何が起きるのかを想像すると、それはそれで大惨事の予感しかなくて怖かった。


「……ちょっとだけ、少しだけ、様子を見に行こう」


 結局、じっとしていられなくなったニーナは、コートを羽織って外へ出た。

 シロも当然のように、足元をトタタッとついてくる。


 薬局の扉をそっと開けると、通りの少し先に、人だかりと異様なざわめきが立っていた。


 南区の通りには、まだクロード一行がいたらしい。

 装飾の施された馬車の前で、近衛兵たちが何やら慌ただしく立ち位置を整えている。その中心で、泥まみれのクロードは顔を引きつらせ、ヒステリックに喚き散らしていた。


「だから早く馬車を出せと言っているんだ! あんな化け物、聞いていないぞ!」

「しかし、馬がフェンリルの残った匂いに怯えて、全く動きません!」

「知るか! 鞭を打ってでも走らせろ! 王都へ戻れば、あの女ごと軍を差し向けて――」


 そこへ。


 ザクッ、ザクッ、と。

 雪を踏む、重く、確かな足音が響いた。


 通りの空気が、目に見えるように、ドス黒く変わる。


 野次馬の人々が、恐怖でサァッと自然と道を開け、騒いでいた近衛兵たちの肩がビクリと揺れた。

 黒い外套をはためかせ、静かに、ゆっくりと歩いてくる長身の男――ガルシアを目にした瞬間、街のざわめきはピタリと止まった。


 黒狼騎士団、総団長。

 この極寒の辺境を統べる絶対の守護者。

 【狂犬公爵】ガルシア・ヴァルグリム。


 彼が、尋常ではない怒気を放っている。


 それだけで、十分だった。


 クロードも、その異常な気配に気づいたのだろう。

 振り向いた顔から、さっと血の気が引いていく。


「な……っ、なんだ、貴様らは……!」


 ガルシアは返事をしない。

 無言のまま歩み寄り、クロードたちから十歩ほど離れた距離で止まる。


 そして。


 ドンッ。

 と、一歩だけ、強く前へ踏み出した。


 パァンッ!!

 石畳が、爆発したように砕け散った。


「ひっ!?」


 ガルシアの足元の地面に蜘蛛の巣のような深いヒビが走り、砕けた石の破片が雪の上へ激しく散る。

 ただ、足を下ろしただけだ。

 剣も抜いていない。

 魔法を使ったわけでもない。


 なのに、そのただの一歩には、全身に漆黒の『闘気』を纏った強者の、近衛兵たちの背筋を凍らせるには十分すぎるほどの、圧倒的な暴力の予感と威圧があった。


「俺の、愛する妻(予定)の店で」


 重低音の声が響く。


 静かなのに、どこまでも響き、逃げ場がない。

 喉元に氷の刃を突きつけられたような声だった。


「一体、何をしている?」


 クロードの唇が、恐怖でヒクヒクと震える。


「あ、あ、愛する、つ、妻……?」

「予定、な。まだプロポーズ前だから」

 横からレオンが、冷静に、しかしニヤニヤしながら補足した。


 後ろからこっそり見ていたニーナは、「えっ!?」と顔を真っ赤にしてボンッと爆発しそうになった。

 そこは今、そんな爆弾発言を補足しなくていい気もしたが、誰もそんなツッコミを入れられる空気ではなかった。


 クロードは、目を剥いたまま後ずさる。


「な、何を馬鹿なことを! 愛する妻だと!? 私は王都から正式な命令を携えてきたのだぞ! 下級錬金術師ニーナを宮廷へ復帰させるために――」


「誰が許した」


 ピシャリ、とガルシアが切り捨てる。


「ここは俺の領分だ。俺の愛する民が営む店に、泥靴で踏み込み、紙切れの命令書を振りかざし……あまつさえ、土下座して頭を下げろと強要したらしいな」


「そ、それは……宮廷の上下関係を教えるための、教育の一環で――」


「教育、だと?」


 ガルシアの目が、スッと、さらに細くなった。


 まずい、とニーナは少し離れた場所から見ていてさえ思った。

 レオンも「うわあ、それは一番言っちゃダメなやつだ」とでも言いたげに、片手で顔を覆っている。


「お前ごときが」

 ガルシアの声は、どこまでも低く、そして熱かった。

「お前のような、他人の価値も分からず、ただ踏み躙るしか能のない無能ごときが。彼女に何を教えるつもりだ」


「ご、ごときとは何だ! 私は宮廷錬金術師長だぞ! お前たちのような野蛮な辺境の騎士とは、身分が違うんだ!」


「だから何だ」


 一歩。

 また、ガルシアが前へ出る。

 そのたびに、彼から漏れ出る漆黒の闘気が膨れ上がり、周囲の雪を溶かしていく。


 近衛兵たちが、その死の恐怖に弾かれたように、一斉に剣の柄へ手をかけた。


「動くな」


 レオンが、スッとガルシアの前に出た。

 ニコリ、と笑う。


 その笑みがまた、ガルシアの剥き出しの殺意とは違う、底知れない冷酷な恐ろしさを含んでいた。


「こっちも、うちの大事な薬師の先生を侮辱されて、あんまり気が長くなくてね。……今、その剣を少しでも抜いたら、うちの団長が“平和的な話し合い”をやめて、お前らの首が飛ぶと思うよ」


 さらっと言う内容ではなかった。


 近衛兵たちが、ゴクリと喉を鳴らす。

 剣を抜けない。

 抜いた瞬間、自分たちの命が終わると、戦士としての本能が警鐘を鳴らし続けているからだ。


 ガルシアは、近衛兵など歯牙にもかけず、クロードだけを真っ直ぐに見ていた。


「ニーナは、ここで必要とされている」

「そ、それは王都でも同じだ!」

「違うな」


 一秒の躊躇もない、即答だった。


「王都は、彼女の優しさと才能をいいことに使い潰した。傷つけた。そして『無能だ』と追い出した。……そして今、自分たちの都合が悪くなったから、今さら保身のために連れ戻しに来た」


 その図星を突く一言一言が、クロードの顔色をさらに悪くしていく。


「お前たちは、彼女の本当の価値を理解することも、大事に守ることもできなかった。お前たちには、彼女を持つ資格はない」


「な……ッ」


「なのに、よくもまあ、気安く声をかけられたものだ」


 最後の一言には、もはや隠しようのない、爆発寸前の強烈な怒気が滲んでいた。


 クロードが、プライドを守るために何か言い返そうと口を開く。

 だが、その前に、ガルシアが縮地法を使ったように一瞬で間合いを詰め、至近距離からクロードを見下ろした。


「――次に、あの店の扉へ触れたら」


 灰銀の瞳が、敵の喉笛を噛みちぎる獣そのものの色を宿す。


「命の保証はしない。俺が、この手で八つ裂きにする」


 バタンッ!!


 近衛兵の一人が、ガルシアの放った尋常ではない『死の気配』を真正面から浴びた瞬間に、白目を剥いて泡を吹き、その場に崩れ落ちた。


「うわ、マジで気絶した」

 レオンが、素でドン引きして言う。


 続いて二人目、三人目も、ガチガチと歯を鳴らした末に「ひぃっ!」と悲鳴を上げて、ヘナヘナと情けなく膝をつく。

 最後には、気絶した近衛兵を支えようとした者まで、恐怖で腰を抜かしてしまった。


 王都のエリートであるはずの近衛兵たちのあまりの情けなさに、見ていた野次馬たちがざわつく。

 けれど、彼らを笑う者は誰もいない。

 ガルシアの怒りは、その場にいる全員を凍らせるに足る、本物の『王者の覇気』だったからだ。


「ひ、ひぃ……!」


 クロードは、完全に涙目だった。

 それでもまだ、かろうじて己の安いプライドを守るために、震える口を動かす。


「お、お前たち、辺境騎士団ごときが……! 王都の使者である私に逆らって、国から反逆者として討伐されて、ただで済むと――」


「へえ」

 レオンが、意地悪く笑った。

 今度の笑みは、いつもの陽気さが一切ない、冷徹な為政者の顔だ。

「じゃあ、こっちもはっきり言っとこうか。……王都に帰ったら、王太子殿下に伝えな」


 狐獣人の副団長は、ふわりと尾を揺らしながら、ぞっとするほど穏やかな声で告げた。


「黒狼騎士団は、今日この日をもって、王都との取引を『全面停止』する」


 通りが、大きくどよめいた。


 クロードの目が、こぼれ落ちそうに見開かれる。


「な……に? とりひき、ていし……?」


「聞こえなかった? ならもう一度言ってやるよ」

 レオンはニコリと笑う。

「王都への貴重な薬草、特産の毛皮、魔獣素材、北方の良質な魔鉱石の輸出。あとは、冬季街道の優先護衛と、魔獣の討伐協力も、全部ストップするってこと。……うちの団長に無礼を働いただけならまだしも、国の至宝であるニーナ先生を脅しに来たなら、話は全く別だ」


「ば、馬鹿な……!! そんなこと、領主である辺境伯が許すはずがない――!」


「許すよ」

 レオンは、あっさりと、クロードの最後の希望を打ち砕いた。

「むしろ俺たちが辺境伯にこの一件を報告したら、“なぜその不敬な輩を、まだ生かして返すのか。首を刎ねろ”って激怒するんじゃない?」


 冗談みたいな、軽い口調だった。

 でもその金色の目は、一切の冗談を言っていなかった。


 クロードの顔から、ついに、すべての表情が消え失せた。


 王都は今、ただでさえ激マズ薬のせいで防衛も補給も不安定で、魔獣の脅威に晒されている。

 そこへ、最強の武力を持つ辺境からの素材供給と防衛協力の全面停止が重なれば、どうなるか。

 薬も、素材も、流通も、完全に機能不全に陥り、国が傾く。

 それが、自分の身勝手な行動のせいで起きたとなれば――。


「そ、そんな……。私は、ただ……ただ……」


「ただ?」

 ガルシアが、氷のような声で低く返す。

「自分の無能さを隠し、己の保身のためだけに、彼女を連れ戻したかっただけだろう。……違うか?」


 図星だったのだろう。

 クロードは、もう一言も言い返すことができなかった。


 震える青白い唇から、意味をなさない息だけがヒューヒューと漏れる。

 その姿はもう、宮廷錬金術師長としての威厳など微塵もなかった。ただ、自らの欲で破滅を招いた惨めな小物が、恐怖に足をすくませているだけだ。


 その時、少し離れた場所から、様子を見ていたニーナがそっと近づいてきた。


「ガルシア様、レオンさん」


 二人が、同時に振り向く。


 ニーナはシロを抱いたまま、顔を少し赤くしながらも、困ったように眉を下げた。


「……もう、十分です」


 その声を聞いた瞬間、ガルシアの目元の険しい殺気が、嘘のようにわずかにやわらぐ。

 レオンも「あーあ」と肩をすくめた。


「ほら、団長。俺たちの女神様がお優しい。命拾いしたな、おっさん」

「……分かっている」


 たぶん分かっていなかったが、ニーナが言うなら絶対に従うらしい。


 ニーナは、へたり込むクロードへ静かに視線を向けた。

 かつては、ただ怒鳴られるのが恐ろしくてたまらなかった相手。

 でも今は、ただただ、自分のことしか愛せない、みじめで哀れな人にしか見えなかった。


「帰ってください」


 静かに、けれど強い意志を持って告げる。


「私は、王都へは絶対に戻りません。ここで暮らします。この人たちと一緒に、ここで私の好きな薬を作ります。……もう、あなたの言葉に従うつもりは、一生ありません」


 クロードの顔が、ぐしゃりと見苦しく歪んだ。

 怒りか、完全な敗北の屈辱か、明日迫る処刑への恐怖か。

 たぶん、その全部だ。


 けれど、言い返す気力は、もう彼には一滴も残っていなかったらしい。


「……っ、お、覚えていろ……!!」


 最後にそんな、三流の悪役のような、いかにも小物らしい負け惜しみの捨て台詞だけを吐いて、クロードは踵を返した。

 雪を蹴散らし、気絶した近衛兵たちを半ば放置する勢いで、這うようにして馬車へ向かう。


「ま、待ってくださいクロード様! 我々も乗せて……!」

「知るか!! 置いていくぞ! 自分で走って王都へ帰れ!!」


 部下を切り捨てるひどい言い草を残し、本人だけが真っ先に馬車へ飛び乗り、御者に鞭を打たせた。

 残された近衛兵たちは慌てて気絶した仲間を引きずり上げ、どうにかこうにか走り出した馬車に飛び乗って、その後を追う。


 ほどなくして馬車は雪煙を上げ、王都の方角へと、これ以上ないほど無様に逃げ去っていった。


 静寂。


 数秒遅れて、通りのあちこちから安堵の息が漏れる。

 見守っていた街の人々が、「終わったのか」「何だったんだ今の」「やっぱり団長は怒らせると一番やべえ」と、ひそひそと安堵の声を上げ始めた。


 ニーナは、ようやく大きく息を吐いた。


「……終わった」


「いや、たぶん向こうは全然終わってないけどな」

 レオンが、首の骨をポキリと鳴らして肩を回しながら言う。

「でも少なくとも、あいつが気軽にまた来られる空気じゃなくなった。次来たら、団長が確実に首を物理的に飛ばすし」


「そうですね……。本当に、ありがとうございます」


 ほっとしたような、どっと疲れたような気分で頷く。


 その時、すぐ隣に立ったガルシアが、低く、優しい声で言った。


「怖い思いをさせたな、ニーナ」


 ニーナは顔を上げた。


 灰銀の瞳には、先ほどまでの怒り狂った殺気は微塵もなく、ただひどく真っ直ぐな、ニーナを心から案じる気遣いだけがあった。


「……少しだけ、びっくりはしました。突然来ましたし」


「そうか。俺がもっと早く気づいていれば」


「でも」


 ニーナは腕の中のシロを撫で、それからガルシアの目をしっかりと見た。


「シロも、ガルシア様も、レオンさんも……私のために怒ってくれて、助かりました。本当に、ありがとうございます」


 するとガルシアは、ほんの少しだけ、照れたように目を細めた。

 雪空の下では見落としそうなくらい淡い変化だったけれど、確かに、不器用な狼が尻尾を振っているように嬉しそうだった。


「……当然だ」


 短い返事。

 けれど、その言葉には、揺るぎない絶対の誓いの響きがあった。


「君を泣かせ、困らせるものは、俺がすべて排除する」


「団長、だからそれ、言い方がちょっと物騒で怖いんだって」

 レオンがすかさずツッコミを入れる。


「事実だ」

「事実でも、もうちょい愛の言葉でオブラートに包めよ」


 そんな日常のやり取りに、ニーナは思わず「ふふっ」と吹き出した。


 張りつめていた緊張の糸が切れたみたいに、自然と笑いがこぼれる。

 すると、シロも「きゅう!」と鳴いて、なぜか「一番活躍したのは俺だけどな」と誇らしげに胸を張った。


「ふふ、シロもありがとう。今日は本当に頑張ったわね。かっこよかったよ」


「きゅうぅ!」


「うん、こいつは確かにすごかった」

 レオンが屈んで、シロの鼻先を指で小突く。

「近衛連中の腰、あの覇気で完全に抜かしてたしな。さすが神獣」


「シロは褒めないほうがいい」

 ガルシアが、相変わらずシロに対抗心を燃やしてぼそりと言う。

「調子に乗る」


「きゅうーッ!!」


 図星だったらしい。

 シロが「お前には言われたくない!」とばかりに、ふいっとそっぽを向く。


 その一人と一匹の大人げない様子がおかしくて、ニーナはまた声を上げて笑った。


 王都から来た傲慢な元上司は、何一つ思い通りにならないまま、雪の街から惨めに逃げ帰った。

 そしてニーナは、この騒動を経て、改めて深く知る。


 ここには、自分を絶対に守ってくれる存在がいる。

 もう、理不尽に怯えなくていい毎日が、温かい自分の居場所が、本当にもう、この手の中にあるのだと。


 ただ――。


 ニーナはまだ知らない。

 王都へ逃げ帰ったクロードが、この後、王太子の粛清を受けてどういう破滅の末路を辿るのか。

 そして彼が帰る王都そのものも、ニーナが作り出していた「特級エリクサー」を失った代償として、もう限界に近づいていることを。


 雪空を見上げたレオンが、ふっと目を細めた。


「さて。あっちはあっちで、そろそろ本格的に国ごと崩れるかもな」


「崩れる?」


 ニーナが聞き返すと、レオンは少しだけ意味深に、冷たく笑った。


「王都の話さ。ニーナがいない穴、向こうの馬鹿どもが思ってるより、ずっと大きくて深いんだよ」


 その言葉が何を意味するのか。

 ニーナがはっきりと知るのは、もう少しだけ先のことだった。


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