悪役令嬢ですが、ヒロインに優しくすると死ぬ呪いのせいで仕方なく悪役やってますが本当は優しくなりたいです
「私は、ヒロインを守るために——悪役令嬢を演じている」
誰にも言えないこの真実を、あなたは信じるだろうか。
私の名はリディア・フォン・クロイツ。
王立学園に通う公爵令嬢にして、この世界における「悪役令嬢」。
この世界は、いわゆる乙女ゲームの世界だ。
ヒロインのアリス・レーンを中心に、イケメン攻略対象たちとの恋愛が繰り広げられる——はずの、華やかな世界のはずだった。
「——っ、」
心臓を掴まれたような激痛が、胸の奥で爆ぜた。
呼吸が止まる。視界が揺れる。
思わず足を止めた私の目の前で、階段を踏み外したアリス・レーンの身体が宙を舞っていた。
——助けなきゃ。
本能が叫ぶ。足が動きかける。
でも、その瞬間、胸の奥から這い上がってくる「それ」が、私の全身を鉄の鎖で縛りつけた。
『警告。対象への支援行動を検知。排除プログラム起動準備』
頭の中に響く機械的な声。
冷たく、容赦なく、私の命を削り取ろうとする声。
「……ッ」
歯を食いしばって、私は動くのをやめた。
代わりに——冷たい視線を向けて、アリスに言い放つ。
「前を見て歩きなさい。邪魔よ」
彼女は運良く手すりに掴まって転落を免れた。
青ざめた顔で私を見上げる彼女の瞳には、怯えと困惑が混ざっていた。
私は踵を返して、その場を立ち去る。
周囲の生徒たちのざわめきが背中に突き刺さる。
「やっぱり、リディア様、冷たい……」
「悪役令嬢って噂、本当なのね」「可哀想にアリスちゃん……」
ああ、そうよ。私は悪役令嬢、リディア・フォン・クロイツ。
この世界——いわゆる乙女ゲーム世界で、ヒロインであるアリス・レーンを苦しめる役割を与えられた存在。
でも、誰も知らない。
この世界には、かつてヒロインを守るために作られた"守護システム"という呪いが残っている。
それが暴走して「ヒロインに味方する者を排除する」という最悪の形で機能していることを。
そして、その対象に選ばれたのが、私だということを。
もし私がアリスに優しくしたら、 もし私がアリスを助けたら——…
呪いが発動して、私は死ぬ。
心臓が焼き切れるような激痛の中で、命を奪われる。
だから私は、悪役を演じ続けるしかない。
アリスを助けたいのに、助けられない。
優しくしたいのに、冷たくするしかない。
それが、私に与えられた残酷な運命だった。
それから数週間、私は完璧な"悪役令嬢"を演じ続けた。
教室でアリスが困っていても、冷たい視線を送るだけ。
廊下ですれ違えば、わざとらしく鼻を鳴らして避ける。
社交界のパーティーでは、彼女の容姿や出自を遠回しに貶める発言をする。
本当は、胸が引き裂かれそうになる。
アリスは純粋で優しくて、誰にでも分け隔てなく接する天使のような少女だ。
彼女が笑うとき、周囲の空気まで明るくなる。
そんな彼女を傷つける言葉を吐くたび、私の心も一緒に傷ついていく。
それでも、私は彼女を傷つけるのをやめられない。
なぜなら——。
「ねえ、聞いた? アリスちゃん、また靴を隠されたんだって」
「三回目よね。誰の仕業かしら」
「決まってるじゃない。あのグループよ」
休憩時間、生徒たちの噂話が耳に入ってくる。
私は手に持った紅茶のカップを、そっと置いた。
アリスは、私以外からもいじめを受けているのだ。
彼女のような平民出身の少女が、王立学園に特待生として入学したこと。
その美しさと優しさで注目を集めていること。
それを妬む貴族の令嬢たちが、陰湿な嫌がらせを繰り返していた。
私が悪役を演じる理由は、それを防ぐためでもある。
私がアリスを攻撃すれば、他の者たちの矛先は私に向かう。
周りの令嬢たちの会話は「リディア様がアリスにまた嫌がらせをしている」という話題になる。
そうすれば、アリスへの直接的な攻撃は減る。
——歪んだ守り方だと、自分でも分かっている。
でも、これしか方法がない。
その日の放課後、私は中庭の薔薇園を通りかかった。
そこで、目を疑う光景を見た。
アリスが三人の令嬢に囲まれていた。
「ねえ、アリス。あなた、調子に乗りすぎじゃない?」
「王太子殿下に話しかけられたからって、得意になって」
一人が手に鋏を持っている。
その刃先が、アリスの美しい金色の髪に向けられていた。
「やめて……お願い……」
アリスの声が震えている。怯えた青い瞳が涙を溜めている。
——助けなきゃ。
身体が動きかける。
でも次の瞬間、胸の奥から例の痛みが這い上がってきた。
『警告』
——くそっ!
私は歯を食いしばって、胸を押さえる。
心臓が締め付けられるような圧迫感。これは呪いの前兆。
もし今、アリスを助けようとしたら——。
でも、このままじゃアリスが傷つけられる。
私は、一歩前に出た。
「まあ、こんな場所でなんて見苦しい」
冷たい声を響かせる。三人の令嬢が振り返る。
「リ、リディア様……!」
「平民相手に三人がかりとは、随分と勇ましいこと。もしかして、一人では何もできないの?」
私は嘲笑を浮かべながら、彼女たちに近づく。
「そんなことでは、あなたたちこそ貴族の名折れね。髪を切るくらいなら、もっと優雅に社交界で彼女の“お話”をしたらいいのに…あ、それだけの頭がないのかしら?」
三人の顔が真っ赤になる。
「なっ……!」
「リディア様に言われたくありません! 貴女だって、アリスをいつも——」
「私は"表"で堂々とやっているわ。陰でコソコソするのとは格が違うの。分かる?」
私は彼女たちを見下ろして、わざと鼻で笑った。
「もし今後、このような見苦しい真似を私が見つけたら——アリスなんかより、あなたたちの家名を、社交界で潰すかもしれないわよ」
低く、冷たく脅す。
三人は青ざめて、鋏を落とすと逃げるように去っていった。
その場に残されたのは、私とアリス。
アリスが震える声で言った。
「リディア様……あ、ありがとう……ございます……」
——ああ、ダメだ。
胸の奥が、また締め付けられる。
感謝されるのが、こんなに辛いなんて。
私は彼女を見下ろして——わざと冷たく言い放った。
「勘違いしないで。あなたを助けたんじゃないわ。見苦しい光景が目障りだっただけ」
「え……」
「それに、あなたをいじめる権利は私にあるの。他の者が手を出すなんて、生意気だと思わない?」
アリスの瞳が、悲しみで揺れる。
——ごめんなさい、アリス。
本当は、あなたを守りたかった。
本当は、優しい言葉をかけたかった。
でも、私にはそれができない。
「次からは、もっと気をつけることね。あなたのような平民は、誰からも狙われているんだから」
私は踵を返して、その場を去った。
私の足音だけが、夕暮れの薔薇園に響く。
そして——私の部屋に戻ってから。
「……っ、うっ……」
ベッドに倒れ込んで、私は声を殺して泣いた。
枕に顔を埋めて、誰にも聞かれないように、堪えきれない涙を流した。
なんで、こんなことになったんだろう。
なんで、私が呪われなきゃいけなかったんだろう。
ただ、アリスを守りたいだけなのに。
ただ、優しくしたいだけなのに。
この忌まわしき呪いの前ではそれすら許されない。
「……つらい……」
小さく呟いた言葉は、誰にも届かない。
私は悪役令嬢。
誰にも理解されず、誰にも愛されず、ただ一人で呪いと戦い続ける——哀れな道化。
転機が訪れたのは、それから数日後のことだった。
「リディア・フォン・クロイツ」
図書館で一人、魔法史の本を読んでいた私に、声がかけられた。
顔を上げると、そこには王太子レオン・ヴァルトハイトが立っていた。
端正な顔立ち。銀色の髪と深い青の瞳。
この国の次期国王にして、乙女ゲームにおける攻略対象の一人。
「……何か御用でしょうか、殿下」
私は冷たく応じる。
レオンは私の向かいの席に、勝手に座った。
「君の行動が、矛盾していることが気になってな」
「……は?」
「君はアリスをいじめていると見せかけて、実は彼女を守っている。違うか?」
心臓が跳ねた。
「何を仰っているのか、分かりかねますが」
「薔薇園の一件。君はあの三人を追い払った。表向きは『自分の獲物を取られたくない』という理由だったらしいが——本質は違う」
レオンは鋭い眼差しで私を見据える。
「君は、アリスを守ろうとしている。でも、何かがそれを妨げている。だから、歪んだ形でしか守れない、違うか?」
「……っ」
言葉が出ない。
この人は——この人だけは、気づいてしまったのか。
「理由を教えてくれないか。君を縛っているものが何なのか」
「……なぜ、そこまで」
「俺は、嘘が嫌いだ。そして、君の目は嘘をついている目じゃない」
レオンは静かに言った。
「苦しんでいる目だ」
——ああ、もうダメだ。
私は観念して、小さく息を吐いた。
「……これは呪いよ」
「呪い?」
私は自分の胸を押さえる。
「私がアリスに優しくしたら——助けようとしたら——呪いが発動して、私は殺される」
「……なんだと」
レオンの表情が、初めて揺らいだ。
「だから私は、悪役を演じ続けるしかない。アリスを直接守ることはできないから、せめて他の者たちの矛先を私に向けることで、間接的に彼女を守っているの」
言葉にしてしまうと、涙が溢れそうになる。
「おかしいわよね……こんなの……」
「リディア」
レオンが立ち上がり、私の前に来た。
「君は、ずっと一人で戦ってきたのか」
「……他に、方法がなかったから」
「なら、これからは違う」
彼は私の手を取った。
「俺が、君の味方になる」
「え……」
「俺が呪いの構造を調べる。必ず、君を解放する方法を見つける」
その言葉が、どれほど嬉しかったか。
どれほど、心の支えになったか。
私は初めて——誰かに頼ってもいいのだと思えた。
でも、運命は残酷だった。
その日の夕方、アリスが行方不明になった。
「目撃情報では、北の森に向かったと……」
「北の森!? あそこは魔獣が出る区域だぞ……!」
生徒たちの騒ぎを聞いて、私の血の気が引いた。
——まずい。
あの森は危険だ。もしアリスが襲われたら——。
私は気が付くと森の方角に走り出していた。
呪いのことなんて、もうどうでもよかった。
大切な人が危険に晒されているのに、黙って見ていられるわけがない。
「リディア、待て!」
後ろからレオンの声が聞こえたが、止まれなかった。
森の中は薄暗く、木々が鬱蒼と茂っている。
「アリス! アリス、どこ!?」
叫びながら走る。
そして——見つけた。
森の奥、崩れかけた祠の前で、アリスが巨大な魔獣に追い詰められていた。
「きゃああああっ!」
彼女の悲鳴。
同時に魔獣の爪が振り下ろされる。
「アリス!」
私は迷わず、魔法を放った。
「氷結よ——凍てつけ!」
氷の魔法が魔獣の足を凍らせる。動きが止まる。
その隙にアリスの前に立った。
そして——次の瞬間。
『警告。ヒロイン支援行動検知。排除プログラム発動』
胸の奥から、灼熱の痛みが爆発した。
「——あっ、がああああっ!」
心臓が焼かれるような痛み。
身体中の血が沸騰するような激痛。
視界が真っ白に染まる。
「リディア様!?」
視界が真っ白な中、アリスの叫び声が遠くの方に聞こえる。
身体が崩れ落ちる。
でも——手だけは、アリスの前に伸ばしたまま。
「……は、はやく…逃げ、なさい……」
「どうして……どうして来たんですか!? 私のこと、嫌いだったんじゃ——」
「嫌いなわけ……ないでしょう……」
私は小さく、本当に小さく呟いた。
「ずっと……守りたかった……あなたを……」
アリスの瞳から、涙が零れ落ちる。
「そんな……じゃあ、今までのは……」
「ごめんなさい……優しく、できなくて……」
意識が遠のく。
体が、もう動かない。
——ああ、これで終わりなんだ。
でも、後悔はない。
最後に、アリスを守れたから。
最後に、本当の気持ちを伝えられたから——。
「リディア!」
そこに聞き慣れた声が響いた。
レオンが、駆けつけてきたようだ。
「くそっ……間に合わなかったか……!」
彼は私を抱き上げて、胸に耳を当てる。
「まだ、微かに動いている……!」
レオンは何かを決意したように、私の手を強く握った。
「呪いのシステム——お前の矛盾を、今から証明する」
「レオン……様……?」
「このシステムは『ヒロインに味方する者を排除する』仕様だ。だが——もし、排除対象が二人同時に発生したら?」
彼は宣言する。
「俺は、リディアの味方になる。彼女を支援し、彼女を守る。そして同時に——俺はアリスの味方でもある」
『——エラー。矛盾検知』
機械的な声が響く。
「そうだ。お前は俺を排除しなければならない。だが、俺は王太子だ。この国の未来を担う存在だ。俺を殺せば、お前の本来の目的『世界の維持』に反する」
『——エラー、エラー、エラー——』
「さらに言えば、リディアはアリスを守った。つまり、彼女はヒロインの味方だ。
お前の本来の目的と合致している。なのに、お前は彼女を殺そうとしている」
『——矛盾、矛盾、矛盾——』
「お前はもう、壊れているんだ。本来の目的を見失い、ただ破壊するだけの呪いに成り下がった」
レオンは私とアリス、両方に手を伸ばした。
「俺は——二人とも、守る!」
その瞬間、世界が光に包まれた。
同時に胸の奥で何かが弾ける音がした。
痛みが、消えていく。
代わりに、温かさが全身に広がっていく。
「……え……」
私は目を開けた。
レオンが、疲れた顔で笑っていた。
「……間に合った」
「レオン様……呪いが……」
「ああ。矛盾の証明によって、システムは崩壊した。もう、君を縛るものは何もない」
涙が溢れた。
堪えきれないほどの、安堵の涙。
「よかった……本当に……」
「リディア様!」
アリスが泣きながら抱きついてきた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……私、私ずっとリディア様のこと誤解してて……ずっと、守ってくれてたのに……!」
「アリス……」
私は初めて、彼女を優しく抱きしめた。
「ごめんなさい……怖い思いをさせて……」
「ううん……ありがとうございます……ずっと、ずっと、ありがとうございます……!」
二人で泣いた。
今まで言えなかった言葉を、全部、涙に込めて。
それから数日後。
学園の中庭で、私はアリスと並んで歩いていた。
「リディア様、今日の魔法学の授業、難しかったですね」
「そうね。でも、あなたなら大丈夫よ」
「えへへ……励まされると、頑張れます」
彼女の笑顔が、眩しい。
こんな風に、普通に話せることが、こんなに幸せだなんて。
「リディア」
後ろから声がかけられた。振り返ると、レオンが立っていた。
「レオン様」
「少し、いいか」
アリスが「お先に失礼しますね」と微笑んで去っていく。
私とレオン、二人きりになった。
「呪いが消えてから、調子はどうだ?」
「ええ。おかげさまで、とても快調よ」
本当に、心が軽い。
もう、誰かに優しくすることを恐れなくていい。
もう、悪役を演じなくていい。
「よかった」
レオンは優しく微笑んで——そして、手を差し出した。
「リディア。これからは、俺が君の味方になる」
「……え?」
「今まで一人で戦ってきた君を、これからは俺が支える。隣にいさせてくれ」
とっさにその言葉の意味を理解して、私の顔が熱くなる。
「それは……その……」
「嫌か?」
「嫌なわけ、ないでしょう」
私は彼の手を取った。
「でも……もしまた、何か呪いみたいなものがあったら……」
「その時は、また一緒に壊せばいい」
レオンは力強く言った。
「君はもう、一人じゃない」
その言葉が、胸に染み込んでいく。
そうだ。
私はもう、一人じゃない。守ってくれる人がいる。味方でいてくれる人がいる。
「……ありがとう、レオン様」
「レオンでいい」
「じゃあ……レオン」
名前を呼ぶと、彼が嬉しそうに笑った。
空を見上げる。
青く澄んだ空に、白い雲が流れていく。
もう、心を閉ざさなくていい。
もう、優しさを隠さなくていい。
私は——ようやく、本当の自分になれる。
「これからは、堂々と優しくするわ」
「ああ」
「誰かを守ることを、恐れない」
「うん」
「だって——」
私は微笑んだ。
心の底から、本当の笑顔で。
「もう怖くないから」
レオンが私の手を握り返す。
その温もりが、確かに、ここにある。
悪役令嬅だった私の物語は、ここで終わる。
そして——新しい物語が、今、始まる。
誰かを想う優しさを、もう隠さない。
誰かを守る強さを、胸を張って示す。
それが、これからの私。
リディア・フォン・クロイツとして、生きていく道。
空の向こうから、温かい光が降り注いでいた。
【完】




