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前編

「シャントール王国第一王女マリー・ブランシュ! 君との婚姻を」


 ローゼンシュティール帝国皇宮の広間での夜会は華やかだ。豪奢な調度品と一流の楽団が奏でる楽に包まれた大広間に、皇太子であるレオン・ヴァレリアの声が響き渡った。笑いさざめいていた貴族達の視線が、何事かと集中した。

 レオンの向かいに立ったブランシュは、息を呑んで俯いた。とうとう、この場で離婚されるのかと、絶望にも似た思いがこみ上げる。自身の淡い金の巻き毛がふわふわ揺れているのが、無性に鬱陶しかった。


「姫さま」


 労るように、護衛女官のリーズの囁きが聞こえた。その声ではっとする。シャントールの王女として、不様な醜態を晒すことは許されない、と思い出して顔を上げた。

 本来ブランシュが立つべきレオンの隣には、ラツェン男爵の次女、ヴェルナがいた。びくびくと怯えているような表情だが、その瞳には勝者の余裕がある。

 ブランシュが断罪の言葉を待っていると、不意にレオンが金色の瞳を瞬かせた。続く言葉を予想しかねたブランシュを見つめ、一瞬口ごもった後。


「──帰る」


 聞き返す余地もなく、レオンは踵を返した。


「殿下?」

「ブランシュ。明日、私の部屋に来るように」


 そう言い置くと、何が起きたのかわからないらしいヴェルナを残し、護衛官と共に部屋に引っ込んでしまった。


「……」


 事態が把握できないのは、ブランシュも同様である。ここ半年ほど、レオンはヴェルナがお気に入りで、昼餐会や夜会にはブランシュではなくヴェルナを伴っていた。その為、レオンは同盟国の王女であるブランシュとは離婚して、ヴェルナを新たな皇太子妃に据えたいのではないかという噂が飛び交っていた。

 今も衆目の中にあると思い出したブランシュは、貴族達を一瞥して優雅に微笑んだ。軽く首を傾げると、金色の巻き毛にシャンデリアの光が乱反射する。


「ごきげんよう、皆さま」


 軽やかに一言だけ残して、ブランシュはリーズを伴って大広間を出た。


***


 皇宮は政務の為の白の宮に加え、青の宮と呼ばれる皇帝の為の居住区と、皇后や皇太子、皇子皇女達が過ごす赤の離宮がある。シャントールの王女であり皇太子妃であるブランシュは、皇后に次ぐ女性として、赤の離宮の一棟を与えられていた。


「リーズ」


 赤を基調にした装飾が施された部屋は、絢爛豪華だ。衣装箪笥は勿論、作り付けの飾り棚まで薔薇と蔓草があしらわれて華美ではあるが、ブランシュはこの国の紋様や装飾は嫌いではない。


「はい」


 護衛女官であるリーズは、武芸と魔法双方に高い実力がある。同時に、ブランシュの女官としての職務もこなしている。


「皇太子殿下は、どうなさったのかしら」

「ラツェン男爵令嬢も戸惑っていました。何か、手違いが起こったような印象を受けます」


 抜かりなく監視していたらしい。ブランシュはヴェルナの方までは見ていなかったので、そう、と呟いた。


「わたくしとの婚姻を破棄するおつもりではないかと、噂を聞いたのだけれど」

「姫さまと皇太子殿下のご結婚は、帝国と王国の同盟をより強固にする為の国策。それを皇帝陛下の許可なく離縁はできません」

「でも、殿下が公の場でそう口になさったら、それは『なかったこと』にはできないでしょう? お父さまが知ったら、わたくしは呼び戻されていたかもしれないわ」


 それは避けたい。ブランシュは、政略結婚かつ白い結婚とはいえレオンが好きだ。本人は少し気にしているらしい黒髪も、金の瞳も、ブランシュからすれば黒獅子のように凜々しく美しいと思っている。

 ちなみに、皇太子夫妻の「白い結婚」は周知の事実だ。始祖の女神アーセリアの瞳は、見る者によって変わる。男には女神の瞳は青く見え、女には翠に見えるという。また、無垢なる者を見る女神の瞳は無色だと言われており、それに影響されてか、女性は契るまで瞳の色が定まらない。名目上の結婚ではなく、実際に契った後、瞳に色が宿るのである。それゆえ、処女性は尊ばれているが、ブランシュのように既婚で処女というのはよろしくない。

 ブランシュの瞳は、処女の今はまだ色が落ち着かない。アレキサンドライトのように、角度によって色が変わる。この色が一つに定まるのは、レオンと「肉体的に」結婚した後になる。その意味では、ヴェルナが処女なのも周知されている。貴族の令嬢が結婚前に瞳の色を定めることは、相手が皇太子であっても醜聞でしかない。


「確かに、皇太子殿下とラツェン男爵令嬢の噂は、国王陛下もご存知ですが」

「もう知られているの!?」

「お二人が公の場に同伴されるようになって半年です、姫さま。報告しなければ、私は無能だと断じられます」


 さらりと「報告しています」と答えられ、ブランシュは小さくむくれた。冷めた紅茶で喉を潤すと、リーズが甘い焼き菓子を用意してくれる。


「明日、お会いした際にお伺いになっては?」

「答えてくださるかしら。最近はわたくしとは会うことすら避けておいでなのに」

「ですが、明日部屋まで来るようにとおっしゃったのは皇太子殿下。招いておいて会わぬとあっては、皇后陛下がお許しになりませんでしょう」


 皇后ジークリンデは、十年前にローゼンシュティールにやってきたブランシュの後見人でもある。実の娘同様に慈しんでくれる、優しい人だ。


「そう……ね」

「あまりご案じなさらず、鷹揚にかまえていらっしゃいませ」

「正式な離婚のお申し入れだったらどうしようと思っているのよ」

「正式なお申し入れでしたら、皇帝陛下からお呼び出しがありましょう」


 それもそうかと納得し、ブランシュは夜着に着替えた。ゆったりした造りの夜着は体を締めつけない。窮屈なコルセットから解放され、ほっと息をついた。


「では、私はこれで。何かありましたらお呼びくださいませ」


 寝支度を調えたリーズが一礼する。こくりと頷いたブランシュは、続き間の寝室に入り、寝台に潜り込んだ。

 枕元にある魔法鈴を確認するのは、日課となっている。これを鳴らすと、リーズを始めとする護衛達に連絡がいく仕組みだ。女官を呼ぶ銀鈴は別にあるが、こちらは壊れていても問題ない。魔法鈴を鳴らし、リーズに「おやすみなさい」と告げるのが就寝前の習慣だった。


「おやすみなさいませ、殿下」


 隣にいない夫にもそう呼びかけて、ブランシュは眠りに就いた。


***


「……もう一度おっしゃっていただけます……?」


 翌日、レオンの私室を訪れたブランシュは、耳を疑った。人払いした部屋は、極上の材料を使った簡素なもので、内装は必要最低限の家具だけだ。絵画や彫像の類は一切見当たらない。半年以上前に訪れた時のままの、レオンの部屋だったことに──ヴェルナの影響がないことにほっとした。


「信じられないのも無理はないが。俺は生まれる前の記憶がある」


 つい昨日思い出したと言って、寝椅子に座ったレオンは腕を組んだ。向かいの椅子に座ったブランシュは、突然のことに理解が追いつかない。


「その世界で、俺は姉に押しつけられた『げえむ』という遊具で遊ばれていた」


 遊具を使ってレオンと遊んだのだろうか。しかしそれにしては、レオンの表情が苦々しい。


「殿下に、姉君はいらっしゃいませんわね……」

「姉というのは暴虐の塊だった。理不尽な命令を下し、弟がそれに逆らうと私刑を行う。妹が逆らえば『可愛い』と言うのに」


 長い黒髪を一つに束ねたレオンは、納得しかねる様子で言葉を継いでいる。滑らかに紡がれる内容は淀みなく、妄想を口にしているとは思えない。


「その『げえむ』の世界がここだ」

「殿下の役割は何でしたの?」

「あっさり受け入れるのか」


 断言し、レオンは少し戦慄したように呟いた。


「そう簡単に信じていいのか」

「二度、同じことをおっしゃいましたもの。偽るのでしたら、もっと入り組んだ嘘でわたくしを謀られるはず」


 心の中に動揺はあるものの、レオンの言葉への疑念はない。嫁いでから共に過ごした日々を振り返らずとも、彼が嘘のつけない性格なのは知っている。


「ここが創られた世界なのは当然ですわ。神が創られたこの世界を、殿下は何らかの手段でご覧になったのでしょう。その記憶がおありということでしたら、わたくしは信じます」

「……ああ」


 どこか安心したように、レオンが頷いた。二十一歳にしては幼い仕種に、ブランシュは小さく微笑んだ。


「笑うな。君はいつも俺を子ども扱いする」

「殿下がわたくしよりお若いのは事実ですもの」


 ブランシュは二十三歳なので、レオンより二つ年長だ。十八歳で成人するこの国で、三年前に結婚したものの、白い結婚を貫いてきた。それは偏にレオンが「政略結婚の妃」を嫌がったからである。彼は、始祖王と同様に「運命の番」と結婚することを夢見ていた。

 この世界には、運命の番と呼ばれるものがある。出会えば一目で惹かれ合うという。その子どもは強大な魔力を持つことから、番とは「世界の均衡を崩す恋」とも言われている。


「それで……重要なのはここからなんだが」

「はい」

「ラツェン男爵家のヴェルナ嬢も転生者だと思う。その『げえむ』に『ヒロイン』──主役として登場していた」

「まあ」


 きょとんとした顔になっただろうブランシュにそっぽを向いて、耳朶を少し赤く染めたレオンが続ける。


「それで、俺は……ヴェルナ嬢に攻略される皇太子だった」

「攻略?」

「よくわからないが、時間が君と結婚する前に戻っていて。カインやユリウスも、次々に籠絡されていた」


 カインはレオンの護衛官を務める近衛騎士で、ユリウスは宰相補佐の文官である。どちらもレオンとは幼馴染だ。


「正直、怖い」

「殿下」

「不気味だ。俺達以外にも、君の兄君を攻略していた」

「兄も既に結婚していますし、子もおりますけれど」

「何故か独身で、この国に留学していた」

「……色々と不思議な遊具ですわねえ」

「絵本が喋るようなものだった。こちら──ヴェルナ嬢の言葉や行動が変われば、相手の対応も変わるという連動でな」


 手元の紙──高級品だが、皇太子であるレオンには日常的なものだ──にさらさらと描きつけられた「げえむ」の概要に、ブランシュはじっと見入った。姿を写し取ったような絵、声を記録したような音声、楽団の音楽がついた不可思議な遊具らしい。


「その『げえむ』で俺は籠絡されたわけだが」

「はい」

「カインが籠絡された場合はともかく、ユリウスが籠絡されたら皇位簒奪され、君の兄上の場合は国ごと滅ぼされる」

「恐ろしいですわね」

「その始まりが、君との婚約破棄だ」

「ですけれど、わたくし達は既に婚姻を」


 ブランシュがそう訂正すると、レオンは頷いた。


「そうだ。昨日、俺は君に婚約の破棄を言い出そうとした。おかしい、もう結婚したはずだと思った時──その記憶が甦った」


 昨日の夜会で、レオンの様子がおかしくなったのはそういうことかと得心した。が、何だか恐ろしいことも聞いた気がする。


「……兄が、この国を滅ぼしますの?」

「君を無碍に扱ったことで怒らせるらしい」

「兄は、わたくしにそこまで関心はありませんわ。そもそも、国力はほぼ同じだからこそ同盟を結んでおりますのに」


 ブランシュの兄にしてシャントールの王太子であるリシャールは、武よりは文に傾いた優等生だし、軍事行為には眉を顰める性質だった。が、ブランシュの記憶は十年前までなので、今は変革しているのかもしれない。


「とにかく、前世の記憶というものが甦ったことで、俺はヴェルナ嬢には恐怖と嫌悪しかない。あそこまで、男に合わせて言動を変えられる女性など信用できない」

「お気持ちはわかりますが」

「彼女が転生者だった場合、俺を選んで攻略していることになる。その先は彼女が実は俺の運命の番で、息子が史上最強の魔法使いになるらしい」


 レオンは、息子が攻略対象の「げえむ」の続編も出ていた、と遠い目をして呟いた。


「その場合は、俺の息子がこの国の王座を捨てる展開だ」

「この国はどうなりますの」

「王家は失墜し、国政はばらばらになって、諸侯達が群雄割拠する」

「最悪ではありませんか」

「そう。最悪だ。民の為にも、戦乱はよくない」

「何とか、それを避ける……ラツェン男爵令嬢に諦めていただく方法はございませんの?」


 問いかけたブランシュに、レオンは微笑を浮かべた。やや自嘲するようなその微笑みは、秀麗な顔立ちによく似合っている。


「……昨日、カインとユリウスに相談した」

「あのお二人でしたら、殿下も気安うございますね」

「そうしたら、二人とも……」

「どのような智を授けてくださいましたの?」

「無理だ、と」

「……」

「そもそも、婚姻を結んだのに白い結婚を強いてきた俺が、都合よく君に救いを求めるなという話だ」

「それは……」


 その言も一理ある、とブランシュも思った。結婚しても、ずっと白い結婚なら教会は申し出があれば離縁を認める。王族の離婚は、白い結婚であることを前提に、枢機卿か教皇が直接裁可する。ヴェルナは、レオンとブランシュが離婚したらすぐにでも再婚に持ち込むつもりだろう。


「だから……機会を与えてほしい」

「機会?」

「汚名返上の機会を。これからは、君の夫として誠意ある振る舞いをする」

「ラツェン男爵令嬢が恐ろしいからですの?」

「彼女の計画通りに事を運ばせたら、この国はいずれ破滅する。──ヴェルナ嬢は、そうなっても自分は無事に生き抜く自信があるのだろうが……民の困窮は避けられない。それは駄目だ」


 そう言ったレオンの瞳は、眩い黄金に輝いていた。

 その金の瞳を初めて見た瞬間から、ブランシュは彼に囚われている。

 この世界の上流階級では、淡い色が好まれる。金髪や銀髪を崇拝して代を繰り返した結果、世界中の王族は色彩が淡い。ブランシュも、レオンに会うまで黒髪は見たことがなかった。

 シャントールからローゼンシュティールに移る時、貴族達が散々に論っていた「王族にはあり得ない野蛮な黒髪」も、「黄金と謳っているだけで、どうせ琥珀程度の色味」と揶揄されていた金の瞳も、レオンの真っ直ぐな気性を顕していて、好ましかった。二つ年下の少年は、今は二つ名通りの獅子のような青年に成長した。


「……わたくしは、殿下をお慕いしておりますわ」

「そうか。それなら、君の気持ちを俺に向けることは可能性があるか?」


 どうでしょう、と言う代わりに、ブランシュは嫣然と微笑んだ。

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