『推し』の声で音声読み上げ機能を使っていたら、まさかの展開になりました……!
作中の『』は音声読み上げ機能が読み上げている部分です。お好きな『声』を当てはめ、妄想しながらお読みください。
また、作中のルビは物語の主人公である令嬢の台詞です。
『「君を愛することはない。 ……すまない。私にはすでに心に決めた相手がいるのだ」』
(あーん、もう! あなたの声でそんな台詞言わないで……!)
イヤイヤと首を左右に振り、イヤホンの上から両手で耳を塞ぐ。まあ、続きが聴こえなくなるわけでもないのだが。
『ルシアンはそっと瞳を伏せると「君では……ダメなんだ」と呟いた。今日、嫁いできたばかりの花嫁は言葉を失い、現実を拒否するかのように小さく首を横に振った。同じベッドで迎えるはずの初夜は花嫁一人で過ごす冷たいものとなった』
(ありふれた始まりね……これから冷淡な旦那様を主人公の吹っ切れた対応で夢中にさせ溺愛に変えていくっていう物語なのかな?)
私はとある会社で事務に勤しむ二十八歳。そろそろ結婚したいなーと思ってはいるが相手はいない。
ややブラック気味なその会社で働き続けることができているのは、今、耳元に流れてくる愛しい声に日々癒やされているから。
今日も私は『推し』の甘い声に絆されている。
音声読み上げ機能を使って物語を『推し』に朗読してもらうと、まるで自分に言われているかのような感覚になることに気づき、こうして良さそうなお話を見つけては利用している。
自宅まで待ちきれず、会社帰りにイヤホンをつけ、物語の読み上げを始めてしまった。
しかし……今日は少し変だ。
いっこうに主人公である令嬢の台詞が読み上げられない。普段ならすべての台詞が『推し』の声に変わるのに。
もしかしたら令嬢の台詞はないのか? とも思ったがバスでの移動中に画面を確認すると、確かに令嬢の台詞もあった。
しかし見事に彼女の台詞だけをすっ飛ばしている。
(ま、いっか。心の中で私が補足して聴けば問題なし!)
結婚初夜に夫から白い結婚宣言をされた奥様の、それなら私は自由な生活を送らせてもらいます! というところから物語が始まり、奥様が屋敷内の従者や侍女たちと距離を縮め、旦那様から放置されても楽しく暮らしていく様子が淡々と語られていく。――大好きな『推し』の声で。
『「最近の……彼女の様子は、どうだ?」ルシアンは執務の手を止めることなく初老の執事マルセルに問いかける。マルセルは「気になりますか?」と白髪交じりの髭の下で柔らかく微笑んだ。「まあ……屋敷の雰囲気が少し変わったように感じるからな」ルシアンはペンを置き、マルセルと目を合わせた。「奥様は誰にでもお優しく、聡明でいらっしゃいます」マルセルの言葉を聴くとルシアンは「そうか」と一言呟き、ペンを取ってまた書類に目を落とした』
(ルシアンの心に決めた相手って、どんな人なんだろう? ここまで全然出てこないし、普通なら邪魔しに来たり、二人で会っている描写があってもいいと思うんだけれど……)
大抵、主人公と対抗するご令嬢、もしくは身分差があって一緒にはなれない町娘とか侍女などが出てきて、彼の心が少しずつ離れていく様子が描かれることが多い。
しかし物語の中の旦那様は仕事に行ったり、執務室で書類の片付けなどしているが、侍女どころか女の影すらない。
首を捻りながら、自宅のドアを開ける。
音声を一旦停止してイヤホンを外すと、スピーカーに接続し直して続きから再生させた。
音声を流したまま、令嬢の台詞を自分なりの言葉に置き換えて声に出すと、まるで『推し』と会話をしているみたいで楽しい。
『「最近は家の者たちと随分仲良くしているようですが……」久しぶりに晩餐を共にしたルシアンが音も立てず切り分けた野菜を口に運ぶ。手元を見ていたエメラルドのような美しい瞳がこちらを見つめた』
「ええ。皆さん、とてもよくしてくれます。何も分からない私に優しく教えてくれます」
『「そうですか」ルシアンはそう呟くと食事に目を移した』
「あの……私にも関係のあることなのでお伺いしますが、想い人はどんな方ですか?」
『「あなたが心配することはありません」ルシアンはこれ以上、詮索するなと言っているように冷たい視線を向けた。そこまで説明する必要もない、ただお飾りの妻を演じてくれればいいと、そう伝えられた』
(もしかしたら禁断の恋なのかも!)
私の頭の中にこの物語によく出てくる執事や従者がふわふわと湧いてくる。
しかしそれでは主人公との恋愛物語にはならない。だとしたら、やはり相手は侍女か、職場にいる方なのか……?
物語を読み上げてくれる機能に相槌や意見を述べながら夕食をとり、後片付けをする。
いっこうに姿を見せない彼の愛しい人は、まるでその存在がなかったかのように話題に出なくなり、少しずつ主人公と彼の距離が近づく日々が送られていく。
『「君のことがもっと知りたい。自分でもわからないがなぜか気になるんだ」何に対しても一生懸命でひたむきに努力し、誰とでも笑い合える親しみやすさ。そしてその笑顔にルシアンはどんどん魅了されていった。いつしか侍女や従者にまで嫉妬してしまうほど。自分から夫の権利を放棄して冷たく接していたのだから、笑いかけてもらえないのは当然なのだが。それでもルシアンは何とか距離を縮めようと努力する。その姿に少しずつ絆されていく』
お風呂に入って湯船で聴き、出てから、明日の支度を整え終わると物語は終盤に差し掛かっていた。
ベッドに入り、瞳を閉じて『推し』の声を満喫していると、突然読み上げ機能の様子が変わった。
『「ああ、待ち切れない。早くこっちに来て、エリー」ルシアンはベッド脇に跪くと愛おしそうに彼女の髪にサラリと触れる』
(ん? そんな甘い台詞、あったっけ? それに……あれ? その名前って……彼女の愛称? 今まで一度も名前を呼んでいないのに)
『「さぁ目を開けて。僕を見て」ルシアンは愛しい彼女の瞼に口づけを落とす』
(ちょっ……ちょっと、待って? 急にそんな――って……ひぃっ。今、何か私の瞼に触れた??)
彼の言葉づかいが変わり、一人称も“私”から“僕”に変わる。
台詞を確認しようと瞼を開くと、エメラルドのような美しい瞳が至近距離でこちらを見つめていた。
「……え、っと? あなた、誰? なんで私の家にいるの?」
物語から出てきたような王子様。それが今、目の前にいる。
私はガバッと起き上がりキョロキョロと辺りを見回した。見慣れない天井、装飾品、家具。すべてが西洋アンティークのよう。
「な、に、これ? ここ、どこ?」
目を丸くしたまま魂が抜けた私に、目の前の端正な顔がこれでもかというほど綻んだ。
「やっと……やっと、こっち側まで来てくれた……! ずっと待ってたんだよ、エリ!」
「へっ? ち、違う……主人公の名前はエリザベス、でしょう?」
「わかってる。でも、君はエリだよね?」
「それは……エリザベスの愛称よね?」
「ううん、違うよ。僕はね、エリ、君を待っていたんだから」
「ええ……?」
彼は戸惑う私の手を包み込むようにそっと握りしめた。そして真剣な瞳を向ける。
「君が僕の心に決めた相手だよ」
「まさか」
「本当さ。ずっと物語を通して僕と話をしていただろう?」
どの話も主人公は違っていた。けれど確かに音声は『推し』の声で一緒だし、会話をしているようだとも思ったし、主人公にはこう言ってほしいと自分で台詞を変えたりもした。
でも、私の“えり”という名前まで、なぜ知っているのだろう。
眉目秀麗な青年は私の心を読んだかのようにクスリと笑って言った。
「この前の物語で君は自分の名前に置き換えて会話をしていたんだ。だから僕がオススメの物語をこの話にした。主人公エリザベスの愛称はエリー。そして僕から君の名を呼びかけ、君をこちらの世界に呼び寄せるために」
(え? 何それ? これって、異世界転移ってやつ? でも……)
私は両手を見る。そして髪の毛先をつまんで見る。どちらも見覚えのある“私”のものではない。
(あっちの私、いったいどうなっちゃったのー!?)
魂が抜けた状態にでもなっているのだろうか。
まあ、それならそれでもいいか。もしかしたら過労死ってやつかもしれない。私には身寄りがいないから職場の誰かが見つけてくれるだろう。その人には迷惑をかけてしまうけれど。
「ねえ」
「ひゃあ!」
突然耳元で囁かれた、初めて生で聴く『推し』の声に背筋がゾクッとする。
耳を抑えながら悶えるのを我慢していると笑うのを堪えているかのように彼が口元を覆った。
「エリが僕の声を好きだというのはわかってるつもりだけど……慣れてくれないと困る」
「ええ……」
「もっと近くで話したいから」
ずいと急に距離を縮めたルシアンに、私は堪らず後ずさりする。
(これは、困った……)
これからずっと心ゆくまで至近距離で『推し』の声を聴いていられるのはとても嬉しい。だけどあの容姿とセットだと破壊力がありすぎる。
「大丈夫。毎日聴いてれば慣れるよ! さあ、今から始めてみようか!」
ルシアンはガバッと私を抱き寄せると耳に口を寄せる。
「愛してるよ、僕の奥さん。もう離さない」
『推し』の声を聴いていただけなのに、まさかの展開になりました!!
〜後日談〜
ところで物語の本当の想い人は誰だったのか、と聞いてみると、すっごく嫌そうな顔で『幼い頃すでに儚くなった幼馴染の令嬢』だと教えてくれた。
初恋を拗らせてたんだねー、と笑うと耳元で『許さないから。覚悟しといてね』と物凄い笑顔で囁かれた。
いまだに慣れないー!!(声も顔も距離も)
お読みくださり、ありがとうございます。
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