少女は口を噤む
少女が混沌と夜の神・摩宵の元に
嫁入りしてから少し。
具体的に、人の時間で三月ほど経ち
この箱庭での日々が少女にとって
早くも日常になったある日。
すっかり寒くなり、もう一月もすれば
雪でも降り出すのではないかと言うそんな一日。
少女は縁側で傍の火鉢で暖を取りながら
摩宵の膝に乗せられ彼がとある集まりの帰りに
買って来たらしいお土産をの餅を摩宵の手ずから
与えられるままに、その小さな口で
チマチマと食べていた。
ここに来てからの毎日は幼い少女には
現世に居てもそうだったのだろうが
当然の様に知らない事だらけで
毎日が勉強と発見の連続だ。
摩宵は事あるごとに少女を可愛い可愛いと
撫でまわし、スキンシップをとってくる。
愛玩でもしている様なそれに
彼は少女を花嫁ではなくペットか何かだとでも
思っているのではと、最初の数日は
思わなくも無かったので、事ある毎に
口付けをする事や、下腹の辺りを撫でる
その理由を聞いてみれば、成長の段階で
摩宵の神気を日常から少しずつ馴染ませて
身体や魂に拒否反応が出ない様にしているらしく
こうする事で人から神になっても
身体や心を壊す事がほぼなくなるんだとか…。
勿論、相性や本人の気質の問題から
その慣らしが無意味な事もそこそこあるらしいが
少女は摩宵との相性がすこぶるいいので
そんな心配は欠片もしなくていいらしい。
この慣らしも飽くまで他の神や神気が解る
人間に対する警告の為にマーキングとして
付けているのが目的の大半であるそうだ。
「美味いか?竜胆」
『うん…、でもおもち
すぐおなかいっぱいになっちゃうね』
「餅は米で出来ている分膨れるからね
あぁ、でも無理に食べると夕飯が
入らなくなるから、この位で終わりにしておこう
気に入ったならまた今度買って来よう」
『ん、はぁい』
そんなやり取りの間も、摩宵は少女の頭を
餅を持たない手で撫で続けていた。
摩宵は少女の世話をするのが
楽しくて仕方ないらしく、自分の事や
大きなものは式神や眷属達にやらせはするが
風呂に入れる、食事を食べさせる
着替えさせる等の身の回りの事から
文字の読み書きなどの勉学に関する事も
摩宵自らが見ている。
精神が大人のそれと大して変わらない少女は
理解力、読解力も相応に上がっている様で
子供のまっさらな脳と合わさり
沢山の事をスルスルと記憶していく。
次に次にと進んでいく内容に、摩宵も
随分と楽しそうに基本的な読み書き計算は
早々に切り上げ、神々の世界やその力関係など
この幽世で神嫁として必要な事など
もう少し大きくなってから教える予定だった物を
巻きで教え出し、様々な知識の骨組みが
積みあがっていた。
机に向かい行う勉学以外にも
情操教育なのか、楽器や歌、図画工作などの
美術芸術関係、摩宵の眷属で炊事を得意とする者に
料理を教わるなど、小さな体でも出来そうなことや
少女が興味を持った物や事は
何かしらの理由がない限りは全て
やらせてくれたし、出来ない理由も
きちんと教えてくれたので
少女もノビノビと勉学に励むことが出来た。
・
・
・
…その日
少女は広い屋敷で式神と留守番をしていた。
普段からべったりとくっ付いている摩宵は
何処に行ったのかと言えば、単純に
神様としてのお仕事で屋敷を留守にしていた。
摩宵本人は少女を連れて行きたいと
盛大に駄々をこねたのだが、それは他ならぬ
少女自身が断った。
幾ら精神が大人の様に成熟していようと
身体はまだ幼い幼女である。
言葉もまだ舌足らずで、上手く発音できない
単語だってある。
おまけに、神の仕事の場に嫁入りしたとは言え
まだ人の身を抜け切れていない自分では
他の神に迷惑をかけかねない
そしてそれは摩宵が悪く言われる切っ掛けに
なってしまうかもしれない、と。
そう言って俯く少女に、摩宵は
神なんて自分勝手、我が儘でなんぼだ
なんて言いはしたが、愛おしい花嫁が
拒否したのでは仕方ないと、最終的には諦め
出かけて行った。
その様子は本当に渋々と言った様子では有ったが
内心、摩宵は元々可愛らしい妻を盛大に
見せびらかしたい気持ちと
誰の目にも触れさせず奥の奥に大事に
しまい込んでしまいたい気持ちとの両方が
せめぎ合っていた為、個としてまだ
育ち切っていない幼子ではもし万が一にも
他の神に気に入られマーキングが上書きされては
大変だと思って今回は諦めたらしい。
摩宵は出かける際、少女に何度も繰り返し
屋敷の離れから出ない様に、そして
御付きの式神の傍を摩宵本神が帰り
きちんと解除するまで決して離れない事。
もし、閉じた戸越しに話しかけられたら
例えそれが自分や、他の聞いた事が有る声でも
絶対にその戸を開けたり返事をしない事。
声を出すのも危ないからダメ。
などなど、沢山の約束事を言いつけて行ったのだった。
さて、少女は何度も出ている通り
身体こそ幼子ではあるが
どういう訳か精神だけは大人と変わりない程に
成熟している。
精神が成熟している為か、好む物も
幼い女の子の者とは違う。
少女は摩宵に勉強を教えてもらい
読み書きができる様になって以来
積極的に本を読んでいる。
最初の内は簡単な絵本だったのが
漢字を読める様になってからは漫画を
難しい文が理解できる様になってきてからは
小説なども好んで読んでいた。
現代の日本には様々な話が溢れているが
基本的に物語には絵本、漫画、小説問わず
セオリーと言う物が有って、その中でよく見るのが
少女が【やっては行けないシリーズ】などと
呼んでいる物が有る。
何故、今そんな事を突然出したのかと言うと…。
カリ…カリ…
カリカリ……カリ…
[アケテ…カエッテきたヨ…
ねェ…あけテ…あケテよ…ネェ…]
ガタ
ガタ
ガタ
ガタ…
[アケテ アケテ アケテ アケテ アケテ
アケテ アケテ アケテ アケテ アケテ
アケテ アケテ アケテ アケテ アケテ
アケテ アケテ アケテ アケテ アケテ
アケテ アケテ アケテ アケテ アケテ…]
[ あ け ロ ]
バ ン ッ !!!!!!
ただ大人しく書庫で本を読んで
居ただけの少女の元に
そんな奇怪なお客さんが
訪れてしまったからだ。
襖の向こうでは未だ絶えずバンバンと
強く叩く音が響いている。
普通の幼児であれば恐怖から泣き叫ぶだろうソレ。
しかし、そんな状況にも関わらず少女は
音が喧しいと思いながらも我感ぜずと
手元の本を読み続けていた。
摩宵から御付きに付けられた口のきけぬ
式神の方が外の怪異と少女態度の温度差に
おろおろとしていた位だった。
バンバン、ガンガンと音が鳴り続ける。
開けろ開けろと喧しい荒くひび割れた声も
変わらず続いており、こちらが何か行動を起こすか
それとも外で何いかしら変化が怒らない限り
止まりそうもない。
あまりにも長時間にわたる騒音に
少女は恐怖心よりも苛立ちの方が
よっぽど強く感じていた。
あぁ、早い所諦めてどっかに行ってくれないだろうか
そもそもこの屋敷には摩宵様の守りが
掛けられてるから早々悪い物は
入って来られないって聞いている。
中の誰かが招き入れるか、摩宵様と
同じくらい強い誰かが送り込んでこない限り
あんなモノが入って来る事なんて無い筈だし。
私が気に入らない誰かか、それとも
摩宵様に嫌がらせをしたい誰かか…。
ページをめくる手を止める事無く
そんな事を少女は考えていた。
・
・
・
それからどれだけの時間がたっただろうか。
音は未だに鳴りやまない。
いい加減鬱陶しく、うんざりもしていたが
ここで声を出してしまえば
これまでの我慢の意味がなくなってしまう。
あの怪異、本当にどうしてくれよう…。
そんな事を考えだした時だった。
急に外の音が聞こえなくなったと思えば
鶏の首を絞めたかのような
酷くキタナイ絶叫が響いた。
怪訝に思い顔を上げ、襖の方に目をやる。
襖の向こうではジタバタとのたうち回る様な
音が声に重なり壁や襖にもぶつかっているのか
不思議と開く事のない襖をガタガタと揺らしている。
少女が警戒して襖を注視していると
暫くして音が止んだ。
しばしの静寂の後静かに襖が開く。
そこに居たのは…。
「あぁ、竜胆
良かった、ちゃんと言いつけを守って
くれたんだね。大丈夫かな?
怖くなかったか?」
『……おかえりなさい、まよいさま
こわくなかったけど、うるさかったの』
御付きの式神を消しながら帰ってきた摩宵が
心配そうにそっと少女の頬を撫ぜながら
聞いてくる。
しかし、ケロッとした顔で答える少女に安堵すると
そのまま少女の小さな体を抱き上げ
書庫を後にする。
部屋から廊下に出た所で少女はなんとなしに
書庫の入り口に視線を向けた。
そこには丁度、燃えカスの様な細かな塵が
風に飛ばされるのが見えただけだった。
・
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・
書庫から移動し、摩宵が向かったのは衣裳部屋。
摩宵は屋敷に帰って来て直ぐに
不穏な気配を感じたのか、少女の元へ
急いできたようで、余所行きの格好のままだった。
衣裳部屋に入り、少女を椅子に下すと
衝立の向こう行き、式神が手渡す着物に着替える。
そして、摩宵が着替えながら話すのは
先ほどの怪異について。
先ほど部屋の前に居た喧しいアレは
摩宵曰く、彼の婚約者候補(自称)の
とある女神が嫌がらせに寄越したモノだそうだ。
その女神は摩宵には遠く及ばないが
そこそこ上位の神の娘で、大層甘やかされており
それはもう傲慢に育ってしまったんだそうだ。
そんなでも一応女神である為、容姿は相応に
整っており、周りの下級女神を取り巻きに
威張り散らし自分こそが摩宵の妻に成るのだと
ふれ回っていたそうだ。
娘が可愛い彼女の父神はさり気なく、時には
直接的に摩宵に嫁入りの打診をしていたそうだが
摩宵本神は当然応える気は欠片も無く
断り続けていたと。
そんな中で、かなり昔から探していたとは言え
本当に人間の幼子を嫁に娶ってしまい
理不尽に怒り出してしまったらしい。
何とはた迷惑な…。
と少女がしょっぱい顔をしていると
着替え終わって出て来た摩宵が
人でも殺しそうな程にいい笑顔で
「僕の大事な花嫁に危害を加えて来たんだ
きっちりと責任を取らせるさ」
なんて言いながら、また少女を抱き上げた。
・
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・
「何故!何故なのです摩宵様!?
あんな人間の、しかもまだ幼く
何も解りもしないただの小娘の何に
この私が劣ると言うのですか!?」
普段であれば多くの者が振り向く
美しい顔をあらゆる負の感情に歪め
長い髪を振り乱し怒鳴り散らす姿は
さながら悪鬼の様で、到底女神とは呼べない。
数段高い位置に座る摩宵を見上げ声を荒げる。
彼女は今、摩宵の仕事場である社に
呼び出され、怪異による襲撃について
観衆の元尋問を受けていた。
尋問と言っても、摩宵には彼女が
やらかした事は解り切っていたので
摩宵がこの愚かな女神を断罪する理由を
世間に明らかにしておく為に
態々彼にとってこんなにも面倒な処置を
しているのである。
本来なら、摩宵の様な最高ランクの神は
気まぐれに下位の神を消しても
咎められる事など有り得ないのだが
今回狙われたのは摩宵の花嫁とは言え
ただの人の子である竜胆。
女神である彼女がまだ人の域を出ていない
竜胆に怪異を嗾けただけでは…
しかも竜胆に心も含め一欠片も
傷がついていないのでは摩宵は兎も角
竜胆が彼女を気に食わない他の神に
また、嫌がらせを受けかねない。
だからこその観衆の元での尋問なのである。
コレは言わば裁判である。
摩宵の社に娘が呼ばれたと聞いた当初
父神は困惑の症状を浮かべていた。
しかし、摩宵が屋敷に侵入していた
怪異の事、その怪異に付いていたこの女神の
神気や記憶について話せば
それはもう可哀そうなほどに顔色を無くして行った。
「あ…あぁ…、お前は摩宵様の嫁御様に
何と言う事を…!」
「だってお父様!正規の女神である
私を差し置いてただの人である
あの小娘が高貴な摩宵様の―」
「黙りなさいっ‼」
「お父様!?」
言い合いをする二人を冷え切った眼差しで
摩宵はただ退屈そうに見つめた。
周りで見ていた他の神々もただ見つめる。
頭が痛そううな者、残念だとでも言いたげな者
幼子に、摩宵様のお嫁様に何たる無礼を、と
憤怒する者も居た。
「下らない言い争いは醜いばかりだな
お前たちが何を言おうが結末は変わらない」
淡々とした摩宵の声にハッとした顔で
摩宵を見上げる。
気だるげな様子を一切隠そうともしない摩宵は
冷淡な声で審判を下した。
・
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・
今日もまた、少女は摩宵の膝に抱えられ
抱き込まれている。
普段から少女の傍に居る時は
基本的に何時でも上機嫌なのだが
その日は何故か何時にも増して矢鱈と
深い、何処か怪しい笑みを浮かべていた。
抱え込んだ少女を撫ぜながら摩宵はわらう。
例の女神には、きちんとケリをつけたから
竜胆はもう何も心配することは無いのだ
そう、うっそりと"わらって"言うのだ。
例え思う事が有っても少女は何も言わない。
それを解って摩宵も多くは語らない。
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