人の世、神の世
シャラァ・・・ン
シャララァ・・・ン
神輿に合わせて鈴の音が響く。
山奥故に人口の明かりが極端に無い
夜の闇の中、儀式の為
道に配置された行灯が
山道をぼんやりと照らす。
山奥にある小さな村の小さな祭り。
村の平穏を神様に祈願するための祭り。
地図に載るかも怪しい
山の中のにある村の…。
神様への贄を差し出す最後の祭り…。
・
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五歳に成ったばかりだった少女が
白無垢を着付けられ神輿に乗せられる。
神輿は少女の生家から
山のお社迄少女を運ぶ。
シャラァ・・・ン
シャララァ・・・ン
鈴の音がお社で待つ神様に
花嫁の居場所を伝える。
ガタガタと山道を上り少女を乗せた神輿が
お社に到着する。
世話役の女性に手を引かれ
とある一室に通された。
そこは昨年までならば、巫女役の子が
一晩を明かす部屋。
本来、寝室としての内装だったその部屋は
今は少女の嫁入りの為の
内装に作り変えられていた。
今着ている花嫁衣裳も含めて
この一週間足らずでよくここまで
用意したものだと、少女は思いながら
室内を見まわした。
入り口正面、部屋の奥
そこは黄金の 屏風が立てられ
その前に座布団が敷かれている。
案内をしてくれた世話役の女性に
そこに座り、神様を待つように言われる。
あぁ、これでこの…
人の世界とはお別れに成るのだろうか…
それとも、偶には遊びに行く事も
有ったりするのだろうか…?
一人になった部屋でぼんやりと
そんな事を考えながらその時を待つ。
どれだけの時間がたったのだろうか…?
この部屋に窓は無い。
シャンシャン…
シャン…シャラン……
うつらうつらとし始めた少女の耳に
鈴の音が届く。
それと同時に、キシリ…キシリ…
と言う静かな足音も。
あぁ…、誰かが部屋に入ってきた…。
きっと、神様なのだろう…。
起きなくては…
と、頭では思っていても
瞼が上がらない…。
あぁ、神様がもう、目の前まで来ている。
きちんとご挨拶しなければ。
何とか声を出そうとするも
眠気に抗いきれない少女の
小さく掠れた声に、クスリ、と
小さく笑う音が聞こえる。
薄っすらとしか開かない瞼
掠れる視界の中に緩く弧を描く
薄い唇が映る。
「幼子には辛い時間だろう
そのまま眠っておしまい」
甘く優しい声で囁かれる。
声のままに、なんの抵抗も無く
意識は眠りに落ちて行く。
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ことり…と、あっさり眠りに落ちた
可愛い幼子を抱き上げた。
小さなその身に純白の花嫁衣裳を纏う彼女は
幼いが故に、まるで七五三の様であったが
自身への嫁入りの為に着飾ったと思うと
何よりも愛おしいと心が満たされる。
この時を持って、この幼子は
神の妻になったのだ。
抱き上げた幼子の顔を今一度
覗き込み、それから、歩き出す。
襖の前に立つと、襖が一人でに、静かに
スゥ…っと開いて行く。
開いたその先…
そこに本来ある筈の廊下は無く
ただ、薄闇の空間が広がっているだけ。
しかし、その空間はただの薄闇ではない。
そこは神の世界へ続く道。
過去、巫女に選ばれた子供達は
この空間を目にした瞬間に
得体の知れない恐怖から
殆どが泣き出している。
そこは現世と幽世の狭間
もしも、そんな所で道に迷ってしまえば…
「ははは、眠ってしまったのが
却って良かったかも知れないな…
この道を通る時、大体の子供は
泣き叫ぶから…」
可愛い花嫁には出来る限り
怖い思いをして欲しくないからなぁ
「でも、どうだろうなぁ
君は中々に肝が据わっている様だから」
等と、小声でつぶやく。
あぁ、やっと見つけた、捕まえた
大事な大事な可愛い花嫁。
パタリ、と
小さな音をたて
襖が閉じた…。
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穏やかな風の音
閉じた瞼の上から
優しく照らす陽光を感じ
目を覚ます。
ぼんやりとした頭と視界は
なんとなしに見渡したその部屋で
パッチリと覚醒した。
その部屋は明らかに、少女が眠ってしまった
あのお社の部屋ではなかった。
その部屋の広さは12畳ほど。
大きくふかふかと柔らかい布団の傍には
大きめの黒い漆塗りの行灯が置かれ
細かい麻の葉模様の格子が美しい。
壁際に置かれた紅い衣桁
それに掛けられた着物は
光加減でうっすらと緑がかって見える
不思議な黒地に、銀の月下美人が
繊細な線で描かれている。
少し離れた所には、天井近くまで有る
大きな本棚が有り、そこにはぎっしりと
本が詰まっている。
棚の一部に巻物の様な物まであるが
それらはまだきちんと勉学に触れた事のない
幼い少女には何かも解らなければ
文字だって漢字だらけで読めやしない。
その横にはどっしりとした書き物机が有り
机の上には立てられた使いかけの蝋燭と
大小の筆や万年筆、それと紙束などが綺麗に
纏めて置かれている。
ざっと見渡した程度で解るのは
その位だろうか。
布団から起き上がった体制のまま
キョロキョロとしていると
部屋の外から、きしり…きしり…と
足音の様な板の軋む音が聞こえて来た。
音の方に顔を向けると
雪見障子のガラス窓の向こうに
下に向かって青から黒に代わる
美しくグラデーションのかかった
袴が見えた。
障子が開けられ
障子の向こうに居たヒトが入ってくる。
座っているから、という事を除いても
首が居たくなりそうな長身
体格的には男なのだろうか…?
見上げた顔は先ほど開けられた障子から
差し込む逆光でよく見る事が出来ない。
「おや、起きていたんだね」
そう言って目の前にしゃがみ込んだ
そのヒトに、少女は酷く驚いた。
屈んで近づいた事で見える様になった
その顔は息が止まりそうなほどに
美しかったのだ。
いや
最早これは、美しいと言う言葉ですら
足りないと思わせる…
見る人によっては恐怖すら感じるのではと
錯覚してしまう様な造形。
髪は眩しい程に輝き、それは
老人の様に色が抜けた訳でも
都会の若者の様に染めた訳でも無い
混じり気の無い美しい純白。
こちらを覗き込む瞳は
怪しく輝く明けの明星。
それを縁取る髪と同じ色の睫毛は
一本一本が長く、ふさふさとしている。
切れ長の釣り目はとろりと甘い色を
漂わせながら楽し気に弧を描く。
薄く形の良い唇や滑らかな
象牙の肌は荒れた事など無いのだろう。
「おはよう、僕の愛しい花嫁」
そう言ってそのヒトは少女の頬を
優しく撫ぜると、そのまま少女の小さな唇に
そっと柔らかく、静かに口づける。
一瞬の後すぐに離れて行った美しい顔を
ただ、ぼぅ…っと見つめる。
そうしていると、目の前の彼はクスクスと
何だか可笑しそうに、しかし
愛おしい、と言う甘い気持ちが
溶け出した様な同じ位に甘い眼差しと声で
少女に語りかける。
僕の名は"まよい"
夜が迫ると書いて摩宵。
君たちが言うお告げの神様だ。
さて、僕の幼き花嫁よ
君の名前を改めて聞かせておくれ。
"かやま りんどう"…うん
文字は、解るかな?
あぁ、解るんだね、イイ子だ
香る山に竜の胆か
実に良い名を貰ったね。
ん?何故名前の文字まで効くのか?
ふふ、名前は何よりも大事なモノだからね。
理由はまた後で教えてあげるから
今は、まだ気にしなくてもいいさ。
寝起きで申し訳ないが、先ずは
この場所について少しお話しようか。
ここは幽世…君には神様の世界って
言った方が解り易いかな?
うん、それでその神様の世界は
其々の神様の持つ
空間…神域と呼んでいるんだけど…
まぁ、これの詳しい事はまた後にしようか。
いまはざっくりと、其々の神様が
其々に領地を持っているって感覚でいい。
取り敢えず、ここは僕の領地、
神域内にある僕の屋敷、そして
昨晩君が僕の元に嫁いで来た時から
君の家で帰る場所でもあるから
きちんと認識しておくんだよ。
あぁ、その順応性の高さはとてもいい事だ
ここではあんまり細かく考え過ぎると
心が保たないからね。
普通の人間は神の時間や現象、感覚に
耐えられないから…。
え?今までの子供達もここに居るのかって?
ははは、居ないよ。
アレ等はそもそもが花嫁を見つけるまでの
暇つぶしで、村を守る対価として
何も貰わない訳には行かないから
差し出させてただけだし。
それにね、僕の顔を見る度に発狂するわ
泣き出すわ失神するわ…。
最初に大丈夫だったヤツ等だって
慣れてくれば我が儘を言いだしたり
浅ましく媚びて来たり…。
酷い時は床に潜り込む様な不届き者まで
出る始末…。
人間って良くも悪くも神って存在を
理解できないの多いよね。
ま、そう言うのばっかりだったし
気持ち悪いからさっさと処分しちゃった。
魂の核から崩したから転生だって
出来ないよ。
他の奴も君を見つけたと同時に
みぃーんな処分したよ。
だって、自分は特別なんだ、なんて
勘違いした愚か者に君を傷つけられたら
たまったものじゃないからね。
そう何でもない様に笑って言う神様の
何と無邪気で残酷な事か。
ただの人には何とも恐ろしく
背筋の凍りそうになる話であったが
彼に求められ愛される花嫁として
呼ばれた少女にとって、それは
ただの深い深い…
一つの愛情のカタチでしかなかった。
「神の愛は何の神かで
愛し方が大きく変わるんだ
僕は混沌、夜の化身…だから、
昼間の神に比べて愛情が暗く重いんだ」
それこそ、普通の人の感性では
潰れてしまいかねない程に…。
君は…竜胆は、
はたして僕を受け入れられるだろうか…。
怪しく輝く明星の瞳を細め
うっそりと わらう 摩宵を
少女は首を傾げ不思議そうに見つめる。
そして………。
・
・
・
少女が目を覚ました数時間後。
恐らくこの屋敷で一番広いであろう部屋で
少女は漆黒の花嫁衣裳を纏い
大勢の神様の前に座っていた。
花嫁のお披露目と神様の仲間入りを
しますよ、と言う儀式をしておく事が
今後の為にも大事なんだそう。
この儀式は、厳密に言えば少々違うが
人で言う所の結婚式に当たるらしい。
摩宵は相当大きな力を持つ
神であるらしく
これだけ大勢の神の中に在っても
恭しく祝いの言葉を贈られ
大半の神様に"様"を付けられ
呼ばれているらしかった。
それはそうとして
神々の前での儀式やお披露目は
解るが、何故黒い花嫁衣裳なのか。
単純に、嫁入りの相手の摩宵が
混沌と夜の神である為だ。
【あなた以外には染まりません】
と言う意味もあるらしいが
何方にしろ"摩宵の色"に染まると言うのは
人から神に生まれ変わる
と言う視点でも重要な事であるらしい。
何人もの神様が摩宵と少女の前に
入れ代わり立ち代わりやって来ては
祝いの言葉をかけて行く。
見た目は幼い少女だと言うのに
神様には関係ないのか
それは楽しそうに、心の底から
目出度いと祝福の言葉を口にする。
一通りの挨拶が終わると摩宵が一つ
パン、と柏手を打つ。
するとその瞬間視界がブレ
気が付けばその広い部屋には
沢山んの長机が並び、その上には
山、海、平地、様々な地域の
ご馳走が所狭しと並び
食べられるのを今か今かと待っている様だ。
神と言うモノは昔話や神話にある通りなら
そのほとんどが酒好きな者だ。
そのせいか、料理が並ぶ机の一角に
随分と多種多様な酒がずらりと
並んでいる所があり
それらは皆で少しづつ空けるのかと
思いきや、見ていると一人一升
神によっては樽で持って行く者まで
居る所を見ると、伝承にある"神は酒好き"
と言うのは間違いではないらしい。
少女が溶ける様に無く成って行く料理達と
水の様に干されて行く酒を
唖然と見ていると、横から摩宵が
細工の美しいガラスのコップに
冷たい茶を注ぎながら笑いかける。
「ほら竜胆、君も好きなだけお食べ
他に食べたい物が有るなら遠慮なく
言うんだよ?なんだって用意してあげるから」
『ん、と…だいじょーぶ
いっぱいあっても食べきれないから』
受け取った茶をくぴくぴと飲みながら言う
少女に、摩宵はまたとろける様な瞳で
微笑み、そう?と言って少女を抱き上げる。
そしてそのまま箸を持つと
て時かな料理をつまみ、少女の口元に
差し出してきた。
戸惑いながら差し出された物を口にすれば
摩宵は嬉しそうに次、また次、と
給仕を続ける。
自分で食べられるよ、と言っても
神の手から餌付けるのが大事なのだと
そう言われてしまえば何も出来ない。
結局この宴会中少女は摩宵の膝の上から
下ろされる事は無かった。
夜も更け、白銀の月が真上を大分過ぎた頃
宴は招待客たちが酔いのままに
眠ったしまったり、真面目な神は
翌日も仕事だからと帰って行ったりとで
そのままお開きとなった。
・
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・
本来ならもうとっくに睡魔に負け
深い眠りについているであろう
時間だと言うのに、今日はどういう訳か
眠気は一切なく、少女の目は
パッチリと冴えていた。
この後はいったい自分はどうすれば
何をすればいいのだろうか、と
思って居れば、少女を抱える摩宵が
そろそろ下がろうか、と小声で
話しかけて来た。
彼を振り返る前に彼は少女を抱えたまま
立ち上がると、最初にこの屋敷で
目覚めた部屋に向かった。
部屋に入れば、綺麗に敷き直された布団。
漂う香りは、どうやら香を炊いているらしく
布団から少し離れた所に細い煙の立ち上る
香炉が置かれている。
摩宵が少女を敷かれた布団に下す。
そして、摩宵はそのまま上から
覆いかぶさるように少女を抱きしめる。
「君の身体はまだ小さいから…
もう少し、身体も魂も神を
受け入れられる位育つまで少しづつ
ゆっくり慣らして行こうね」
そう言いながら摩宵は少女に
何度も、何度も、柔らかく口づける。
「10年もすれば問題なく
僕を受け入れる事が出来るだろう
そうしたら体の成長も止まるから
だからその後に、たぁくさん
僕の子供を産んでね…」
今は僕に慣れるのを…
触れられるその事に慣れようね…。
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