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 気づけば桜の木はあおあおしく葉を茂らせ、中庭の花壇はさまざまな色を咲かせていた。

 せっかく季節の移ろいを眺められる特等の病室だというのに、私がそれに気づけたのはようやく副作用が治ってきた新緑も終え頃の時期だった。


 ベッドから立ち上がり、窓際に寄れば殺風景だった私の視界に鮮やかな緑が焼き付く。

 例年の今頃なら外は蒸し暑くなっているだろう。

 均一に室温が保たれた病棟ではその変化には気づくことができず、寝たきりだった私が暑さを感じるのは創に手を握られている時くらいだった。


 その創も、今日はまだ私の病室を訪れてこない。


 自由に動き回れる時間のほとんどを一緒に過ごしているけれど、毎日やってくるわけではない。

 創には創の治療や検査があるし、お見舞いがあるだろうし。もしかしたら体調を崩して来ないのかもしれないけれど、「なぜ来なかったの?」と聞いたことはなかった。

 お互いに干渉しない。私たちのお付き合いにおける決め事に、その質問はきっと触れるだろうと思ったから。






 ……――結局、創は消灯の時間になってもやってこなかった。

 そんな日もある。創に会えなかったのをちょっとだけ寂しく思いながら、明日は私から出向こうかなと考えて布団を被った。

 だんだんと体調は戻ってきているので、寝たきりだった分の運動にはちょうどいいかもしれない。

 そうするとなんだか楽しい気分になってきて、明日を迎えるのが待ち遠しく思えた。


 カーテンを透かして月灯りが病室内をうっすらと照らす。

 今日はなんだか夜空が明るいらしい。

 昼間に見た草木が瞼の裏に蘇り、月灯りの下で見ても鮮やかだろうなと思い描く。今日の私はなんだか元気だなぁ、と嬉しくなった。

 晴れやかな気分で眠りにつけば、明日はすぐにやってくるだろう。


 浮き上がる気分を落ち着けて、私はようやく睡魔に誘われた。




 小さなノック音に気づく。

 スッと扉が開き、足音が入ってきた。見回りの看護師さんかな、と私は気にせず瞼を閉じて再び眠りにつこうとした。


「彩、起きてる?」


 その声に、急速に意識を引っ張られた。


「……創?」


 私が声を出すと、足音は安堵したようにベッド横までやってくる。


「ごめん、起こしたね」

「ううん。どうしたの? あれ、点滴は?」


 部屋に入ってきたのが看護師だと思ったのは、点滴スタンドのキャスター音がしなかったからだ。

 月灯りでうっすらと見える創はいつものスタンドを押しておらず、それがなんだか不思議な光景だった。


「一時的に外してるんだ」

「それって……」


 経過が良好だから? それとも、治療方針の変更? 顔色まではっきりわからないけれど、創の体調は悪くないように見える。

 どう質問をしようかと一瞬躊躇うと、そんなことより、と言うように創は私の顔を窺った。


「体調はどう?」

「うん、大丈夫」

「副作用が治ってきたんだね。よかった」


 そう言うと、ベッド横から窓際へと移動した。

 月灯りの透けるカーテン。おもむろに、シャッと音を立てて開かれた。


「知ってる? 今日は流星群が見えるかもしれないんだって」


 煌々と差し込む月光。

 その光を背に、私を向いた創の顔は陰っていて、だけど頰がうっすら色づいていることに気がついた。


「だから、彩と一緒に見たいなと思ったんだ。……こんな誘いは、だめ?」


 消灯後に病室を抜け出して、しかも恋人といえど異性の病室に忍び込んで。

 やることは大胆極まりないというのに、そのお誘いはどうしてそんなに消極的なんだろう。

 私は溢れそうな笑いを抑えて「だめじゃないよ」とベッドから起き上がり、差し伸べてくれた創の手を握った。


 窓から見上げた夜空は雲ひとつなくて、一面の藍色の中で月が白く主張していた。

 小さな星はまばらに散らばり、こぼれ落ちる準備をするかのようにちかちかと明滅を繰り返す。


 どの星が一番に流れるんだろう。

 創に会えたことで眠る前の気分が舞い戻り、期待に満ちて夜空を見つめた。


「彩、俺に寄りかかっていいよ」


 万全ではない私を気遣ってか、隣に並んで立つ創が控えめに両腕を広げている。

 カーテンという遮りのなくなった月光の下、ぎこちなく口を引き結ぶ創には「やっぱり大胆だなぁ」と思う。


 そんなに緊張して提案をされては、私もぎこちなくなってしまう。


「あの、……大丈夫」

「遠慮はしないで」

「そうじゃなくて、だって……」

「……これは、嫌?」


 控えめに広げられていた創の両腕がみるみると下がっていく。私の答えを待たずして閉ざされてしまいそうだ。

 私は慌ててその腕を掴んだ。


「い、嫌じゃない!」

「じゃあどうして?」

「だって……。だって私、お風呂とかちゃんと入れてないから……」


 寝たきりの時はそれでも創にお世話になっていたが、あの時はあの時だ。気にしてる余裕なんかなかった。

 それに背中をさすってもらうのと寄りかかるのでは密着度が違う。支え起こしてもらうこともあったけれど、あれだってお互いにそういう意図はなかった。

 今さら感がすごい答えに、私自身が赤面してしまう。


 そして創は笑った。


「そんなのお互い様だよ。俺だって毎日入れるわけじゃない」


 創の腕を掴んでいた手を掴み返され、もう片方の手は腰にまわされてぐっと引き寄せられた。

 寄りかかってと言っていた通り、私は創に身体を預ける体勢にされた。


「彩はともかく、男の俺の方がきっと臭いよ」

「……創は臭くないよ」


 創の腕の中でつぶやく。


 創からは飾り気のある匂いはしない。柔軟剤や髪につけるワックス、香水など。入院患者なのだから当たり前に。

 匂うとすれば、まめに手を洗っているらしくハンドソープの香り。それと創が男の人だという匂い。

 それはあまり主張せず、嫌悪感もなく。私にとっては落ち着く匂いだった。



「……だったら、もう少し近づいてもいい?」




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