番外編 シクヨロの秘密、知ってるつもり?
今回は、番外編となります。
時間軸でいうと冒険の直前、第十三話のあたり。
主人公の迷宮探偵・シクヨロという男について、
ちょっとだけお話しします。
「ところで、シクヨロさん。じつは私、まえからひとつ聞きたいことがあったんですけど」
「おう、なんだ?」
シクヨロたちが、第十三迷宮への冒険に旅立つ直前のことである。「腹ごしらえの宴」はまだつづいていた。目の前の中華料理をあらかた食べつくし、口元をナプキンでぬぐいながら、アイシアはふと疑問の言葉を発した。
「シクヨロさんって、どうしてシクヨロさんなんですか?」
「は? ……その質問はつまりなんだ、オレがなぜオレなのか、という哲学的な意味でのアレか?」
「あ、じゃなくて。えーっと、『シクヨロ』さんって、なんだか変わった名前だなって思ってて」
「そんなに変かな」
「うーん……。変、といえばやっぱりちょっと変じゃないですかね」
「そういえば、まだ見せてなかったっけ。ほら、これオレの名刺」
と言いながらシクヨロは、懐から一枚の名刺を差し出した。
「あっ、ありがとうございます」
「アイシアは東方の国の出身だから、たぶん漢字もわかるだろ」
迷宮探偵
志久 世郎
「——志・久・世・郎? えー! これって本名だったんですか?」
「まあ、そういうこった。あ、それ一枚しかない見本だから、悪ぃけどこっち返してくんないかな?」
「あ、すみません」
「シクヨロ、すまないがお茶のおかわりをくれないか?」
目の前の皿と格闘を続けていたヴェルチが、ようやくひと息ついて言った。
「あー、ちょうど烏龍茶を切らしちまったな。オレ、ちょっと行ってお茶っ葉買ってくるわ」
「そうか、悪かったなシクヨロ」
席を立ったシクヨロは、ヴェルチの声に振り向きもせずに、片手だけひらひらとさせながら表へと出ていった。
「でも、シクヨロさんがまさか本名だとは思いませんでした」
「あれ、ウソだよ」
「え? どういう意味ですか、マルタンさん?」
思いがけないマルタンのひと言に、びっくりして声を上げるアイシア。
「そのままの意味さ。志久世郎というのは迷宮探偵の仕事用に、対外的に作った名前なんだ。たしか、『4946』っていう数字にちなんで、自分で適当につけたってまえに聞いたことあるよ」
「4946? それって、たしかこの探偵社の名前にもなっていたな。マルタン、その数字になにか由来でもあるのかい?」
ヴェルチの疑問に、マルタンは肩をすくめて答えた。
「さあ、数字の意味はぼくも知らない。ていうか、そもそもおじさんの本当の名前は、当の本人だって知らないんだから」
「記憶喪失?」
「うん。まあ、ぼくもシクヨロと知り合ってそんなに長いわけじゃないし。あの人、自分のことについてはホント話したがらないから、あんまりくわしくはわからないんだけどさ」
「ヴェルチさんもですか?」
「そうだな。私も、あの男が何者で、どこからやって来たのかはよく知らないな。シクヨロが記憶を失っていたということも、いまはじめて聞いた」
「あのさ、ここだけの話にしておいてほしいんだけど」
すこしだけ声のトーンを落としたマルタンに、アイシアとヴェルチがうなずく。
「どうやら本人が言うには、数年前にたったひとりでこの王国に流れ着いたってことみたい。当時は、自分の名前や素性なんかもまったく覚えていないどころか、言葉すら満足に話せなかったんだって」
「それって、ホントなんですか?」
「うん。これは探索者ギルドのメリアンとか、酒場のルビコン爺さんからも聞いたから間違いないよ」
「ふうん、そうだったのか……。見知らぬ土地でひとりぼっちで、これまで大変な思いをしてきたんだろうなあ」
「でも正直、そんなに苦労人には見えませんけどねえ」
「だな」
「だね」
三人の脳裏に、お調子者で軽薄で、舌先三寸の口八丁だけで数々の修羅場をくぐり抜けてきているであろうシクヨロの姿が浮かんでいた。
「でも、ああ見えてシクヨロさんって、意外と整った顔してると思うんですけど」
「あれが? そうかなぁ」
「ちゃんとお髭を剃って髪も切って、こざっぱりした服を着たらかなり男前になるんじゃないですかね」
「男前というか、残念男前だな」
三人は、声を上げて笑った。
「で、住むところや職を転々として、ようやく最近になって迷宮の仕事で生きていくことを決めたんだってさ」
「でも、不思議ですよねえ」
アイシアは、桃饅頭にかぶりつくヴェルチに言った。
「なにがだい?」
「だって、失礼ですけどシクヨロさんって、迷宮の探索者としてはかなーりレベル低いわけじゃないですか」
「たしかに。攻撃力も防御力も、ほぼ皆無だな」
シクヨロの所持ジョブは「商売人」。レベルはたったの三である。どう考えても、モンスター蔓延る迷宮で役に立つとは思えない。
「あ、もしかしてものすごい魔法が使えたりするんですか?」
マルタンも、かぶりを振って答える。
「いや、魔法の才能もぜんぜんゼロだね」
「んー、やっぱり。それなのに、命を落とすかもしれない迷宮専門の探偵なんて、どうしてそんな危険な仕事を……」
「そりゃまあ、ふつうはそうなんだけどさ。だってシクヨロには——」
ちょうどそのとき、買い物袋を抱えたシクヨロが戻ってきた。
「よっ、ただいま! 閉店まぎわの八百屋に寄ったら、ちょうどメロンとイチゴが安くてな。食後のデザートにどうだ? よく冷えてるぜ」
言葉を途中でさえぎられたマルタンだったが、右手の人差し指を口の前に立てながら、アイシアに目で合図を送った。それを理解したアイシアは、シクヨロの方を向いて歓声を上げた。
「わあ、うれしいです! 私、フルーツ大好き!」
「まだ食べるの? アイシア」
「デザートは別腹なんですよ、マルタンさん。ね、ヴェルチさん♪」
「ああ、私もそうだぞ♪」
「じゃ、いま切ってやるからな。あと、お茶も淹れてくるよ」
そう言って、シクヨロはキッチンへ入っていった。そのあとはマルタンやヴェルチが、シクヨロのことを語ることはなかった。
ひょっとするとシクヨロは、ここではないどこかほかの世界からやって来たのかもしれない。
アイシアは、ほんの数時間前にはじめて会ったこの男について、なんとも名状しがたい奇妙な感情が湧き上がっているのを感じていた。それは少なくとも、彼女がこれまでに出会ったどの探索者に対しても抱いたことのないものだった。
しばらくして、見事なフルーツの盛り合わせと烏龍茶の急須を手にした残念男前が、とびっきりの笑顔とともに食卓に帰ってきた。
「待たせたな、みんな」
本編へ続く




