第十話 美しき薔薇の牙・魔獣騎士ヴェルチ
この物語は、
史上稀に見る高難度にして
伝説の「クソゲー」として知られる
剣と魔法のRPG『ドラゴンファンタジスタ2』
を舞台にした、とある探索者たちの
迷宮をめぐる日常を描いた
冒険活劇である。
(十)
「て、てめえ、離しやがれこのっ! ……イテテテテッ!」
蜥蜴男は、掴まれた腕をそのまま捻りあげられ、情けなく悲鳴を上げた。
「一端の探索者が、たかが飲み物をかけられたくらいで大騒ぎするんじゃない」
それは、銀色に光るフルプレートアーマーで全身を覆い、真紅のマントを纏った騎士だった。しかも、まぎれもなく女性である。そればかりか、なんと彼女の頭頂部には、獣のような一対の耳があった。シクヨロはその人物に気づき、旧知の名前を呼びかけた。
「ヴェルチ!」
「シクヨロ、この娘はおまえの連れか」
シクヨロに「ヴェルチ」と呼ばれ、振り向いたその騎士はそう言ってニヤリと笑った。燃えるような紅蓮の瞳と、艶めいた褐色の肌。縞模様のロングヘアと、頭部のケモ耳と口元からのぞく鋭い牙は、まさに彼女が虎の半獣人「ワータイガー」であることを物語っている。
そして、蜥蜴男の探索者と対峙してもまったく見劣りしないほどの、長身で均整のとれたプロポーション。出るとこがボンッと出て、締まるとこがキュッと締まっている。そのメリハリのついた肢体は、武骨なフルプレートで隠されていても十分に魅力的に思われた。
「ああ、悪いな。めんどうかけちまって」
「いいさ、これくらい」
そのとき、ヴェルチの一瞬の隙を狙って、蜥蜴男が掴まれていない方の左手で腰の短剣を抜いた。蜥蜴男は、そのまま短剣を彼女の首元に向けて突き刺そうとした。
「……んの野郎っ!」
「フン、抜いたな?」
ヴェルチは、まるでそれを予想していたかのように身を翻し、手刀で短剣をはじき返した。蜥蜴男の得物は、高速で回転しながら天井に突き刺さった。
「酒場で武器を抜くのはご法度だ! 知らんわけではあるまい、トカゲ男」
ヴェルチはそう言うと、自分よりも大柄なその蜥蜴男を抱え上げ、背負い投げの要領で勢いよく床に叩きつけた。蜥蜴男はたったその一撃だけで、長い舌を出して伸びてしまった。
「おい、そいつを店の外に放り出しておけ。しばらくは出入り禁止じゃ」
店主の老ドワーフ、ルビコンは蜥蜴男の仲間たちに告げた。彼らは、気絶したその男を抱えてそそくさと出ていった。
「ご主人、店を騒がせてすまなかった」
ヴェルチはそう言って、ルビコンに頭を下げた。彼女が大立ち回りを演じて、一時騒然となっていた酒場は、ようやく落ち着きを取り戻していた。
「いや、気にせんでくれ、ヴェルチ。大事にならずに収めてくれて、こっちも助かったわい。まずは一杯、これはワシからのおごりじゃ」
ルビコンは、冷たいエールを満たしたジョッキをヴェルチに手渡した。
「おお、これはありがたい! では、遠慮なく」
ヴェルチはジョッキをあおり、エールを流し込んだ。喉を鳴らして一気に飲み干すと、彼女はジョッキを握った手の甲で口元を拭いながら息をついた。
「っかぁーっ! うまいっ!」
「それにしても、いつもホント美味そうに飲むよなあ、あんたは」
ヴェルチのそばに立ち、あらためてシクヨロは声をかけた。
「ひさしぶりじゃないか、シクヨロ。どうしたんだ? このところ酒場に顔も見せないで」
「まあ、いろいろあってな……。だが、ようやく目処がついた。念願の初仕事だぜ」
「初仕事って、まさかあの『迷宮探偵』か?」
シクヨロは、答えるかわりにアイシアを指差した。
「この剣士が、依頼主のアイシアだ。アイシア、こちらは」
シクヨロが紹介するまえに、彼女は自分の名前を告げた。
「私は『ヴェルチ』。元・王国魔獣騎士団『薔薇の牙』の魔獣騎士だ。よろしくな、お嬢さん」
「はぁー、すごい、でっかい……」
アイシアは、ヴェルチと対面しながら、いろんな意味でそうつぶやいた。
「あ、あの、先ほどは助けていただいて、本当にありがとうございました!」
ようやく我にかえって頭を下げるアイシアに、ヴェルチは大声で笑って応えた。彼らは元のテーブルに戻って、あらためて初顔合わせの祝杯を挙げた。
「それにしても、エルフの剣士とは珍しいな。きみも探索者なのか?」
「はい! あんまり、迷宮の経験はないんですけど……」
「でもな、こう見えて剣士レベルは二十二だし、王立魔法学術アカデミーの超古代文学部を首席で卒業だぜ」
シクヨロの言葉に、目を丸くしたヴェルチ。
「えっ、魔アカのチョコ文を? へぇー、やるなあ、きみ!」
「えへへ」
ヴェルチに賞賛され、素直に喜ぶアイシア。どうやら、見た目よりかなりくだけた性格らしい。
「お姉さんも、王国魔獣騎士団なんてすばらしいです。私、魔獣騎士の人とはじめて話しました」
「まあ『元』、だけどな。まだ、ほんの二十一歳の若輩者さ」
こちとら、齢百七十のハーフエルフなのだが。黙っとこ、とアイシアは思った。ヴェルチはジョッキを傾けながら、アイシアの隣でまずそうにルートビアを飲んでいる少年魔導師に、親しげに声をかけた。
「マルタンとも、ずいぶん会ってなかったな」
「キミは、ずいぶんと入り浸ってるようだね」
ヴェルチの挨拶に、そっけなく答えるマルタン。
「ああ、なんてったってこの店のエールは絶品だからな」
そう言ってヴェルチは、もう何杯目かわからないジョッキをグビグビっと飲み干した。そんなヴェルチの、胸当てに刻印された薔薇のエンブレムを、ため息まじりに横目で見るマルタン。
「まったく、『薔薇の牙』の一員ともあろう者が、ねえ……」
説明しよう。
「薔薇の牙」とは、女性の半獣人のみで構成された、王国魔獣騎士団の中でもエリート中のエリートとされる一団である。王家に忠誠を誓い、時として盾となり矛となって、さまざまな外敵からこの国を護りつづけているのだ。武力と魔力はもちろんのこと、品位と風格を備えていなければ、そのメンバーに選抜されることなど到底かなわない。
かつて、薔薇の牙でもとりわけ厚い信頼を受け、将来を嘱望されていたヴェルチが、なぜその地位を離れることとなったのか。いまは、それを語るにはあまりにも紙幅が足りないためあえて割愛する。
以上、説明終わり。
「しかしシクヨロも、いよいよ迷宮探偵の初仕事か……。大変だろうが、まあがんばってくれ!」
そんなヴェルチに、シクヨロはさらっと告げる。
「いや、おまえも行くんだよ」
続く