【エッセイ】いじめられる原因はいじめられる側にある件
私はいじめを受けたことがある。小学校低学年の頃と中学二年生の時である。
原因は私の白い肌と無口なところ、太っているところとがあるからであった。
まずその外見をけなしたのは、目鼻立ちの良い男の子Aであった。
登校中はまだ少子化が懸念され始めたばかりの、子供らがまだ多かった時代だったから登校班は二つ三つに別れていて、Aとは別々であったがため何も問題はなかった。
しかし、下校となれば話は別で同じクラスの近所の子らと班を組まなければならないから不本意ながらAと同じになった。
そうして細身の男の子Bと一緒になってやるものだから、まるで私が悪役そのものとなっているかのような心持になって非常に不愉快極まりなく感じた。
だから何回か警告して、これ以上やるなら一発食らわせてやるぞと最後通牒をつきつけ、翌日またやるものだから、Aの顔面の横側をごつり、とやった。Bは逃げた。Aは泣きながら、
「親に言いつけてやる」
と言った。当時小学一年生の私もこの発言には正直にしまった、と思った。しかし、また怒られるのも仕方なしとも思えた。
いじめられて何度もやめてくれと言ってもだめで、これ以上やるなら一発と警告してもまだいじめるのだから、正義は我に有り。と、
「言いつけるなら言いつければいい」
そう突き放すように言って家に帰った。
その後、AはAの母親と一緒に物申しに来た。玄関へ出た母は驚いていたが、本当に呆れて、言葉を失ったのは私である。Aの母親がAから聴取したのは次の通り。
猫村(私のこと)が急に殴ってきた。猫村は非常に乱暴者で、こちら(A)は迷惑している。それから近所のBも呼んで、これを裏付けた。なんと前もって口裏を合わせていたのだ。Bは終始にやけていた。
「ガキのケンカに親を出すとはひきょうだ」
私はそう言ったが、Aはこちらをねめつけたまま何も言い返さなかった。
「待って。本当に殴ったの」
Aの母親が私に言うから、
「はい。殴りました。人の体のことを悪く言って、Bと一緒になっていじめて、何度もやられるから何度もやめてと言っても続けるから。殴りました。殴ったぼくは悪いですが、いじめを続けたAくんも悪くはないですか」
Aの母親は私の言ったことを本当か、とAに聞いても、絶対に違うと言うばかりであった。
その日の夜帰ってきた父親にこっぴどく叱られ、A宅に連れて行かれ、謝罪させられ、耳を掴んでそのまま引き上げられた。耳はちょっと裂けた。それから頭の側面をを振り払われるように放たれた裏拳が決まって、私の頭はそのまま壁に激突した。しばらく身動きがとれなかったのは脳震盪を起こしていたためだったのかもしれない。
「次にうちの猫村が何かしたら今度は鼻を潰しますので勘弁願いたい」
親父のその言動と暴力にAを除くA夫婦は驚くばかりであった。この見せしめのしつけについて、私の母は黙っているだけだった。
念のために翌日学校で私は、
「昨日あんなことがあって、耳はこんなことになった。次殴れば俺の鼻が潰れる。でも次にいじめれば、一発じゃすまない。わかったね。俺も悪いが、お前も悪い」
そう言って凄んでやった。
それからAからのいじめはほとんどなくなったが、今度はクラスメイトたちが、ちょこちょこやってくるようになった。とにかく影でやる。横っ腹をぐい、と掴む。定規でぐりぐりやる。すれ違った後でこそこそ悪口を言う。糞をすれば(小学校当時の糞はもれなく犯罪級の扱いを受ける)洗剤とバケツに入れられた水が個室の上から滝のように落ちてくる。
でも奇妙なことにAを殴る直前のような、悔しさや悲しさ、言葉では表せないようないろんな感情が入り乱れて、かっ、と怒髪を衝くような怒りは起こらなかった。だから、Bやその他クラスメイトの大半をぶっとばすまでは至らなかった。
でも嫌なものは嫌なものとして、私も行動に出た。親に相談すれば鼻がなくなるから、電話相談に電話した。
「まず、君の悪いところから直してみよっか」
ここの記憶はあまりない。どういう会話からこの言葉が相手の口から出たのか。あるいは出なかったのか。ストレスの所為が私を混乱させたか、あるいは誰かの言葉だったかも、分からず。私は電話を切った。
次に何かテストの解答用紙のようなものに、いじめのアンケートを書く機会が設けられて、それにひたすら書いた。緊急で伝えたいことを書く欄もあったから、いずれ先生が動いて、これで助かると思った。
しかし、一日経って、二日経って、一週間、十日、一ヶ月、三ヶ月、一年……どれだけ時間が過ぎようとも何も起こらないまま、いじめだけが続いて、私は三年生になった。
これだけ長い間いじめられるは辛いと、先生に直接嘆願した。別に学校は耐えられはしたが、下校中はAとBが下校班にいるから、それがもう嫌で嫌でたまらなくて、勇気を出して先生の大きな机のところまで行った。
クラスメイトのちょっとしたいじめはなんとか我慢できたが、ほとんどなくなっていたAB二人からのいじめはここに来て加速していた。
彼らは僅か九つ十の子供らしいちょっかいを凌駕して陰湿極まった。これが我慢できなかった。
先生の本当にそんないじめをしているの、という問いにAとBは口八丁手八丁で言い逃れて結局、
「四年生から下校班はなくなって好きな子と帰っていいから、後一年我慢しなさい。ここで我慢することを覚えないと、辛抱強くない、弱い心の人間になってしまいますよ」
と先生が言うから、ちょっと短慮で、
「一年生からずっと二年間も我慢していますが、もう一年も我慢しろと言うんですね。いやあ、話の分かる、生徒思いの、良い先生でよかった。なあ、A君、B君、君たちもそう思うだろう」
そう皮肉たっぷりに言ってやったら、左頬を裏手でもってはたかれた。
これには閉口して何も言い返せもできなかった。親にも言えないし、電話相談はあの通りだったと考えて、やめた。一年間は我慢しようと決めた。
三年生のうちは、Bがぼろぼろになった傘をあと捨てるしかないから、学校の下校中に、Aが傘をこちらに向け、ばさばさしてその水滴を私にかけるから、差している傘を向けて防ぐ時、丁度目の前が傘で隠れている間に、傘をBが折って、私がBのぼろ傘を折ったことにされた事件があったくらいで目立ったのはそうなかった。
(今だになぜこんなことを彼らがしたのか理解に苦しむ)
帰りの会でそれが声高らかに発表され、また悪者にされ、先生にこれこれこうですと説明して、なんとか理解を得て切り抜けた。
四年生になってAは他のクラスになった。しばらくすると、Bは万引きで補導された。
五六、中学一年生とこの期間は真に平和であった。学校はこんなにも楽しいところだったのか、と初めて思ったのもこの時だった。
雲行きがまた怪しくなったのは中学二年に上がった直後、クラス替えでまたAと一緒になった。さらにCという中肉中背の少し猫背の男とも一緒になった。
このCという男はAとはまた違う恐ろしさを持った男で、視聴覚室に忍び込んでは、いかがわしいビデオを流したり、理科室の実験の時なぞ、ピンセットを電気の差込口挿し、蹴りこんで奥まで食い込ませ、火花をばちばちとさせた。
特に、私のことを自慰行為の権化と言ってからかった。一日に数十回も行為に及ぶと吹聴して回ってクラスメイトを始め、他のクラスまで足を運んだ。そしてその大半の生徒がそれを信じた。
修学旅行は辞退した。
Cのいじめはずっと続いた。毎日毎日つづいた。クラスメイトは嘲笑するか、白い目でみた。しかし私はやり返せなかった。鼻を潰すのもいやだったし、殺されるのもなお嫌であった。Cの父はやくざであった。
私は短慮がちで、いじめられたりすれば喉を潰すがごとく怒鳴りつけることはあっても、負け戦に挑むほど後先考えが及ばぬ男ではないから、心の中でなんどもやくざ、やくざ、と呟いて平静を保つ努力をした。
三年生に上がって、AもCも違うクラスになって私は五組となった。私はぎょっとして新しいクラスメイトとの面々を見やった。
小学五六年生の時とほぼ同じ、やさしい顔ぶれであった。どこかトイレでもかけこんで思いっきり涙を流してしまいたい気持ちに駆られた。
小学生だった頃よく遊んだ、こう言っては何だが、ちょっと抜けたD君のグループが能く話しかけてくれた。きっと先生に、あの子はいじめられていたから、やさしくするよう言われてやっているのだと想像できたが、それでもうれしくてまなじりが光らんばかりにこみ上げるものがあった。
Eさんは小学校は違ったが、能く話しかけてくれた。その度に赤面する私を馬鹿にすることなく笑った。
Aと能くつるんでいたEのグループは、彼と距離を取っていたようだった。Eは元来やさしい性格だった。
たまにからかいにやってくるCに、語勢良くがあがあ言い返すと、回りのクラスメイトは距離を取ったが、また時間が経つと声をかけてくれた。
高校がCと同じところとなって冷や汗を多分にかいたが、一ヶ月も経たず辞めた。三ヶ月もすると一クラス分の生徒が退学していった。
ある日高校一年生の時分、隣の席のFが、
「いじめはいじめられる側にもいじめられる原因がある」
と言った。
Fは自信満々に言うから、私はそんなことないだろう。だって、とその議論を続けようとしたが、はっ、として止めた。十人が十人同じ意見になぞならない。私はすぐ話題を変えた。
私の意見は間違っているかもしれない。しかし私は、いじめられる側にいじめられる要因があったとしても、決していじめてはならない。それは当時も今も変わらない考えの一つであった。
大人になって恥ずかしながら禿げ始めてしまって、からかわれることがあっても、あの頃のようないじめはなかった。
でもやっぱり、人は、他人は怖い。
今でもまたいじめられたらと思うと恐怖する。
中二病だ何だ、と揶揄されるかもしれないが、未だに耳が熱く火照ってにぶく痛くなるような感覚がある気がする。
あの時、つまんで引っ張られて、さけたところは、今すこしだけへっこんで、その脇がちょっと出っ張っている。