君は琵琶湖を見た事はありますか
この手紙を読んでいるという事は、私はこの世にいないという事でしょう。だから最後に手紙に書き留めておこう。
私は琵琶湖という湖を愛して止まない。夏は海水浴ならぬ湖水浴場として泳ぐことも出来、淡水湖であるからして海のようにベタベタせず、離岸流や波にさらわれるといった危険も少なく、シャラシャラと小さく砕ける波がこれまた美しい。
湖面に映る朝陽や夕陽も美しく、琵琶湖周辺に佇む沢山のホテルや旅館からの山の稜線を含む琵琶湖の眺めはそこが日本だという事を忘れさせてくれる程であり、私も琵琶湖付近に居を構える者ではあるが、そのホテルや旅館からの景観見たさにわざわざ近くのホテルや旅館に宿泊することすらある位だ。
そんな私の琵琶湖愛。そんな事を思いながらも、ふと思う。
そもそも日本国民は日本一の大きさという称号を持つ琵琶湖の存在は知ってはいるとは思うが、それが何処にあるか知っているのだろうか? 滋賀県にある事を知っているのだろうか? 滋賀県が何処にあるのか知っているのだろうか? そもそも滋賀県を知っているのだろうかと。
海無し県の1つでもある滋賀県そのものがフィーチャーされる事が少ないのは残念ではあるが、滋賀県の代名詞とも言える琵琶湖の周辺には織田信長の安土城、豊臣秀吉の長浜城と、歴史上有名なスポットが点在する。昨今では「競技かるた」の競技会場として有名な天智天皇を祀る近江神宮、織田信長により焼き打ちされた比叡山延暦寺と他県民も一度は耳にした事があるであろう神社仏閣等が、実は多数存在する。
まあ、安土城に関しては焼失して城跡しか残ってはいないのでお勧めするには憚るが、その場に立って、その時代に思いを馳せるという事なら良いと思われる。それと、滋賀県の名産品とも言える琵琶湖で取れる鮒を使った鮒ずしだけは滋賀県民である自分でも苦手なので、こればかりは何とも言えない所ではある。
マシューブルーと呼ばれる北海道の摩周湖の様に青く透通る綺麗な湖とは言えないが、日本一の大きさを誇るこの琵琶湖が我々滋賀県民の誇りである。余談ではあるが京都府民が滋賀県を自分達の水瓶程度にしか思っていない事に不快に感じる事も少なくない。
そんな我々滋賀県民の誇りの琵琶湖。君達の時代にも美しく保たれている事を願って止まない。
そんな内容の手紙を見つけた。誰が書いたのかも分らないが随分と昔に書かれたようだ。
そうか。琵琶湖に関してそんな風に思っている人もいたんだな。まあ、50年位の昔の話だな。現在も琵琶湖は存在してはいるが、50年もあれば色々と変わるもので今の現状を手紙の主が知ったら果たしてどう思うのだろうか。
『琵琶湖周辺の土が美味い』
20XX年の春。突如、そんな噂が滋賀県民の極一部の間に囁かれ始めた。それを聞いた人々は「何を馬鹿な事を」と聞き流した。どこかの愚か者が流した馬鹿話と思った。だがそんな馬鹿な噂であったとしても試そうとする人が現われるのも世の常であり、噂を聞きつけた一部の者達はわざわざ琵琶湖までやってきて土を食べた。
「……美味いっ! 美味すぎるっ! 何だこの土はっ!」
それを聞いて半信半疑ながらも更に人が集まりだした。その話は異常な速度で拡散していき話を知らぬ滋賀県民は存在しない状態にまでなり、滋賀県民はこぞって琵琶湖に集まると同時に琵琶湖周辺の土を食べ漁り始めた。
その噂は近県にも及び始め、京都、岐阜、福井、三重と滋賀に隣接する自治体からも続々と人が集まりだし、それは何万人という波となって押し寄せると共に琵琶湖周辺の土を食べ漁り始めた。その波は琵琶湖の形を変える程の威力で以って押し寄せ、いよいよ琵琶湖が拡大しはじめた。
琵琶湖の大きさは滋賀県の6分の1の面積を占める広大な湖であったが、周辺の土が食べられて行く事で琵琶湖の面積が拡大し、既に滋賀県の4分の1という大きさにまで拡大していた。
琵琶湖周辺の道路や建物は周辺の土を食べられてしまった事から次々と琵琶湖に消えていった。
織田信長のかつての居城の安土城址も消え失せた。豊臣秀吉の居城でもあった長浜城も崩れ去り、彦根城も崩れ去った。琵琶湖大橋も両岸が食べられ脆くも崩れて琵琶湖に沈んだ。忍者で有名な甲賀市も消えうせた。近江神宮、比叡山延暦寺も琵琶湖に沈んだ。
遅きに失してはいたがようやく事態の大きさを認識した滋賀県庁が事態収拾に動き出し、滋賀県知事は琵琶湖周辺の土を食べる事を禁止する「琵琶湖周辺に於ける土食禁止条例」を知事の特権で発布した。
だが琵琶湖周辺の土の味を知ってしまった人達は無視した。その後も噂は広がり続けると同時に全国から人が集まり始め、知事の出した土食禁止の条例を無視した。警察も動き出す事態ではあったが、広大な琵琶湖の周囲に散らばる十万人にも達した人の群れを制するにはとても追いつかなかった。
この時点で琵琶湖の大きさは滋賀県の3分の1の面積を占める迄になっていた。
知事は琵琶湖周辺への進入禁止、接近禁止を打ち出した。だがあまりにも広大な湖となってしまった為に規制する事は容易では無く、その隙をついた輩が食べ漁り、土を取ってはネットで売買される事態に至っている。
その勢いは留まる事を知らなかった。
いよいよ、琵琶湖の大きさが滋賀県の2分の1の面積を占める迄の大きさになった。滋賀県は自衛隊に琵琶湖の封鎖を願い出たが拒否された。人命に関わることでもなく、あくまでも自治体レベルで解決すべきこととの判断だった。
隣接する自治体にも応援を要請したがやんわりと断られた。隣接する自治体は滋賀県に繋がる県境を中心に警察を配置して、自身の県に被害が出ない様にするのがやっとという状況でもあった。
琵琶湖が滋賀県の半分を占めた後、琵琶湖は一気呵成に拡大していった。そしてとうとう滋賀県は県庁と県庁へ繋がる道1本を残して全ての土地は食べつくされ、ほぼ琵琶湖となってしまった。
元滋賀県民は近隣の自治体へと引っ越しを余儀なくされた。隣接する自治体は広大な水瓶が出来たとほくそ笑んだ。
こうして滋賀県は日本地図から消滅し、日本は46都道府県となった。
滋賀県と同等の面積を誇る事になった琵琶湖は隣接する自治体の京都、岐阜、福井、三重の4自治体で以って隣接する距離に応じて按分し分割統治しようという話で進んではいたが、そもそも琵琶湖がこれ以上拡大すると日本海と繋がる事も予想されると共に汽水湖となる事が危惧された。そうなると生態系が大幅に変わる事が問題視されたと共に水瓶としての役割が果たせなくなるという大問題に直面した。この為、日本海側の福井県は「琵琶湖を守る」と言う大役を背負う事になり、その負担への代償という意味で福井県が一番多くの琵琶湖の面積を統治する事になった。
対岸が見えず海と見紛う程に拡大した琵琶湖には、そこに滋賀県という自治体が存在した事を証明するが如く主を失った元滋賀県庁という巨大な建造物がぽっかりと浮かぶのみであった。
それは突然だった。滋賀県が消える程に土地が食べつくされた所で突如として琵琶湖周辺の土食ブームは去った。そして琵琶湖周辺の土を食べていた人達は口々に言った。
「何で俺達、土を食べていたんだろう……」
その言葉は今回の真理でもあり、誰が最初に食べ始めたのかという事を含め、永遠の謎として日本史に刻まれた。
私の祖父は元滋賀県民。今私は福井に居を構える福井県民ではあるが滋賀県民の末裔として、否、「志我の末裔」として琵琶湖を守っていこうと、静かに誓う。
2019年 11月24日 2版 句読点多すぎた
2019年 07月21日 初版