1話 クソみたいな僕の世界の物語
肌に突き刺さるような緊張感のなか暗がりで視界も遮られ、困惑した俺の脳に泣きじゃくる少女が必死に言葉を放ち続ける。
「守ってよ約束。助けてくれるって言ったじゃない!」
認識が追いつかず、放心状態な俺の肩を痛いほどに掴んだ少女は、その体を細い管のような生き物に絡め捕られていく。
「ふざけないでっ!......ふざけないでよ。妹を、返して」
体が浮いても離さなかった俺の肩から痛みが消え、目の前にはバケモノに飲み込まれそうになるルーラの姿が映った。
「嘘つき!役立たず!無能魔術師!私たちの命を返せッ!」
ルーラの叫びと、冷たく肌に触れたバケモノの触手が死の恐怖を伝えると共に忘れかけていた現実を俺に叩き付ける。
気が付くとそこは死の一歩手前。ルリとルーラが逝った場所。体の見えないバケモノの触手は俺の自由を制限し、その口が目の前に大きく広がる。
「【世界・大破】ッ!」
ガラスが割れるかのように辺り一帯の世界は崩れ落ち、全てが無かったものと化す。
ベッドから起き上がった俺は一度、上がった息を治めるべく心臓に手を翳し深呼吸を繰り返す。
目を空けるとそこには見慣れた小汚いワンルーム。
「終わったのか......」
只ならぬ喪失感と共にベッドに身を委ねた俺は何も考えることなく枕に顔を埋めた。
無機質、透明な俺の人生に初めて色を付けてくれた二人がバケモノの餌となった姿が頭から離れない。後悔と言い訳を募らせる内に瞼が熱くなり、枕は冷たく染まって行った。
(こんな事になるならあの時契約なんて結ぶんじゃなかった......)
※※※※
普通というものの有難みを君たちは知っているのか、そんな問いに君たちは『分かっている』『感謝している』と軽い気持ちで、僧侶だってそう答えるだろう。
じゅあ逆に普通の世界に生きていても普通を得ることが出来ない人間のことを君たちはどのくらい理解しているのか。そう聞くと君たちが有難みなんて何一つ分かっていないことが分かる。なぜなら、その有難みを分かっているのならば僕があんな悲惨な人生をおくることは無かったはずだから。
僕は昔からあらゆることにおいて劣っていたのだ、そうあれは――
「おい、オッサンなにそんな暗い顔してんの?今日、給料日だよ。気分悪くなるじゃん。楽しい日なのに」
僕に後ろから乗っかかり、手鏡を使って自分の冴えない暗い顔を無理やり見せてきたのは職場仲間の女子高生、柊美奈だ。
一日の業務を終えると、いつも控室で一人過去を思いふける変わった僕に唯一話しかけてくる女子高生。手鏡に映る彼女は顔立ちが良いにも関わらず、髪の毛を金色に染め服を着崩し、他を圧倒させる程に派手な鞄を持ったバリバリの不良だった。
「誰がオッサンだ。まだ30なりたてだし。それに一応、僕は君より年上なんだから上の名前で丹玄さんと呼ぶのが礼儀だろう。というかまだ若いんだからだれかし構わずベタベタとくっ付くな。もっと自分を大切にしろ」
「あーハイハイ。そういうところがオッサン臭いんだよ。丹玄さん」
そう言い僕から離れた柊は控室のドアノブに手をかけ振り返り
「今から彼氏と遊びに行くんだ。お疲れさまでした丹玄さん」
と言い残し帰って行った。
柊が帰り、控室で一人になった僕は重い溜息を吐いた後、勤め先である廃れたコンビニを後にする。
自分が勤めているコンビニは『こんなところにあって何の意味があるんだ』と思わせるくらい人気の少ない場所に建てられていて、家に帰るためには衰退した商店街を通り、路地を何度も交差しなくてはならない。帰るだけでも一苦労だ。
そんなコンビニでもしっかりと客はいる。だが来る客、来る客ガラの悪い不良だったり、人相の悪い危ない男だったりと、常に僕は危険に晒されている。出来る事なら退職したい、仕事初日の頃からそう思うほどだった。
なのになぜ退職しないかというと、そこしか雇ってくれるところが無かったからだ。どこも僕のことを必要としてくれなかったのだ。
友達もいなければ趣味も無い。正直、何で生きているか分からない。自分のシフトが終われば職場で買った弁当を帰って食べて寝て、また仕事。そんな繰り返しが続くだけの人生。休みの日に至っては、やることもないので一日中寝てるか、ボーっと何かを見つめ自分の世界を頭の中で展開させている。
本当に何で生きているのだろうか。
そんな事を考えながら商店街を歩いていると、一つの異変に僕は気付いた。
いつもは電気がついていない電気屋から蛍光灯の光が見える。更に、電気屋の中にあるはずの電化製品は姿を見せず店には不自然に机と椅子二脚が中心に設置されていた。
そして店の前には一人、黒のスーツを着た細身な男性が定規のような正確さで直立している。
「失礼します。少しお時間よろしいでしょうか」
特に見つめることもなく素通りしようとした僕の前に、その男性は立ち塞った。
「え、あ、はい」
「有難うございます。それでは立ち話もどうかと思いますし、中へ」
そして男性に招かれる形で電気屋の中に入り、用意されていた椅子に僕は腰を下ろす。
「まず、私こういうものでございます」
『日本化学推進協会 営業部 水谷信世』
水谷という人に渡された名刺を財布に入れ、こちらも名を名乗り話は進んでいく。
「それでは丹玄 賢男様。いきなりではございますが今回お声がけさせて頂いた内容について説明させていただきます」
軽い不安心を抱きながら僕は真剣な顔をした水谷さんの話に耳を傾ける。
「簡略にまとめますと丹玄様には、こちらのテストプレイヤーになって頂きたいのです」
そう言って取り出したのは銀色のトランクケース。
トラッシュケースを開けると、中には機械的なケースに収納された何色とも言い難い謎の液体が入っていた。
「なんですかコレ?」
「こちら仮名ではありますが【ニューバイオ・リクイッド】といい、飲むだけで人間の脳を機械化させる能力があります」
「ちょっと意味が良く分からないのですが」
「ハイ。これを飲めば考えるだけでインターネットに接続したり仮想空間を展開したりできるという意味です。丹玄様にはこれを摂取していただき期間的に近況報告をしてもらう仕事をしていただきたいと考えています」
水谷さんが言ったことは常識という枠では収まらない程バカげていて、信じろと言われても難しい話ではある。しかし、彼の目は僕のことを騙そうとしているような、そんな目ではなく、とても真剣で一本芯の通った目をしていた。
「え、それって危険なんじゃ、それになんで僕なんですか」
「幾多にも及ぶ生物実験を繰り返し安全性は保障しています。それにもうニューバイオ・リクイッドのテストプレイヤーはこの日本には百人といて、そのどなたかから不具合があったという声は聴いておりません。丹玄様が選ばれた理由に関しましては企業秘密なのでお答えしかねます」
「まずそれってどんな仕組みで出来てるんですか?それも企業秘密ですか。水谷さんが真剣なのは伝わりますが、信憑性に駆けます」
「そうですね。まず、このプロジェクトは国家機密プロジェクトです」
水谷さんが取り出した書類はどれも言っていた通り、それらしきことが書かれていた。そんな書類に目をとしていると水谷さんが畳みかけるように口を動かし始める。
「ニューバイオ・リクイッドは精密機械を液体化させたものです。この技術は数年前から機密理に研究が進められていて実現を可能にはしていました。そして近年、それを安全的に人間の脳に送る研究を成功させ完成したのがニューバイオ・リクイッドです」
いきなり過ぎて困惑してはいるが事の全容は理解できた。しっかりとした裏付けもあり、何より水谷さんという男の真剣さが信用できるかを現している。それに、今まで何も持たなかった僕に舞い降りた一筋の光、掴まない訳にはいかない。
「じゃあ、その話、受けさせてもらっていいですか」
※不定期投稿です。
前作品は打ち切りではありません。