episode 84 「密航者」
木刀。ワルターは二等兵時代、嫌というほど握ってきた。が、ゼロにとってははじめての経験だった。もちろん剣がはじめてという訳ではない。一通りの殺しの道具の扱いは組織から叩き込まれた。が、人を殺さないための工夫など組織には存在しなかった。
(命のやり取りがないことが、こんなに軽いとはな)
フェンリーが二人から離れる。
「わかってると思うが船は壊すなよ」
両者一歩も動かず相手の出方を伺うかと思いきや、ワルターははじめからゼロに向かって突っ込んでいく。
「読み合いは苦手なんでね! 速攻で片付けさせてもらうよ!」
片腕のためバランスがうまくとれないのか、動きがたどたどしい。だからこそ動きを予測できない。
受けられないのなら受けなければいい。これは命の奪い合いでは無いのだから。ゼロはわざと体で攻撃を受け、カウンターを決める。
が、ワルターの攻撃が予想以上に重く、たいしたカウンターを決めることができなかった。
「舐められたものだね。剣は剣で受けるもの。いくら木刀といっても無謀だね」
「……たいした威力だ。本物なら命は無かっただろう。だが、もう見切った」
今度はゼロから仕掛ける。スピードはゼロの方が上。ワルターは無駄に避けようとはせず、防御に徹する。
その甲斐あってか、見事ゼロの一撃を受けることに成功するが、脇腹に鋭い蹴りを受けてしまう。
「がっ!」
「脇ががら空きだ」
地面に倒れるワルター。
「ひ、卑怯だぞ! 蹴りは反則……」
「何を甘えたことを言っている。これは剣の試合ではない。これは決闘だ。決闘にルールはない」
「む……」
言い返せないワルター。さらに蹴られた衝撃で腕の傷が開いて血が吹き出してしまった。
「ったく」
フェンリーが急いで傷口を凍らせる。
「そこまでだ。ワルター、お前の敗けだ。今送り返してやるからとっとと医者に診てもらえ」
ワルターは悔しそうに木刀を投げ捨てる。
「くそ! 何でだ! なんで俺はこんな!」
腕を押さえるワルター。万全の状態で戦えないことが悔しくてたまらない。
ワルターに手をさしのべるゼロ。ワルターはそっぽを向く。
「なんだいその手は? 俺に同情しているのかい?」
「お前の剣、見事だった。よほど修行を積んだのだろう。それゆえに惜しい。万全な状態のお前と一戦交えてみたかった」
「お世辞はやめてくれないか」
ワルターは自力でなんとか立ち上がる。
「お世辞などではない称賛だ」
「なら俺が君たちに同行しても構わないね?」
「おい、ワルター! 無茶言ってんじゃねぇぞ! 死にてぇのか!?」
ワルターの無謀な発言に、反対するフェンリー。
「君はどう思う、ゼロ」
「無謀だ。だが決めるのはお前、俺は干渉しない。例えお前がピンチに陥ったとしても俺は手をさしのべない。それで構わないな?」
「ああ、構わない」
話を聞かないワルターの前に立つフェンリー。その顔はとても険しい。
「俺はお前の自殺に付き合うつもりはねぇ。大体リースにはどう説明するつもりだ」
「なんだいそんなことか。リースなら安心だ。一人でもやっていける。むしろ俺といた方が危険だと思うけどね。それに俺は自殺するつもりは更々ないよ」
「てめぇ……」
フェンリー周りの空気が冷たくなる。
「やめておけ」
ゼロがフェンリーの肩を掴む。
「とめんな。こいつ痛め付けて港に送り返す」
「お前もわかっているだろう。こいつの言葉は軽いが、意思は重い。止めたければ殺す気でかかる必要がある。それがお前にできるのか?」
ワルターは自分の事だというのに飄々とした表情をしている。
「フェンリー、君に迷惑はかけない。俺はただ、死ぬまでに自分の限界を決めたくないだけなんだ。ここで引き下がればそれは俺の限界ということになる。それは俺にとって死ぬよりも辛いことなのさ」
まるでティータイムのようなテンションで語るワルターに拍子抜けしてしまうフェンリー。
「……勝手にしろ、んでくたばっちまえ!」
怒って客室に入っていくフェンリー。
「ゼロ、君に言っておくことがある。俺は実は組織の殺し屋なんだ。」
「だろうな。確か惑殺のワルター、だったか」
驚かれることを期待していたワルターだったが、あっさりとしているゼロにがっかりする。
「なんだい、知っていたのかい」
「お前の名と口先を聞くまで気がつかなかったがな」
「ならなんで俺を受け入れたんだい?」
「受け入れてなどいない。俺はお前の言葉などなにも信用していないからな。だからお前の行動で判断させてもらう。もし妙な真似をすれば容赦はしない」
はじめて当てられたゼロの殺気に、たじろぐワルター。
(はは、さすがアーノルトと双璧をなすと言われるだけのことはあるな、したっぱたちなら殺気で死にそうだ)
「肝に命じておくよ」
三人はベルシカに向けて帆を進める。




