episode 569 「兄弟の絆」
マークの機嫌はすっかり元通りになっていた。七聖剣ウォーパルンを失ったが、それ以上に得たものの方が大きかった。兄を救うことができたし、自分の中のモヤモヤを取り払うことができた。
それでもガイアは弟の変わりように恐怖していた。自分はとんでもないことを告げてしまったのではないかと後悔した。そもそもそうならないようにガイアはこの事を秘密にしてきたのだ。今のマークは過去のマークとは違う人物なのではないかと思うほどだ。
「兄上」
そんなガイアの心中を察してか、マークが声をかけてくる。
「俺は何も変わっていません。お姉ちゃんのことは全て思い出しましたが、それで何かが変わるわけではありません。お姉ちゃんはもう、死んでいるのですから」
マークの口から12年ぶりに聞いた「お姉ちゃん」という言葉に胸を締め付けられるガイア。
「大丈夫……なのか?」
答えを聞くのが怖かった。マークから答えは返ってこない。静寂の中で、水の溢れる音だけが流れている。きっとあの傷の男は世界が終わるその日まで死に続けるのだろう。苦しみ続けるのはガイアも望むところだ。それだけのことをあの男はやってきた。だが、ガイアが本当に望んでいたのは心からの謝罪と贖罪だ。
「大丈夫……ですよ」
マークの声は震えていた。大丈夫なはずはない。12年分の感情が一気に押し寄せてくる。そのせいで一時的に感情が麻痺していたが、次第に言い表せない悲しみが押し寄せてくる。
「マーク?」
マークの体が小刻みに震え始めたことに気がつき、肩に手を乗せるガイア。マークの震えは更に大きくなり、意識が混濁し始める。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん! 僕はここだよ! ここにいるよ!」
「マーク! しっかりしろ!!」
マークの体を激しく揺さぶるガイア。マークは白目を向き、意識を失った。
「う……」
「目か覚めたか」
マークは暖かいガイアの背中で目を覚ました。おんぶされていることに気が付くと急に恥ずかしくなる。
「お、下ろしてください!」
「駄目だ」
ガイアは暴れるマークを無理やり背負い続ける。仕方なく背中にもたれ掛かるマーク。
「こんなところをシオンにでも見られたら……」
「はは、ここには俺たちしかいないさ」
顔から火が出そうになるマーク。兄の背中に顔を押し付ける。
「俺の行為は間違っていたのでしょうか?」
男にしたことが非常に残酷だということは良くわかっている。だがそれを悪いことだとは思っていない。後悔もない。だが、もしそうしたことによって兄を不快にさせるのなら、マークにとってそれは耐え難い事だった。
「俺にも答えは出せない。実際俺もあの男に対して一切の同情はない。報いだと思っている」
本心を語るガイア。
「きっとこんなことをしてもセレーネは浮かばれない」
うつむくマーク。確かに男に攻撃を仕掛けたとき、マークの中に姉の姿は一切浮かび上がって来なかった。単純な怒りのみで体を突き動かした。
「でも、それでいいんだ。たとえ俺たちのした行為が悪極まりないとしても、それは俺たちがセレーネや両親を想っている証なんだ。たとえ世界から避難されようとも、体裁を気にしてそれに反した行動をするということだけはしてはいけないんだ」
ガイアは自分に言い聞かせるように背中のマークに告げる。
「はい、俺は絶対に後悔しません」
「ああ、この罪は二人で一緒に背負っていこう」
二人は12年ぶりに同じ方向に向かって歩きだした。
これからどれだけ歩き続けるのだろう。死という概念から外れた二人に終わりは無い。本当の意味での永遠だ。心と体がなくなるまで歩き続けるのかも知れない。だが二人はそれでもいいと思っていた。二人一緒なら、これでいいと思っていた。
そんな二人の旅路はあっけなく終わりを告げる。
「随分と滑稽な姿だな」
二人の目の前に突如ある人物が現れる。その姿は生前と全く変わっていなかった。厳格に満ちた表情、すらりと延びた長い髭、全身から伝わる圧倒的強者のオーラ。そして握りしめた伝説の剣。
「イシュタル元帥……」
ガイアは目の前の老人の名を口にする。そこに居たのは紛れもなくあの時レヴィによって殺されたイシュタル本人だった。
「久しいな、ガイア・レオグール。そしてマーク・レオグール」
イシュタルは挨拶を済ませると剣を抜く。
「な、何を……!」
気持ちの整理がつかないガイア。とりあえず背中のマークを地面に下ろす。マークも口が開いたままだ。
「神よ、今再び感謝する。死してなお、この命を遣うことができるということに」
帝国軍歴代最強の男、イシュタル。かつて魔の手によって殺されたその男がガイアとマークの前に立ち、剣を向けている。
「儂が現世への扉だ。乗り越えてみせよ」
ガイアとマークは剣を抜く。かつては足元にも及ばなかった。だが、今なら戦える気がする。二人一緒なら、どんな困難でも乗り越えられる、そんな気がする。