episode 564 「お前の名は」
「いや、でもよ……ハデスってあの一番厳つい奴だろ!? ワルターが何度も殺されかけた……」
「ああ、そうさ! 早速行こう!」
体の傷は全く癒えていないにも関わらず、ワルターは非常に乗り気だ。
「お主は留守番じゃ。傷も癒えてはおらぬし、そもそもお主の力ではハデスに傷すらつけられぬ。それとも加護を受け入れるかえ?」
ルナの言葉に動きが止まるワルター。珍しく悩んでいる様子だ。確かに加護を受け入れれば大幅にパワーアップできるだろう。今までの鍛練も、リースから受け取ったこの剣も必要なくなるくらい強くなれるのかもしれない。だがそれは自分自身の否定、そしてリースの否定に他ならない。勝利とは、強さとは、それらを犠牲にしてまで手にいれるものなのか、その答えがワルターには出せない。
「わかったよ。俺はここで待つ」
「うむ。わらわも神を敬わない若造に力を与えるつもりなど毛頭無かったからの」
などと話をしていると、レイアとゼロが揃って目を覚ました。
「あ、あれ、わたくし……」
「どうやら俺たちは気を失っていたらしい」
レイアが無事なことに胸を撫で下ろすゼロ。しかし違和感はある。気を失う直前までのことはよく覚えている。ちょっとやそっとの治療では完治できるものではなく、たとえアカネの薬を使ったとしてもここまで体に変化が無いことはあり得ない。ゼロの体は不自然なほど回復していた。
「……お前か、神」
ゼロはフェンリーの隣に立っているルナを睨み付ける。
「ゼロ、聞いてくれ、こいつらは……」
「わかっている。俺たちの為に手配してくれたのだろう?」
ゼロは立ち上がり、ルナに対して頭を下げる。
「何じゃ、素直じゃの」
「助かった。俺の力ではレイアを守れず、傷つけてしまった。あなたが居なければ今ごろどうなっていたか分からない」
ゼロは本心からそう思っていた。レイアを傷つけたのは神だ。だがレイアを救ったのも神だ。
「だが、レイアを傷つけたあのハデスという男、奴は許さない。あなたの仲間だろうと容赦はしない」
ハデスの顔が脳裏に過る度、怒りでどうにかなりそうだった。それはハデスに対しての怒りというわけだけではない。自分の弱さ、そして守ると決めたレイアを傷つけてしまったこと、それに対しての怒りだった。
「ほう、威勢が良いの。容赦などする必要はないぞよ。むしろ本気で挑んでもらいたいものじゃ」
ゼロがハデスに対しての恐怖を覚え、挑むことを拒否するのではないかと多少なりとも感じていたルナにとって、ゼロのこの怒りは嬉しい誤算だった。
しかし、レイアはそれを良くは思わない。
「ゼロさん、もうやめてください。どうして神様と戦わなくてはならないのですか? わたくしはこの通り元気です。あなたも元気です。もう、傷つこうとしないでください」
「レイア、わかってくれ、俺は……」
それでも行こうとするゼロに抱きつくレイア。ゼロの動きがピタリと止まる。
「わたくしの、側に居てください」
「レイア……」
ゼロの決心が鈍る。
その頃ルインは片腕ながらもハデスを翻弄していた。
「くそ、力が落ちてやがる」
それでもハデスから受けた攻撃のダメージは大きく、全力の半分ほどしか発揮できていない。そのせいで決定打にかけ、戦いが長引いてしまう。ハデスの方も度重なる連戦で心身ともに疲労しているはずだが、そんなそぶりは一切見せない。それもそのはず、ハデスの意識はこことは全く違う場所に有ったのだから。
ハデスの意識は暗い道を歩いていた。全く知らない場所だがなぜか懐かしく、空気が淀んでいるにも関わらず心地いい。
(どこまで続いているんだ?)
どこを目指しているのかも分からない。どこまで歩けばいいのか分からない。だが足は勝手に前へと進んでいく。このまま自分の本能に従えば何処かへ必ずたどり着く、そんな予感だけを頼りに歩き続ける。
(どこか……いや違う。誰か……だ)
場所を目指しているのではない、人を訪ねているのだ。誰に言われるでもなくそう確信するハデス。そもそも意識を飛ばされたのもここへ来るためなのだろう。意識を飛ばさなければ訪れる事が出来ないのだろう。
「待っていた」
やがてハデスの耳に声が届く。それは懐かしいようで、恐ろしいようで、優しいようで、聞いたことの無い声だった。
「お前か? 俺をここへ呼んだのは」
人物の姿は見えない。だがハデスはある一点を見つめ続けながら問いかける。
「如何にも。死なずにここへ来られるのはマリンの他はお前だけだったからな」
何一つ理解できない。言葉の意味も、その男の目的も。ただ、今知りたいことは一つだけ。
「お前は何者だ?」
ハデスの質問に、男はゆっくりと口を開く。ただその事を伝えるためにここへハデスを呼んだかのように。
「私の名はプルート。元十闘神、冥界の神、プルートだ」