episode 553 「結界」
まるで建物の下敷きになっているようだった。ずっしりしていて全く動かせない。
(どうするどうする! 内蔵がつぶれそうだ!)
ハデスは一切の容赦をしない。全力ではないものの、それ以上は力を緩めずにフェンリーを押さえ込み続ける。
「おらぁぁぁぁ!!」
叫び声とともに手のひらから氷を地面に向かって放出するフェンリー。それは地面をつたい、ハデスの体目掛けて突き出る。槍のような氷が容赦なくハデスの腹部に突き刺さるが、ハデスの肉体には傷ひとつつかない。
「貧弱だな」
腹筋の力だけで氷が叩き割られる。
「だと思ったよ、だけどこれならどうだ!」
空中で砕けた氷は再び結合し、ハデスの眼球目掛けて伸びていく。すぐさまフェンリーを押さえつけていない方の手でガードしようとするが、そっちの方の手にもすでに氷が忍び寄っていた。左手は完全に凍らされてしまう。
(破壊するのは簡単だ。だがそれでは目の方の氷の対処が間に合わない。仕方がないな)
ハデスは大きく息を吸う。
「はぁぁぁぁぁあああああ!!」
爆音が鳴り響き、氷が弾け飛ぶ。近くにいたフェンリーへのダメージも尋常ではなく、鼓膜にも衝撃が走りフェンリーは気絶する。
「できれば傷をつけたくはなかったが、半端な強さは身を滅ぼすということを覚えておけ」
体に付いた氷を払いながらもう聞こえていないフェンリーに告げるハデス。
その爆音は、当然フェンリーを探しに出掛けていたゼロとレイアの二人の耳にも届いていた。
「な、なんでしょうか今の音は!?」
まさか人の声だとは思っていないレイアが驚愕の表情を浮かべる。
「わからない……だが何か良からぬ事が起きているのは事実だ。用心して向かうとしよう」
二人は音の出所を目指して進み出した。
「あれはハデスの咆哮……何かあったようだな」
魔族の痕跡を求めて各地を回っていたアスラが帰りがけにハデスの声を耳にする。
「よもやハデスに敵う人間が居るとは思えんが、急いだ方が良さそうだ」
アスラは全速力でもといた広場まで駈けていく。
その頃、モルガナとミカエルはようやくメイザース大神殿に到着した。普通ならば一日あれば歩いてでも到着することができるが、二人がここに来るまでには数日を要した。その原因はモルガナが抱えている袋にある。
「モルガナ、状況を理解しているのか?」
「もちろんしてるよ! でも仕方ないじゃん、あそこのお菓子美味しいんだもん!」
モルガナの抱えている袋には大量のお菓子が詰め込まれていた。袋だけではなく、彼女の口にも食べかすがこびりついている。モルガナはお菓子を手に入れるために関係の無い場所に寄り道していたのだ。
「そんなこと言うなら一人で先に行けばよかったじゃん」
「そういうわけにいかない。アスラは我々二人で向かえと言っていた」
「もう、融通きかないなぁ」
2000年前から変わらないミカエルに安心した笑顔を見せるモルガナ。
「やっぱりもう消えてるね、メイザースの結界」
「そうでなければ人間たちがこうして大勢住むことはできないだろう」
メイザース大神殿はメイザースの根城だった。彼が生きていた頃は結界が張り巡らされており、いかに神とて簡単に侵入できるものではなかったが、メイザースがジャンヌによって葬られてからはその結界はきれいさっぱりなくなっていた。
「ん? 誰か外にいるのか?」
神殿に無事帰ってきていたアカネが、外の二人の会話に気がつく。
「用心しろよ、この前みたいなことはもう御免だからな」
アカネが拐われた時と、戻ってきた時に死ぬほど涙を流したカズマが仲間たちに合図をおくりながら警戒を強める。もう二度とあんな思いはしたくない。そのために彼らも彼らなりに体を鍛え、それなりに強くなっていた。集団で掛かればその辺りの兵士くらいなら追い払えるほどに。
外の二人は中に入ってこない。避難を求める被災者なら直ぐにでも飛び込んでくるはずだ。
(中は危険だ。ここで暴れられたら……)
辺りを見渡すカズマ。だいぶ人数は減ったが、相変わらず子供や老人が大量に避難している。もし中で戦闘になったら被害は相当なものになるだろう。
「何人かついてこい」
カズマはそう言って扉の方へと歩いていく。
「気をつけて。死ななきゃアタシがなんとかするから」
「ああ、頼むぜ」
心配そうにしているアカネに力強く拳を突き出すカズマ。じりじりと扉に近づき、覚悟を決めて開こうとしたその時、向こう側から扉が開く。
(来る!)
警戒を強めるカズマ。しかし現れた小柄な少女に拍子抜けしてしまう。
「こ、子供!?」
「む、子どもじゃないよ!」
現れたモルガナはそう言い張るが、口に食べかすをつけた少女は、カズマから見たらここに避難している子供と大差なかった。
「まずは口を拭くべきだ」
しかし後ろから現れた見るからに異形なミカエルの姿に度肝を抜かれる。
「は、羽が生えてやがる……」
歯を食い縛るカズマ。どう考えてもこの二人は避難してきた人間ではない。そもそも人間かどうかすら怪しい。この二人からは一切気配が感じられない。
「うらぁぁぁぁ!」
気がついたらカズマはミカエルに殴りかかっていた。
(間違いなら謝ればいい。だが間違いじゃなければ、こいつらはここで倒さなきゃなんねぇ!)
無謀だとわかっていながらもカズマは拳を握る。仲間と、避難している人々と、大切な女の子を守るために。