episode 522 「水と油」
魔族の長女、マリン。そして魔族の末っ子、ヨハン。二人の魔族を前にして、アスラは思わず笑みをこぼす。
「ヨハン、まさか貴様の方から出向いてくるとはな。わざわざ殺されに来たというわけか?」
アスラはヨハンに拳を向けながら尋ねる。
「お前がアスラだね。よくもお姉ちゃんを殺そうとしたな!」
ヨハンは質問には答えずに口を開けながら突進していく。真空波による攻撃は無意味だと悟ったアスラは直ぐに物理攻撃に切り替えていく。
「そんなに食らいたければ存分に食らわせてやる」
渾身のストレートを繰り出すアスラ。シオンの攻撃では死には至らなかったヨハンだが、アスラの攻撃を受けて死なない保証はどこにもない。
「ヨハン! 私に暴食の力を渡せ!」
ヨハンに叫ぶマリン。
「え、でもそれじゃ僕死んじゃうよ」
「お前は死なない。私を信じろ」
振り返るヨハンを真っ直ぐと見つめるマリン。ヨハンは少し考えたが、マリンの顔を見て首を縦に降る。するとヨハンの中から禍々しい塊が出現し、それはマリンに吸い込まれていく。
「ふん、先に欠片だけ回収しておくつもりか!? 弟が死のうが関係ないというわけか。さすがは魔族だな!」
無防備なヨハンに拳を振り下ろしながら叫ぶアスラ。力を失ったヨハンは小さくまるまり、震えている。魔族の力を失った今のヨハンの肉体は人間の子供と大差ない。アスラの攻撃を攻撃をまともに食らわなくともぐちゃぐちゃに粉砕されてしまうだろう。
「去らばだ魔族!」
しかし、ヨハンは死ななかった。傷ひとつつかなかった。恐る恐る目を開けるヨハン。するとアスラの拳はヨハンのすぐ手前で停止している。
「え?」
この力は紛れもなくマリンの持っていた怠惰の力だ。絶対無敵の防御の力が今、ヨハンに備わっている。
「貴様……」
マリンを睨み付けるアスラ。マリンはニヤリと笑いながらこちらを見ている。
「今の私ではその怠惰の力は邪魔でしかない。初めからこうするつもりだったのだが、まさかヨハン、お前の方から来るとは思ってもいなかった」
「お姉ちゃん……」
ヨハンは嬉しそうにマリンを見つめている。
「さて神よ。ワタシの力の前にお前はどこまで抵抗できる?」
マリンは不適な笑みでアスラを見下ろす。抵抗できるか否かは既に未来を見通して正解を知っている。
二千年の間、マリンから神々に攻撃を仕掛ける理由は存在しなかった。だが、神々からマリンを攻撃する理由はいくらでもある。それでもそうしなかった理由は、戦いによる衝撃で世界が崩壊するのを避けるためだけではない。単純にマリンの持つ怠惰の力の攻略方法が見つからなかったからである。
アスラは苦虫を潰したような表情でマリンとヨハンを睨み付けている。がむしゃらにただ攻撃を続けても倒すことはできない。先にマリンを狙うこともできるが、ヨハンが近くに居る限りありとあらゆる攻撃が効かない。単純な攻撃だけではなく、マリンたちを攻撃しようと思う意識さえもが怠惰していく。
「ご覧の通りだ。このまま戦闘を続けても埒が開かない。少し話をしようじゃないか」
両手を広げて語りかけるマリン。だが当然アスラはそれを拒絶する。
「貴様らと語ることは何もない。それにその怠惰の力、手に入れたばかりでそこの赤子が扱えるはずもない。大方貴様が操っているのだろう? ならば貴様さえ何とかしてしまえば取るに足らないというわけだ」
マリンの提案を受け入れず、更に戦意を増していくアスラ。それは怠惰の力では封じ込めないほどに大きくなっていき、今にも飛びかかってきそうな勢いだ。
「確かにお前の言うとおり、私を殺せば怠惰の力はヨハンにも牙を向くだろう。私でさえその力を意のままに操るのには数年を要した。そこの愚弟ではあるいは命尽きるその時まで使いこなすのは不可能かもしれん」
マリンの力を手にいれて上機嫌のヨハンが聞いていないのを良いことに好き放題言うマリン。
「お姉ちゃん、こんなやつやっつけちゃおうよ! 僕たち二人がかりなら簡単に倒せるよ!」
まるで全知全能の力を手にしたかのようにはしゃぐヨハン。戦意バリバリのアスラに対してガンを飛ばしている。
「だから愚弟だというのだ。幼いお前には理解できんかもしれんが、神はこの世のバランスをとるのに必要な機関だ。むやみやたらに殺せば世界の均衡が崩れる」
「へぇ、そうなんだ。確かに二人も死んじゃったし、生かしといてもいいかもね」
マリンに対するヨハンの返しを聞いて、アスラの怒りは頂点に達する。
「もう、しゃべるな」
アスラの怒りで大地が震える。その様子を見てマリンバンク肩を落とす。
「阿呆が。無駄な刺激を……」
死闘はもう避けられない。