episode 516 「マリンの本心」
体に命が宿っていく。冷たい心が満たされていく。それは体全体に広がっていき、やがてアーノルトの体全てが満たされていく。
「ようこそ、魔の世界へ」
アーノルトの口から指を離すマリン。指の傷はもう完全に癒えている。
アーノルトはすくっと立ち上がり、体の節々を動かす。別段変わったところは無いように思えるが、ただ一つ確信できることは圧倒的な生命力だ。
「どうだ? 死ぬ気などまるでしないだろう」
「確かに」
先ほどまでの命が消えていく感覚は全く無い。
「俺にも何か特別な力が発現するのだろうか?」
魔族には魔女から与えられた力がある。マリンの怠惰やレヴィの憤怒など、加護とはまた違った異能の力だ。その力が自分にも顕現するのかどうかが気になるアーノルト。
「それはない。あれはあくまでも母の力の一部を私たちが受け継いだに過ぎない」
「そうか……」
少し残念そうな表情を見せるアーノルト。憧れのマリンに一歩近づける事が出来ると思ったが、そううまくはいかないらしい。
「そう悲観するな。お前は私の同志だと言っただろう。お前のオリジナルの力は発現しないが、私の力を引き出すことは可能だ」
マリンは手のひらを目の前に出す。するとそこから六つの塊が出現する。
「これは?」
「これは魔族の力その物だ。同時に私の命そのものでもある。人でいうところの心臓を晒しているというわけだ」
あれほど巨大に見えたマリンの姿が、今は年相応の少女に見える。目の前の塊がマリンの力その物だというのは本当らしい。マリンの秘密を知ることができたこと、そしてその秘密をマリンが自らの話してくれたことが嬉しくてたまらない。
ここでアーノルトに一つの疑問が生まれる。マリンの力はアーノルトですら想像がつかないほど大きい。おそらくこの世界で敵うものなど一人も居ないだろう。
果たして、このマリンが倒すと言っている魔女とはどれだけの存在なのだろうか。
「やはり気になるようだな。我が母の存在が」
当然のように心を読んでくるマリン。
「お前の知っているお伽噺の通り、母は2000年前この世を侵略しに現れた。そしてその圧倒的な力をもってこの世を蹂躙した。だが後少しというところで10人の子供たちによって封印されたというわけだ。なんとも詰めが悪い愚かな話だ」
鼻で笑いながら話し始めるマリン。そこまではアーノルトも知っている。
「母は封印される直前、自らの力を七つに別けて世界に放った。説明する必要も無いだろうが、それが私たちというわけだ」
先ほどまでのバカにしたような顔はどこかへと消え去り、憎しみの籠った顔へと変わっていくマリン。
「私たちはあくまで予備なのだ。魔女の復活のためのバッテリーなのだ。好き勝手に命を与えられ、世界の敵としての宿命を植え付けられ、神々との戦いを強いられ、時が来れば好き勝手に命を奪われる」
拳を握りしめるマリン。
「他の兄弟どもは母に侵食され過ぎている。私の計画を聞かせれば当然全力で止めにきただろう。それは神どもにしても同じだ。魔女の復活をなんとしてでも阻止したい連中にとって、私の計画はただの戯れ言に過ぎない」
マリンは背伸びをし、小さな体でアーノルトの頭を撫でる。
「私の心中をさらけ出したのは、お前が生まれて初めてだ。誇っていいぞ?」
マリンはにっこりとアーノルトに笑いかける。その笑顔が真実か偽りかはわからないが、どちらでも構わない。
(ゼロ、お前のレイアに対する感情、今ならばこの俺にも理解できるかもしれない)
アーノルトは頭にのせられた手を取る。
「俺に、貴女の母親を殺す手伝いをさせてほしい」
「無論、手伝ってもらう。お前は私の同志なのだからな」
二人が厚く握手を交わしたその時、突如空が呻き出した。
「私から離れろアーノルト! ヤツが来る!」
いきなり態度が急変し、アーノルトを突き飛ばすマリン。突き飛ばされたアーノルトが目にしたのはマリンの右腕がまっぷたつにされる瞬間だった。
「マリン!!」
加減ができなかったのか、アーノルトの体はものすごい勢いで転がっていく。人のままの体だったならこのまま死んでいたかもしれない。
「無様な姿だな、マリン」
空から降ってきた男は怒りに震えながらマリンを見下ろす。その頭上には二本の折れ曲がった角が生えており、一見するとその姿は鬼にすら見える。
男の周りの空気は時空が歪むほどその男の力に影響を受けており、オーラが形となって見えるほどその男の力をよく表していた。
「神王アスラ……お前が直接現れるとはな。よっぽどあの雷神の死が堪えたとみえる」
十闘神アスラ。ついに神々を従える男がマリンの前に姿を現した。そして今のアスラはマリンの挑発を受け流せるほど冷静ではない。マリンが反撃をする隙を与えないほどのスピードで追撃するアスラ。まばたきすら許されない時間のなか、マリンのもう片方の腕が吹き飛ばされる。
「スサノオだけではない。アテナのぶんも、貴様に償ってもらう」
怒りが形になるようだ。このアスラの怒りの前ではレヴィでさえ霞んでしまうだろう。
「まったく、ここでお前と私が本気でぶつかり合えばどうなるか……分からないわけでもあるまい」
「もちろん。数万人は死に絶えるだろうな。だが、それでもやらねば今度は数十万、数百万がチリと化す」
アスラは力を解放していく。大地が消し飛び、空気が割け、天が悲鳴を上げていく。
「かかってこいマリン。お前を仕留めるまで、俺はどこまでも追いかける」
その圧倒的なオーラに、さすがのマリンでさえ久しく憶えない恐怖を感じずにはいられない。
「仕方がない。いいだろう、相手をしてやるアスラ。そしてあの雷神のもとに連れていってやろう」
神の王と魔の長女。この世に存在する最大の存在同士が、今激突する。