episode 500 「ペット」
足音が近づいてくる。ゼロではないとは思いながらも期待は捨てきれない。
「やあ、ちゃんと服は脱いでくれているみたいだな」
残念ながら顔を現したのは兵士だった。兵士はかごに入れられているレイアの服をケースへ移動しながら満足そうに頷いている。
「しかし毛布にくるまっているのは良くない。ペットはそんなことはしないからな」
レイアの体にまとわりついている毛布を無理矢理引き剥がそうとする兵士。レイアは必死に抵抗する。
「やめてください。凍えてしまいます。犬や猫には毛がありますが、わたくしには無いのです!」
レイアの反論を聞いて手を止める兵士。
「確かにそうだ。凍え死なれたら飼い主失格だ」
毛布から手を離し、トイレへと目をやる兵士。使用された形跡がないことを確かめると、不機嫌な顔で水を取り出す。
「我慢は良くない」
当然水も普通に渡すのではなく、鉄製の器に注がれる。レイアの力では持ち上げるのも困難であり、結果として口を持っていかなければ飲むことも出来ない。
兵士はしばらくレイアの様子を眺めていたが、レイアが一向に水を飲まないので、諦めて出ていった。
「すこし教会の様子を見てくる。戻ってきたら毛繕いをしてやろう」
背筋がゾクゾクするレイア。
(このままでは……)
考えを巡らせるレイア。捕虜たちを守りつつ、自分の身を守るには兵士を倒すしかない。武器になりそうなのは鉄の器ぐらいだが、とても扱えそうにはない。捨て身で攻撃を仕掛けても通用しないだろう。
(やはり、わたくしが犠牲になるしか)
悪い考えばかりが浮かんでくる。
やがて、兵士は血相を変えて戻ってきた。明らかに今までとは様子が違う。小屋中を調べ、隙間がないか確認している。
「どうしたのですか?」
「なに、すこし問題が起きただけだ」
手には手錠と足枷を持っている。
「や、やめてください!」
「事情が変わったんだ」
逃げるレイアを追いかける兵士。目が血走っており、一度捕まればもう二度と逃げることは出来ないだろう。
「これ以上近づけば舌を噛みちぎります!」
兵士に叫びかけるレイア。さすがの兵士も動きが止まる。
「やめておけ。痛いだけだぞ」
じりじりとレイアとの距離を詰めていく。それを見てレイアは体に力を入れる。次の瞬間、レイアの口元からは真っ赤な血が流れ出す。
「半分ほど切れました。確かにとても痛いです」
「……っ!」
レイアは口の中を真っ赤にしながら兵士に告げる。兵士は完全に動きを止め、レイアを見つめ続けている。
「正気か? 手当てをしなければ、いずれ死ぬぞ」
「死ぬことは怖くありません。怖いのはあなたに汚されることです」
レイアは更に力を込める。それを見た兵士はレイアに詰め寄ることをやめ、急いで小屋から出ていく。
「まぁ、いい。お前はここから逃がさない」
扉越しにそう告げると、兵士は再び教会の方へと走っていった。レイアは恐る恐る扉に近づき、開けようとするが外から鍵がかかっており開かない。しかしそれでレイアは教会に何かあったと確信する。
(ルーチェが脱獄に成功したのでしょうか……)
真偽は分からないが、自分の替えが用意できなくなったのは間違いないだろう。
(今逃げ出すことができれば)
そう考えるが、抜け道は何処にもない。鍵も内側から開けることはできず、体当たりで破壊できそうな強度でもない。窓も小屋には似つかわしくない防弾仕様のようで、割ることも困難だろう。
何よりも口の中が痛む。舌こそ噛んではいないが、代わりに噛みちぎった下唇の裏からヒリヒリと痛みが伝わってくる。しかし気持ちは大分楽になっていた。自分が逃げ出してももうルーチェたちに被害は無いのだ。もちろん自分がただ逃げ出せばどこかの誰かが同じ目にあってしまうのだろう。だから、ただ逃げ出すつもりは更々無かった。
ルーチェたちは村を抜け、ほとんど整備されていない雑木林を駆けていた。目指すはもちろん自分の父親が居る村だ。
「みんな、頑張って! ここを抜ければもうすぐ村よ!」
ルーチェが後方の捕虜たちに声をかける。しかしほとんどはただの少女だ。道なき道を進めるほど体力はない。だが整備された道を進めば簡単に見つかってしまう。兵士ももう気がついているだろう、休憩をとることも出来ない。
追い付け無い者はおいていかなければ助からない。そんなことを考えていたルーチェは前方への注意を怠っていた。
「きゃ!」
誰かにぶつかって転びそうになる。しかしルーチェの体は地面に接触することなく、冷たい何かによって受け止められる。
「あぶねぇな、何でこんなところに居るんだ?」
サングラスをした大男がルーチェを除きこむ。
「あ、あ……」
恐怖で声がでないルーチェ。
「ん、待てよ何か訳ありみたいだぜ」
鳥の羽が散りばめられたコートを着た男性が後方を見渡している。どうやら他の捕虜たちにも気が付かれてしまったみたいだ。このままではまたあの場所に戻されてしまう、そう考えたルーチェは隠し持っていたフォークを構える。
「退いて! あの子を、レイアを助けないといけないの!」
レイアという単語に、大男の背後から同年代位の青年が身を乗り出してくる。
「レイアと言ったのか!?」
青年の声から慌てっぷりが伝わってくる。そこでルーチェは大きな勘違いをしていたことに気がつく。この人たちは敵じゃない。レイアの言っていたゼロなのだと。
「助けて!!」
必死の思いでそう叫ぶルーチェ。目には大粒の涙を浮かべている。ゼロはそれで事情を飲み込む。
「わかった。案内しろ」
ゼロは一言そう答えた。