episode 496 「レイアかフェンリーか」
ゼロが診療所に戻ると、既にジャックがローズに事情を説明していた。それを聞いて深くため息をつくローズ。安心したのか、こわばっていた顔にも穏やかな表情が戻っている。
「助かったよゼロ。ありがとう」
ローズはゼロに手を差し出す。ゼロは一瞬その手をとるのに躊躇したが、その手を握り返す。どうしたのかと頭を巡らせるローズだが、直ぐにレイアが居ないためだということに気がついた。事情を知っているかのような表情のジャックとゼロを見る限り今すぐ危険が及ぶような状態ではないが、安全とも言いきれない様子だ。
「ジャック、ゼロを頼む。ここは私一人で充分だ」
状況を理解するローズ。ゼロは一言礼を言い、直ぐに診療所を出る。
「大丈夫か?」
「何がだ?」
ジャックの大雑把な問いかけに大雑把に答えるローズ。
「いや、大丈夫ならいいんだけどよ」
そう言ってゼロを追いかけるジャック。
二人の気配が完全に消えると、ローズはベッドに突っ伏せる。目尻からは軽く涙が光る。
「まったく、あの男は姉上の件については知らないはずだがな」
ローズはいまだに姉の死を引きずっていた。そう簡単に割りきれるものではない。ワルターの件で一時的に気にせずにいられたものの、それが解決したことで再びジャンヌの死が重くのしかかる。
「姉上……いや、ジャンヌお姉ちゃん」
ローズは声を殺しながら泣いた。
「フェンリーはまだ戻ってないのか?」
「そういえば見てねぇな。奴らに聞いてみっか!」
ゼロとジャックは団長を介護する自警団に近付いていく。再びのゼロの登場にまたしても怯える自警団。
「おい、フェンリーに会っているだろう。どうした?」
ゼロの言葉が自警団に重くのしかかる。言葉につまるが、ゼロのプレッシャーに耐えきれなくなった一人が静かに口を開く。
「あいつはもうおしまいだ。あのチビに捕らえられてしまった……」
口を開いた男に詰め寄り、胸ぐらを掴むジャック。
「ちびって何のことだ?」
「ひぃ!」
ゼロだけではなく、ジャックからも敵意を向けられ、今にも気絶しそうな男。仕方なくジャックは敵意を和らげ、手を離す。
「俺が口で尋ねてる間に答えろよ」
ジャックの言葉に男は全てを話した。
「なぁ、奴の話信じられるか?」
小さな村への道を歩きながらジャックが尋ねる。
「あの場面で俺たちを欺けるような男には見えなかったがな」
ゼロが答える。
男の話によると、あの村はついこの間から一人の少女が住み着いたらしい。その少女は村の用心棒をかって出ており、その強さは並みの大人では敵わないほどだ。自警団も何度も返り討ちにあっており、ゼロたちを雇おうと考えたのもその少女に対抗するためだったらしい。
ケイトの事が頭をよぎるゼロ。だが、確信は持てない。組織の崩壊以来、ケイトには会っていない。生きているのかもわからない。生きていてほしいとは思っているが、心の片隅では既に諦めている自分も居る。
「フェンリーがそう簡単に負けるとは考えにくいが、何かトラブルがあったのは確かなのだろう」
「いいのか? レイアは」
ジャックの質問にぐわっと詰め寄るゼロ。
「いいわけがない。だが、フェンリーを置いてレイアの所に行き、万が一フェンリーが手遅れにでもなればレイアは一生俺と自分自身を許さないだろう」
ゼロは強く拳を握りしめる。爪が皮膚に食い込み、血がにじむ。本当は今すぐにでもレイアの所に行きたい。フェンリーの事が心配ではないわけではない。だがもし逆のパターンだったら……フェンリーを助けた為にレイアが間に合わなかったら、ゼロは誰を恨めばいいのだろう。その止まりようの無い憎しみをどこにぶつければいいのだろう。
「深く考えるのはやめにする」
独り言のように呟くゼロ。そうこうしているうちに目的の村が見えてきた。話に聞いていた通り、確かに小さな村だ。しかしこの村にはフェンリーでさえ敵わない凶悪な敵が存在している。
警戒を怠らない二人。だが向こうはどうやらそうではないらしい。気配がビンビンに伝わってくる。
大きな気配は二つ。一つは間違いなくフェンリーのものだ。特に怯えたり恐怖している感じは無い。それどころかリラックスしているようだ。その原因はもう一つの気配が何なのかということがわかると、同様に判明する。
(間違いない……)
それは明らかにケイトのものだった。向こうもこちらに気がついたのか、より強く気配が伝わってくる。
「ゼロ、信用していいんだな?」
緩みきったゼロの表情を見て声をかけてくるジャック。ゼロはコクりと頷く。
「ふー助かったぜ。実はよ、すげぇトイレ行きたかったんだ!」
気配のする小屋へと走っていくジャック。
「フェンリー、これって……」
「ああ、ゼロだ。俺が帰らねぇからって心配して探しに来たんだな!」
二人もゼロの気配を感じ取り、笑顔で到着を待つ。それから数秒もしないうちに小屋の扉が開き、待っていた男が現れる。ケイトはすぐさまその男に抱きつき、今までの寂しさを体現するかのようにすりすりと顔を擦り付ける。
「ゼロ! ゼロ! 生きてた、良かった! ゼロ!」
しかし、ゼロの反応はない。自分がゼロを心配していたようにゼロも自分を心配してくれていると思っていたケイトは少しショックを受ける。
様子がおかしい。声もかけてくれない。まだ自分がケイトだということが分かっていないのか? 顔を上げ、できる限りの精一杯の笑顔を浮かべるケイト。しかしそこに待っていたのは望んでいたものでは無かった。
「あの、トイレ……」
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」
ケイトはジャックを突飛ばし、思い切り扉を閉める。
「と、トイレ……」
ジャックは尿意と突き飛ばされた痛みに涙を流した。