episode 5 「フェンリー」
ゼロが悪夢から覚めたとき、憎たらしい笑顔を浮かべていた少女はすやすやと寝息をたてていた。見れば見るほどか弱く、少し手を伸ばせば簡単にその命を奪えてしまうだろう。あの惨劇を潜り抜けたとは思えないその様子に、思わず拍子抜けしてしまう。
僅かではあるが気が緩んでしまっているのに気づく様子もなく、ゼロは先ほど自分が地面に散らかした食事に手を伸ばす。隣には新しくよそい直したであろう物も用意されているが、そんなことはどうでもよかった。腹が鳴る。思えば今日は何も食べていなかったなと思いながら、一口、二口と体内に入れる。
ふともう一度少女に目をやると、微笑んでいた顔は涙の線がくっきりとついていた。それはそうだ。あれほどのことがあったのだ。ヘラヘラしている方がどうかしている。待ち望んだ苦痛な顔の少女を前に、殺し屋の青年は何もできずにいた。
レイアが目を覚ますとゼロは姿を消していた。散らかっていた食器と食事はきれいに片付けられており、自然と口元が緩んでしまう。できることなら食事の様子を観察したかったのだが、仕方ない。
レイアは隠していたゼロの武器を取り出す。
とても古いもののようだ。だが丁寧に手入れがされている。
(これで何人もの命を奪ったのですね)
10年は使われているであろうその拳銃を厳重にしまう。願わくば、もう二度と出番が訪れないようにと。
「これからどうしたらよいのでしょうか」
レイアにとってはあの屋敷がすべてだった。使用人が皆殺しにされた今、頼れる人物は誰もいなかった。いっそ殺してもらえばよかった、などと考えながら夕焼け空を見上げる。
「死ぬならあの方の笑った顔を見てから死にたいな」
もう居ない青年の顔を思い出しながら、レイアは再び夢の中へと落ちて行った。
その頃、ゼロはあてもなく森のなかを歩いていた。体は全快とはとても言い難く、武器もない。バロードが生きている以上、いつ組織からの追っ手が来るともわからない。そしてこういう場合、悪い予感は的中するものだ。
姿は見えない。だが間違いなく居る。同じ穴のムジナが。
「女は殺したんだろうなぁ!?」
ドスの効いた声がする。声の先には一人の女が立っていた。毒のような紫色の髪をした女はガスマスクのようなものを装着し、両手に怪しげな玉を持っていた。
「……ああ」
答えを聞くと同時に女は手にしていた玉を投げつけてきた。
「お前表情死んでんのに嘘が下手だなぁ!?」
玉は空中で破裂し、紫色の煙を発した。煙は瞬く間に広がり、草木を枯らした。
「毒……貴様ドレクか」
「そうさぁ!? アタシはD。毒殺のドレクさぁ!?」
毒殺のドレク。組織に属する殺し屋だ。武器のないゼロは落ちていた小石を拾い上げ、投げつける。石は尽くドレクに命中するが、殺傷能力は微々たるものだ。ドレクはいくら命中しても怯むことなく攻撃を続ける。
「いいなぁ!? いいなぁ!? 過大評価された勘違い野郎を一方的に痛め付けるのはァ!?」
ドレクはマッチを取り出し火を着けて投げる。大爆発が起こり、吹き飛ばされるゼロ。
「グァ!」
「ホントはバロードのヤツと組んでテメェを殺したかったがよぉ、誰かさんにしてやられたみたいでよぉ!?」
撃退は困難と判断し、ひたすら逃げるゼロ。だが病み上がりとすらいえない体は徐々に動きが鈍くなってくる。皮膚は紫がかり、血の気が引いていく。地面にた倒れるゼロ。
「女の居場所を言っちまえよぉ!? そうしたら解毒剤をやるぜぇ!?」
「死ね」
ゼロは反抗の灯火を絶やさない。近づいてくるドレク。
「お前がよぉ!? 死ねやぁぁぁ!?」
ぐさり。肉を切る音がした。草木が赤くコーティングされる。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!?」
のたうち回るドレク。ゼロは靴に仕込んだ刃物でドレクの喉元を刺していた。狙いは僅かにそれたものの、ダメージは相当大きい。ゼロはドレクから解毒剤を奪い取り、拳を振り上げ振り下ろす。鈍い音がしてドレクの叫びは止まった。
辺りはすっかり暗くなっていた。ゼロは休息できる場所を探し森をさ迷い続けた。気がつくといつのまにか先ほどまでいた家にたどり着いていた。なぜ戻ってきてしまったのか、考えれば答えは見つかりそうだったが、それを拒否するゼロ。家には明かりが灯っており、美味しそうな臭いもする。ふらふらの体を扉に押し付け、開けるゼロ。しかしそこにいたのはあの少女ではなかった。
「よお。待ってたぜ。まあ入れや」
組織のなかでも古参のゼロは、大抵の殺し屋の顔は知っていた。しかしそこに現れた身長二メートルはあるだろう大男の顔に見覚えはなかった。針ネズミのような水色の髪にサングラスをかけたその男を見るや否や、ゼロは一番重要な質問を投げ掛ける。
「貴様組織の人間か」
男はタバコをふかしながら質問に答える。
「F。氷殺のフェンリーだ」
それを聞くや否や仕込みナイフで男に襲いかかるゼロ。しかし簡単に受け止められてしまう。そして男に掴まれたナイフはなぜか氷つき、粉々に崩れ落ちた。
「おいおい待て待て。いきなり何しやがるんだ。って仕方ねぇか、組織に命狙われてるんだもんな」
フェンリーはずり落ちたサングラスを上げ、受け止めたゼロの足をそのまま持ち上げる。するとゼロの足は爪先から徐々に氷ついていく。
「俺は生まれつき特殊な力があってな、触れたものを氷つかせちまうんだ」
もがくゼロを押さえつつ話を続けるフェンリー。
「家族には直ぐに捨てられたよ。悪魔だ化け物だってな」
氷は太ももにまで達していた。もうもがくことすらできない。
「で、行き着いた先が組織だったって訳だ」
そう言うとフェンリーはゼロの足から手を離した。ゼロの体はなす統べなく床に転がり落ちる。
「気いつけな、むりに動くととれちまうぞ。シャワーで流してこい。ゆっくりな。お湯は使うな。いいな?」
30分後。足を引きずりながらゼロが戻ってきた。フェンリーに殺意が無いことがわかると、ゼロは大分落ち着いた様子で質問を投げ掛ける。
「何が目的だ?」
フェンリーは床に座りながらスープを飲んでいた。
「まぁ食えや。話をしよう」
フェンリーは皿を差し出す。仕方なく受けとるゼロ。
「ここにいた女は俺が殺して埋めた」
受け取った皿を落としてしまうゼロ。フェンリーの一言に明らかに動揺していた。
「どうした? なにか問題でもあるか?」
ゼロの様子を確認すると、フェンリーはポケットから金髪の髪を取り出す。恐らくレイアの物だろう。
「さぁこれでお前を縛るものは何もなくなったわけだ。組織に戻ってこい。俺が話をつけてやる」
フォークに手を伸ばすゼロ。それが食事をとるためのものでないことは明らかな程、ゼロからは殺意が溢れていた。
「それとも」
立ち上がり手袋を外すフェンリー。その素肌からは蒸気が上がっている。
「無駄な抵抗で無意味な死でもとげてみるか?」