episode 391 「ゼロの世界」
待て。そう叫んで手を伸ばす。しかし声が出ない。体も動かない。
(待て……待ってくれ! それは……レイア!)
ルインはゼロに構わず去っていく。このまま行かれてしまえばもう二度と剣には近づけない。確かにルインのあの力ならゼロよりもよっぽど魔族に対抗できるだろう。エクスカリバーの力も加われば、オルフェウスを倒せるかもしれない。レイアを救えるかもしれない。あの笑顔を取り戻せるかもしれない。
(だが、それで俺は笑えるのか? 心からレイアとの再会を喜べるのか? 胸を張ってレイアに言えるのか? お前の事を……)
ゼロは重たいまぶたを開ける。
「までぇ! おまえを……いがぜはしない!」
つぶれた喉でルインを呼び止めるゼロ。
「二千年生きてりゃ、てめぇみたいなイレギュラーにはたまに会う。そういう言っても殺ってもわかんねぇやつらは無視することにしてる」
無視をする。そういいつつも引き返してくるルイン。ゼロのボロボロの顔面を、髪を引っ張って引き上げる。
「でもお前のその目は、狂っちまったやつらとは何か違うな。まぁ、別の何かが狂っちまってるのは間違いないが……何がそこまでてめぇを駆り立てる?」
右手は折れてまったく動かない。左手も感覚がない。足はついているが、骨が外に突き出し、歩行は不可能だ。肋骨も何本か折れ、肺に突き刺さっている。体中打撲し、どれだけ出血しているのか想像すらできない。ゼロの命は持って数分……それは彼自身でもわかっていた。
だが、それでもゼロは神に向かってはっきりと言った。
「俺はレイアを救いに行く! たとえ神を殺しても……世界の全てを敵にしようとも……レイアが俺にとっての世界なのだから……!」
唯一動く目と口で神に食らいつく。
「女の子一人が世界? 随分と小さな世界だな」
「それでも……大切なんだ!」
ゼロは全ての力を吐き出し、意識を閉ざした。
「……ったく」
ルインはゼロの体を持ち上げる。まったくもってひどい状態、生きているのが不思議なくらいだ。
「あの王子といい、てめぇといい、どうもアレスがちらつきやがる」
いつの間にかルインの背後にはもう一人、大柄な男が立っていた。その肉体はオイゲンやゲイリーを遥かに越え、隆起した筋肉はまるで山脈のようだった。
「終わったか」
「……ハデス。てめぇ今頃出てきやがって」
十闘神ハデス。この世で最も屈強な肉体を持つ男。彼には他の神々のように特別な力があるわけではない。勿論二千年前の戦いによって魔女から受けた影響で、多少は魔なる力を行使することはできる。だがそれは加護を受けた人間と変わらない程度の力だ。それでもハデスはほかの十闘神に引けをとらない戦闘能力を有している。それほどにまで彼の肉体は、次元を超越していた。
ハデスはゼロの細い体をひょいと持ち上げる。
「あ、おい! そんな扱いしたら死んじまうぞ!」
ルインが慌ててハデスに叫ぶ。
「おかしな事を言う。殺そうとしていたのはお前だろう?」
「殺そうとなんかしてねぇって! ちょっとからかっただけだ!」
ルインはハデスからゼロを取り上げ、傷の修復へと取り掛かる。
「破壊と再生の力、か。何度見ても趣味の悪い力だな」
「破壊しかできねぇやつに言われたくねぇな」
しばらくするとゼロの体は元通りになる。すぐに目を覚ますゼロ。
「……!」
ゼロの目に飛び込んできたのは圧倒的なプレッシャーを放つハデスの姿だった。治ったばかりの体を起こし、後ろへと飛び退く。
「誰だ」
冷や汗を流しながら尋ねるゼロ。
「聞いてどうする? どうせお前はここで死ぬ」
死ぬという言葉で自分の体が元通りになっていることに気がつくゼロ。また繰り返し殺されるのかと考えるが、その手には既にエクスカリバーは無い。
(だとするとこの男の目的はエクスカリバーではない……何者かはわからんが、単純に俺を殺すつもりということか)
息を飲むゼロ。ハデスから逃げ切り、ルインの手からエクスカリバーを奪還するというのは並大抵の事ではない。
「下らないことを考えるな。本来神と魔族の戦いに、人が首を突っ込むことが間違いなのだ。あるべき場所へと戻る。それのどこに不満がある?」
ハデスがゼロに話しかける。重く、冷たい言葉。身の毛もよだつ恐怖と共に、その言葉がゼロへと伝わる。しかしゼロは恐怖とは違った感情に震えていた。
怒りと言う名の感情に。
「あるべき場所へと戻る……だと?」
ゼロから殺気が放たれる。僅か、本の僅かだが、その殺気によって神二人は眉を動かす。
「ここまで来るのにどれ程犠牲を払ったと思っている! どれだけの人が悲しみに暮れたと思っている! 今さらのこのこ現れておいて、用済みだから消えろだと!? 黙って見ていろだと!? 冗談じゃない!」
ゼロは震えている。
恐怖じゃない。
悲しみでもない。
怒り。
単純な感情。
故にゼロは神に立ち向かう。




