episode 387 「チャンス」
煙はすぐ後ろまで来ている。既に洞窟の入り口へと戻ることはかなわず、奥へと逃げ込むしかない。だがそこにはあの子犬型の魔獣と、マリンが待ち受けている。
「走れ!」
ゼロはレックスとロミーに叫びかける。ゼロ自身も余裕が無いといった様子で洞窟の奥を目指して走り出す。
「なんだ? まさか私と戦う気か?」
マリンが両手を広げながら言う。ゼロはその言葉を完全に無視し、彼女の横を通りすぎていく。手を出してこないことを祈りつつ、レックスとロミーも後へと続いていく。
「殺す気なら、いつでも殺せたはずだ。こんな回りくどい手段を選ばなくてもな」
ゼロはマリンが攻撃をしてこないと確信していた。実際マリンは一切手を出さずにゼロたちの行動を見守っている。
マリンの向こう側には例の魔獣たちがうじゃうじゃといるが、煙とゼロたちを恐れ、一切動こうとはしていない。
「どうすんだよ! 煙はとまらねぇぞ!? この魔族と心中する気か!?」
レックスが声を張り上げる。しかしそうはならなかった。
あれほどのスピードで侵食してきた煙がマリンの手前でピタリと止まる。マリンの怠惰による力だ。
「なるほどな。確かにこれならお前たちは煙の驚異に脅かされる事はない。だが知っているぞ? この密閉空間では人は長くは生きられない」
マリンの言葉の通り、ゼロたちの限界はすぐそこまで来ていた。ただでさえ標高が高く空気が薄いというのに、煙によって洞窟の奥まで追い込まれてしまった。このままでは窒息するのは時間の問題だ。それに加えてこの高温、蒸し焼きにされてしまう。
まず最初にロミーが倒れた。そのすぐ後にレックスも倒れ込み、ゼロだけが気力でマリンを睨み付ける。
「無理をするな、人には耐え難い苦痛だろう」
マリンはどこからか取り寄せた紅茶のカップに手を伸ばしながらゼロの様子を観察する。
既に子犬型の魔獣も全て伸びてしまい、ゼロとマリンのにらみ合いが続く。
「しかしなぜレイアにそこまで固執する? 特別な力が有るわけでも無し、はっきり言えば平凡極まりない人間だ。お前の感情は読み取れるが理解はできない」
ゼロが気絶する前に聞いておこうとマリンが質問する。
「俺の考えは読み取れるのだろ? ならばそれが答えだ。それ以上でも以下でもない」
ゼロは渇ききった口で言葉を絞り出す。しかしマリンはその返答では納得いっていないようだ。
「それでは意味がない。お前の口から直接話せ」
ここで初めてマリンはゼロに対して敵意を向けた。全身を激しく打ち付けられたような衝撃に、思わずしりもちをつくゼロ。しかしすぐに立ち上がり、より一層強くマリンを睨み付ける。
「聞きたければ教えてやる」
ゼロは銃を構え、マリンに向け、劇鉄を上げる。
「俺にとってレイアは目標であり、希望であり、全てだ。他人に理解される必要もなければ、されたくもない」
引き金を引くゼロ。弾が発射され、マリンに向かって飛んでいく。そしてその手前で止まる。すかさずナイフを取り出し、マリンに向かって突っ込んでいく。
「異常だな。理解はできないし、したくもない」
マリンは構えすら取らない。紅茶を飲みながら退屈そうにゼロの攻撃を待っている。
ゼロはマリンの喉元目掛けてナイフを突き出す。案の定ナイフはその勢いを失い、それ以上先へと進めることはできない。
「無駄なことを」
マリンはがっかりしたような口調で紅茶を口へと運ぶ。だがゼロはそれを見て何かを悟る。
(マリンの周りには目に見えない膜のようなものが存在しているはず……それがこちらからの攻撃を防いでいる。だがそれはオートではない。そうだとしたら紅茶を口に運ぶことはできないはずだ。オンオフを切り替えているか、あるいは弁のように向こうからは遮断し、自らだけ通す仕組み……)
ゼロはマリンから距離をとる。
「悪くない考えだが、少し違うな」
ゼロが答えを導きだすよりも前にマリンが語りだす。
「私の力……力というよりは呪いに近いが、それはあくまでもオートだ。私の意思とは関係なく働く。紅茶を飲みたければそう意識するしかない。そしてもちろんだかその間にもそれ以外の全ては私の意思とは関係なく遮断される」
マリンは紅茶をどこかへと片付ける。
「お前にはわかるまい。この世に堕ちたばかりの私には光もなければ空気も無かった。まさに生き地獄を味わったさ」
マリンは少し悲しげな表情を残したが、直ぐにいつもの不適な笑みを浮かべ、ゼロに選択を迫る。
「お前の言うとおりここで殺すのは容易い。だがいささか面白味にかけるな。殺すのならそれ相応の舞台と役者を用意してからだ。そこでお前にチャンスをやろう」
マリンは疲労するゼロの前にワープゲートを作り出す。
「なんの真似だ?」
「一人だ。お前たちの中で一人だけ助けてやる」
マリンはゼロの問いかけに指を一本立てて答える。
「さあ、選べ。もちろん残りは殺すがな」
悪魔のような笑顔でそう言った。




