episode 369 「マスター」
「もう、しっかりしなよ」
ロミーが震えるレックスに声をかける。
「くそっ! だから嫌だったんだ!」
レックスはオイゲンとの戦いで刻まれた恐怖に未だに震えていた。初めて感じた圧倒的な実力差だった。どれだけ鍛えてもまったく敵う気がしなかった。
「衛兵なんて辞めて軍人になりなよ。レックスならそれなりのところまでいけると思うよ」
「へ、あんたで少佐なんだろ? 一体あんたのところまで何十年かかるってんだ」
ロミーの慰めが逆に悲しい。
「何も強ければいいってわけじゃ無いからね。私、軍を率いるとか無理だし……だからこんなところに飛ばされちゃうし……ま、そのおかげで遊べてるんだけどね。その辺りレックスはうまくやれそうじゃん?」
ロミーは屈託の無い笑顔でレックスに語る。レックスはこっ恥ずかしくなり、ロミーから顔を反らす。
「ま、それも悪くねぇかもな。だがよ、今は目の前のことを片付けなきゃな」
「そうだね」
体を引きずりながら歩く二人の目の前には、マスターと数人の護衛の姿があった。
「期待はずれを絵に描いたような連中だ。出俺は駄作というものが許せないタチでね。破り捨てたくなってしまう」
マスターは手を掲げる。
「いける?」
「へ! チャンピオンに比べりゃ屁でもねぇ!」
二人はボロボロの体を無理やり動かし、護衛たちへと向かっていった。
オイゲンは二人を取り逃がしたことで非常に気が立っていた。
「貴様のせいで俺たちはさらされなくてもよかった危険にさらされている。今すぐセシルについての情報を全て吐き出せ。時間がない」
オイゲンは柄にもなく怯えている。
「一体何をそこまで恐れる? レックス、ロミー以上の使い手などあの会場には居なかっただろう?」
魔族と長く接しすぎた為か、ゼロにとっての脅威のハードルはかなり上がっていた。
「貴様は何も見ていなかったのか? あそこにはマスターが居た」
オイゲンは恐れながらその名を口にする。
「マスターはあそこの支配者だ。あんな暴虐が許されているのはあそこに居る誰もがマスターに逆らうことができないからだ」
ゼロにはまったく理解ができなかった。
「何故だ? それほど腕っぷしがたつようにも……加護か?」
「……そうだ。マスターには記憶を消し去る力がある。今まで何人もの反逆者たちがマスターに記憶を抹消されてきた……俺もその一人だ」
記憶を消された。その言葉の重大さがゼロにのしかかる。
「セシルとやらがきっと俺の記憶を呼び覚ますきっかけになり得る」
オイゲンはマスターを恐れていたのではない。何も覚えていないことを恐れていたのだ。
「ならばセシルの元へと急ごう。きっとお前の記憶は元通りになる」
ゼロがオイゲンを励ます。
「それは不可能だ」
マスターが二人に近づいてくる。彼の左右にはレックスとロミーの姿もあった。
「やはり、殺しておくべきだったな」
オイゲンは戦闘体勢に入る。ゼロはオイゲンの話から二人が記憶を抹消されたのだと思い知らされる。それほどまでに二人の表情は先程までとは別人だった。
「不可能とはどういう意味だ?」
「その言葉の通りだ、可能ではない。記憶は二度と戻らない」
ゼロの質問に不適な笑みを浮かべるマスター。
「不可能かどうかなど確かめなければ分かりはしない」
ゼロもナイフを握りしめる。マスターはレックスとロミーを前へと出させる。
「マスター、あいつが敵か?」
「結構強そうじゃん」
二人はやはり記憶を消されていた。まだあってそれほど親しくはなっていないが、自分の中の何か大切なものが台無しにされたようなとてつもない消失感がゼロを襲う。
「外道が……」
敵意を剥き出しにするゼロ。マスターはゼロを前にしてもいたって余裕な表情を浮かべている。
「かつてのお前の行動をかんがみれば、出てくる言葉ではないな」
「貴様……」
マスターの一言一言がゼロの神経を逆撫でしていく。辺りに殺意が溢れていく。
「貴様を殺せば記憶が戻るのか?」
「知らん。殺されたことなど無いからな」
隣のオイゲンが鳥肌がたつほどゼロが怒りに震える。
「ならば試してやる」
ゼロは三人に向かって飛び込んでいった。




