episode 310 「捌の形」
薄暗いファウストをシオンの冷気が支配していく。徐々に地面は氷結していき、空間までもが白く変色していく。環境変化には強い魔族のヨハンも、寒さに身を震わせる。
「うう、ひんやりするよ」
ヨハンの小さな足は完全に地面と固定され、身動きがとれなくなる。
「もう、逃がさない。あなたはそこで待っていて!」
シオンは拳に力を溜めていく。きしきしと軋む右の拳に氷の塊が付着していく。それは徐々に大きさを増し、シオンの拳は巨大な氷の塊となる。
「氷牙拳法捌の形!」
シオンはその巨大な拳を従えながら、動くことのできないヨハンに向かって走っていく。
「ちょっと待って待って! それは流石に痛そうだよ!」
ヨハンは小さな手を顔の前で構える。
「許さないって言ったでしょ!」
シオンは直径1メートル程に膨れ上がった拳をヨハンに向かって突き出す。
『絶氷!!』
シオンの拳はヨハンに炸裂した。大地が震え、ファウストから帝国へと繋がるトンネルに爆音が響き渡る。ヨハンの体は衝撃を受け止めきれず、遥か彼方へ飛んでいく。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
赤ちゃんのような悲鳴をあげながら血しぶきをあげるヨハン。シオンも力を使い果たし、その場に倒れる。
「はぁ、はぁ、お願い、これで倒れて」
そのままシオンは意識を失った。
(痛い痛い痛い痛い痛い! 血が、肉が、くそ!くそ! 回復が追い付かない!)
回復の加護は有しているものの、それはイシュタルが持っていたものとは違い、そこまでの速効性はない。このままでは回復よりも先に死が訪れてしまう。ヨハンはボロボロになった体で地面を這いつくばる。
(食べなきゃ、食べなきゃ!)
そして近く転がっていた犯罪者の足にかぶり付く。しかし、抵抗する犯罪者に耐えうるだけの咬合力を失っているヨハン。
(抵抗するな!)
ヨハンは手のひらから炎を放ち、男を丸焼きにする。
(はぁ、はぁ)
こんがりと焼けた男の足にかぶり付くヨハン。傷を癒すべく、夢中で体内に入れる。一通り食べ追えると、ヨハンはゆっくりと目を閉じた。
どれだけ時間が経ったのだろうか、シオンが目を覚ました時にはそこには誰もいなかった。
「中将! どこですか!?」
ジャンヌを探すが、返ってくるのは自らのこだました声だけだ。ヨハンの飛んでいった方を探索してもそこにヨハンの姿は無く、あるのは食べかけの人間と血で塗られた地面だけだ。
「どうしよう」
シオンは完全に動かなくなった右の拳を庇いながら、奥へと進んでいった。
きらびやかな城。その一室で青年が満面の笑みを浮かべていた。
「美しい」
青い髪をした青年がジャンヌを抱えながら呟く。その足元にはヨハンの姿もあった。
「よくやったぞヨハン、お手柄だ」
青年はヨハンの頭を撫でながら、もう片方の手でジャンヌの頬を触る。
「兄ちゃん、もう一人の女はいいの?」
ヨハンがシオンの事をさして尋ねる。
「もちろん俺のものだ。だが今はこの女を愛でるとする」
そう言って青年は気絶したジャンヌを抱えて部屋を出ていく。
「姉上の予言ではこの女は勝利が約束されているらしいが、果たしてそれは俺の欲とどっちが上かな?」
青年は欲しいものが手に入った子供のようにはしゃぐ。
シオンが目を覚ました頃、ローズたちもファウスト近くの駐屯所まで来ていた。駐屯所の中は生気を失った兵士たちのみで、ジャンヌもシオンも姿が見えない。
「やはり行ってしまわれたか……」
頭を抱えるローズ。リザベルトは姉が姉に悩まされている姿を気の毒そうに見つめている。
「行くぞ。レイアを待たせているからな」
ゼロは銃とナイフの手入れを済ませると、すぐに出発しようとする。
「そうだな。中将はともかく、ナルス少尉が心配だ」
ガイアも早々に用意を済ませ、ファウストへと繋がる洞窟へと向かう。
「仕方がありませんよ、姉上。行きましょう」
リザベルトもあとに続く。
「……ああ。姉上……見つけたら一言、いや十言くらい言わせてもらいます」
ローズも洞窟へと向かう。そこにもう姉は居ないと知らずに。




