episode 213 「帝国軍提督」
泣きつかれ、顔を真っ赤に腫らすゼロ。その姿にかつての最強の殺し屋の面影は無い。
「あんた、一体何があったんだい? 辛いかもしれないけど話したら楽になるかもしれないよ?」
今にも死にそうなゼロを心配して声をかけてくる老人。
「放っておいてくれないか。もうどうでもいい」
ゼロは老人の言葉を聞き入れようとしない。目をつぶり、耳を塞ぎ、口を閉ざす。
「そうかい。しばらく家で過ごすといい。話したくなったら話しておくれ。いつでも待っているから」
老人は優しくゼロの背中に触れる。
家に戻ると、老人はゼロに部屋を与えた。
「一人になりたいだろう? しっかり休んでくれ。何かあったら声をかけてくれ」
老人はゼロを部屋に残し、仕事に取りかかる。
同時刻、モルガント帝国でも島の消失という未曾有の災害の対応に追われていた。いや、実際には帝国に被害が及ぶことは無かったため、島が消失したということに気がついたものは誰もいなかった。だが海岸に流れ着いた大量の兵士の死体をみて、人々は異常事態だということに気が付く。
この事は帝国の守護にあたっていたイシュタルの耳にも入った。
流れ着いたのは間違いなくイシュタルが組織に対して送り込んだ者たちだった。自らが選択した尖鋭たちだった。
「何だというのだ、一体」
動揺を隠せないイシュタル。
「すぐに提督にお話ししなければ」
イシュタルは事態を報告すべく、帝国軍本部へと向かう。
帝都モルガントの中心にそれはそびえ立つ。ここが軍人の国だということを主張するような帝国一巨大な建造物、それが帝国軍本部だ。常に千人を越える大量の兵士が滞在しており、そのほとんどが将校たちだ。各地で成功を納め、引退したものたちも大勢ここで余生を過ごしている。その名だたる英雄たちもイシュタルの姿を見つけると、皆一同に頭を下げる。
英雄イシュタル。帝国軍を半世紀以上にわたって支えてきた男を知らぬものはこの国には居ない。
巨大な扉の前でイシュタルは立ち止まる。帝国本部の一番奥の部屋、そこにこの国のトップが鎮座している。
「提督、お久しぶりです。イシュタルです」
「お前か。久しいな」
中には三メートルはありそうな巨大な男が、五メートルはありそうな巨大な椅子に腰かけていた。きらびやかな服に身を包み、イシュタルを見下ろす。
「して、何ようか?」
イシュタルをもってしても提督のプレッシャーは拭いきれない。これが一介の兵士ならば卒倒してしまうだろう。
「以前ご報告した組織の話、事は想像以上に深刻な模様です。儂が派遣した兵士どもが死体となって帰ってきました」
イシュタルの報告に提督は顔色一つ変えない。
「お前が派遣した者の中にはジャンヌ・ヴァルキリア中将とガイア・レオグール准将の両名の名があったはずだが、よもや彼らまで敗退したというわけではあるまいな?」
「ハ、今のところ彼らの遺体は見つかっておりません」
ギロリとイシュタルを睨み付ける提督。
「ならばなぜ報告に来た? お前は余の許可がなければ兵の補充すらままならないのか?」
「……失礼致します」
イシュタルは部屋を出る。額には汗をかいている。
(よし、これでいい。提督は必ず動いてくださる)
イシュタルが部屋を出てすぐ、提督は兵を呼びつける。
「お呼びでしょうか、提督」
「呼ぶのだ、ムゲンを」
やって来た兵にそう一言告げる提督。
「お言葉ですが、ムゲンの居所を知るものは誰も居りません。そもそも居所がわかったところで素直に召集に応じるかどうか……」
兵士の言葉を遮るように突如帝国本部を地響きが襲う。
「な、なんだ! この地震は!」
動揺する兵士。提督は眉一つ動かさない。それもそのはず、これは地震ではなく、提督が足を思い切り地面に叩きつけた事によって起こった衝撃だったからだ。
「貴様、階級は?」
「た、大佐であります」
依然として動揺する兵士が答える。
「余は提督である! 帝国軍の頂点である! 余は呼べと申した! ならば貴様はそれに従え! それ以外の答えは存在しない!」
空気が揺れるほどの振動が部屋の中で暴れる。大佐はあまりの衝撃に壁際まで吹き飛ばされる。
「も、申し訳ありませんでした!」
逃げるようにして部屋を出ていく兵士。
提督は乱れた髪をかきあげる。
(イシュタルが言っていた組織とやら、もう一度考え直す必要があるやも知れんな)
「するな。なにやら嫌な予感が」
一人の剣士が木陰の中で呟いた。




