episode 177 「失ったもの」
アンは草むらの中に身を潜めていた。三日ほどほとんど物を口にしていなかったが、不思議と疲れや空腹は感じられない。傷口が開き、血を流しているが痛みもまったく無い。
(これが極限状態というものですかね)
腹はすいていないが、傷を治すためにとりあえず近くにいる虫を頬張るアン。
(変ですね、味もしない)
口の中にクリミーな液体が溢れる。足や触覚がその液体と混ざり合い、アンの口の中でうごめく。
(バルトが見たら気絶しそうですね)
空腹感はないが、いくら食べても満腹感もない。普通なら怖くなりそうな状況だが、細かいことは気にしないアンにはなんの不都合もなく、むしろ好都合とまで考えていた。
夜になってもアンは行動を続けた。疲れはない。眠気もない。有るのは復讐心と破壊衝動。
(本当なら本部に戻りたいところですが、手土産の一つや二つは必要ですよね)
夜通し歩き続けているとアンは小さな集落を見つけた。夜中ということもあり、出歩いているものはいないが、建物の数から察するに人口は二十人ほどだろう。
「静かでいい村ですね。おまけにまわりには森しかない」
アンは一軒、また一軒と侵入し、次々に住民を殺して回った。アンの侵入に気が付くものは一人もおらず、瞬く間に村は壊滅した。死体を適当に処理したアンは一軒の家を隠れ家に決める。おもむろに棚を物色し、食材を集める。
「やった! 大好物のカニ缶です!」
アンは好物を発見し、その家の子供が使っていたであろう小さな椅子に腰かける。そしてその子供の死体の目の前でカニ缶を頬張る。
「んー。これも味が無いです」
アンは無味無臭の缶詰を置き、床に寝そべる。
「やっぱり室内は良いですね」
アンは三体の死体と一緒にぐっすりと眠りについた。
異臭を嗅ぎ付け、ローズたちが村にたどり着いたのは三日後のことだった。
「おぇぇ。何ですかこの村、お風呂ないんでしょうか?」
「いや、これはまさか……」
軽口を叩くシオンだったが、村人の死体を発見すると真っ白な顔がさらに青ざめる。
乱雑に放置された死体は虫や鳥に食い荒らされており、原型を留めていないものも多い。さすがのシオンもこれには口を噤み、部下たちと一緒に死体を回収する。
「……これが人の仕業だなんて言いませんよね? こんな小さな子供まで」
シオンは涙を浮かべながら各家をまわって死体を回収していく。どの死体も損傷が激しく、どの死体の顔も苦痛に歪んでいるように見えた。
「少佐、気が進まないのなら戻れ。ここから先は進む先々地獄だぞ」
ローズは黙々と死体を処理していく。
(慣れたくはないものだな、こんなこと)
「いえ、私もついていきます。こんなことが起きているのに黙っているなんてできません!」
「ならばその涙を拭いて前を向け。泣くのはベットの上だけにしろ」
ローズに言われて涙をふくシオン。
「ふふ。ローズさん、それって下ネタですか?」
「は? 何を言って……」
口を閉じ、顔を真っ赤にするローズ。
「違う! 私はそういうことを言っているんじゃない!」
「そういうことってどういうことです?」
「少佐! 口を閉じろ!」
にやにやするシオンとあたふたするローズ。そんな二人を現実に引き戻すような強烈な気配が一軒の家から放たれる。
「少佐、感じるか?」
「はい、ビンビンです」
ローズがその気配を読み違えるわけがない、間違いなくアンのものだった。
「気を引き締めろ。相手は簡単に人を殺せる異常者だ。常識の通じる相手ではない。剣の腕も一級品、おそらく私よりも上だ」
ローズは剣を抜く。
「そうですか。ですが私も拳の腕なら自信があります」
シオンは拳を握りしめる。するとうっすらと拳に氷の膜が張り、徐々に拳を覆っていく。
「よし! 行くぞ!」
ローズは気配のする部屋のドアを開けた。




