episode 164 「フェンリー・フェンネス」
フェンリーには何が起きているのかすら理解できなかった。
洞窟内には血が吹き荒れる。聞こえるのは銃声と金属音。目に映るのは二人の鬼人。自分には目もくれずに殺し合二人。しかしないがしろにされた怒りなど微塵も起こらない。この中に入っていきたいなどという輩は世界中探しても現れないだろう。
完全に暗殺行為を捨て、真正面から殺しにかかるアーノルト。
(俺と戦った時は本気じゃなかったってのかよ)
かつて自分たちを襲ったアーノルト。その際も恐ろしい強さだったが、今目の前に居る男はそれをはるかに凌駕していた。何しろ殺したいほど憎んでいたというのに、あまりの強さに敵意すらわいてこないのだから。
一方ゼロも戦いながら確実に全盛期に戻りつつあった。そうしなければ一瞬で殺されてしまうからだ。体に刻まれていく傷の数だけ、心が削がれていく。
だんだんと怖くなってくるフェンリー。ゼロの目付きがみるみるうちに変わっていく。初めて会った時よりも鋭く、黒く、虚ろになっていく。
「ゼロ……」
届くはずのない言葉が口から溢れる。
ゼロの残りの弾は一発。これを外せば命はないだろう。攻撃を避けながら最善のタイミングを計る。
狙いを定めるのにアーノルトの服は非常にやりにくい。サナギのように全身をマントで覆っており、どこが体の中心点か非常に判断しづらい。今まで放った弾丸が命中しているかさえわからない。アーノルトの動きが衰えていないことから、おそらくかすりもしていないのだろう。
ゼロは攻撃を誘う。クナイで攻撃してくるアーノルト。それをわざと手で受け、アーノルトの拳をとらえる。そして銃をアーノルトの心臓の位置に押し当て、引き金を引く。が、聞こえてくるのはアーノルトの悲鳴ではなく、ただの金属音だった。
「グッ、さすがに効くな」
アーノルトはマントの下に着こんだ鎖帷子をちらつかせる。弾は心臓の前で止まっており、致命傷とは至らなかった。
弾をすべて使い果たしたゼロに残されていたのは死を受け入れることだけだった。
(ああ、ようやくこの時が来たか。やっと解放される)
「去らばだ。強敵よ」
アーノルトの無慈悲なる一撃がゼロを襲う。目を閉じるゼロ。
「ふっざけんな!!」
フェンリーが二人の間に割り込み、氷の盾でアーノルトの攻撃をガードする。
「なに諦めてやがる! 俺の仇は? みんなは? レイアはどうなるってんだ!」
だがフェンリーの氷の盾は、はまるで障子紙のようにいとも容易く突き破られてしまう。そして止まることないアーノルトの刃がフェンリーの肉体へと到達する。
「ぐはぁ!」
だが、肉を突き刺すアーノルトのクナイは心臓までは到達できなかった。フェンリー血が凝固し、それを止めたからだ。それだけではない。クナイを伝わりアーノルトの手へ、そして体へ血の氷が這っていく。返り血も徐々に凍りだし、アーノルトの体を蝕む。
身の危険を感じたアーノルトはすでに固まってしまったクナイから手を無理やり引き剥がし、洞窟の外へと逃れる。
「へっ! ざまあみろってんだ」
強がってはいるものの、フェンリーの傷は深く、その場に倒れ込んでしまう。そこでゼロはようやくこの男が一緒に旅をして来た仲間だということに気がついた。
「フェンリー!」
「へ、ようやくこっち向いたかよ」
息を切らしながら答えるフェンリー。少しの傷なら自身の力で凍らせて血を止めることができるのだが、疲労と痛みでうまく血を止めることができない。その間にフェンリーの命のもとはどんどん体外に流れていってしまう。
「くそ! くそ! 俺が諦めたばっかりにこんな! くそ! フェンリー!」
ゼロは何とかして血を止めようと服を引きちぎり、傷口に当てる。が、容赦なく血は流れていく。
「くそ! 何をやっているんだ俺は!」
「ゼロ!」
取り乱すゼロに最後の力を振り絞ってフェンリーが叫ぶ。
「お前しかいないんだ、アーノルトを倒せるのは! 敵に集中しろ! 目をそらすな! 俺のすべてをお前に託す! ……頼んだぞ」
「フェンリー?」
その時、フェンリーの鼓動とともにゼロの中の何が切れた。
シュー、とアーノルトを蝕んでいた氷が溶け始める。
「死んだか。少し奴を甘く見ていたな」
再度洞窟内に侵入しようとしたアーノルトを突然悪寒が襲う。
「な、なんだ!」
その正体はゼロだった。いや、正確にいえばゼロではない。
「ふうー。やっと出られたぜ! さてさて、俺の敵はどこかな?」
その表情は明らかにゼロのものではなかった。目はさらに鋭くつり上がり、口元には牙のようなものが生えている。
「リンもイシュタル様もぶっ殺されちまったが、俺はそう簡単にこの体を手放したりはしないぜ? ゼロォ」
ニヤリと笑うゼロだったもの。現れてしまったのだ。イシュタルによって植え付けられた人格の一つが。




