episode 159 「硬直」
「おい! まずいんじゃねぇか!? これじゃ逃げ場がねぇ!」
洞窟内に居ることに不安を感じるフェンリー。洞窟の外に飛び出そうとするが、ゼロがそれを止める。
「まて、これでいい。外に出れば狙い撃ちされる。仮に無事出られたとしてもやつの攻撃を察知するのは難しい。ここならやつは前方からしか襲ってこれない。故に、対処しやすい」
「お、おう」
ゼロの指示通り下がるフェンリー。
既にアーノルトの気配は消えており、本当に声が、殺気が感じられたのかと疑問に思う。
だが、確かにアーノルトはそこに居た。
時間が静かに経過する。鳥が静かに囀ずる。
(これだけ静かだというのに、刃を常に突き付けられているような感覚だ。気を抜けば、死すら気付かず死んでしまうだろうな)
心音が体の奥でこだまする。指先が震える。脳が危険信号を発し続けている。いつやって来るかもわからない恐怖と戦い続ける。
右側から冷気がやって来る。フェンリーも臨戦態勢を維持し続けているようだ。
「なぁ、いつまでこうしてればいいんだ? 緊張で腹痛くなってきたぜ」
フェンリーは直ぐに緊張の糸が切れてしまった。
「動くな、まばたきすらも命がけだぞ」
スッ
フェンリーと言葉を交わした一瞬だった。隙と呼ぶにはあまりにも刹那だったが、相手は世界最強の殺し屋、暗殺のアーノルトだ。
ゼロの首から血が流れる。避けられたのが奇跡的だった。あと一瞬でも反応が遅れたらゼロの頭は胴体から切り離されていただろう。そしてまたアーノルトの気配は消えた。
「おい! どうした!?」
フェンリーは驚いてゼロに声をかける。彼からしたら隣に居るゼロが突然首から血を流したようにしか見えなかったのだろう。アーノルトが洞窟内に侵入したことすら気づいていない。
アーノルトは洞窟のすぐそばの木の上に居た。
(今の攻撃を避けるとはな。落ちぶれたとはいえ、反射神経は健在か)
アーノルトは再び攻撃を加える準備を始める。フェンリーのことなど目にも入っていなかった。ただひたすらゼロを殺すことだけに頭を働かせる。
ゼロは久しぶりに冷や汗をかいていた。ここまでの差があるのかと、首の痛みが訴えかけてくる。隣で驚いているフェンリーの声は既に耳には入ってこなかった。
弾は六発。新しく弾をこめる隙は無いだろう。劇鉄をあげることすら難しいかもしれない。ゼロはこの時初めて自動拳銃に憧れを抱いた。だが今さらそんな事を考えてもしょうがない。意識は洞窟の入り口にのみ向けるべきだ。
手に汗がにじむ。拳銃がかつてないほどの重量を感じさせる。
「フェンリー、お前は防御に専念していろ。やつの狙いは俺のようだ」
今度は洞窟の入り口から目をそらさずにフェンリーに語りかけるゼロ。隙をつきにやって来るアーノルトを迎え撃つ作戦だ。しかしアーノルトは誘いに乗ってこない。
「ゼロ、弱くなったな。殺気が漏れているぞ」
アーノルトは木の上から微動だにしない。
時間だけが過ぎていく。既にアーノルトが現れてから半日は経過しただろう。ゼロの首の血は既に乾いている。あれからアーノルトが攻めてくる気配は無い。もしかしたらアーノルトはもういないのではないか? 精神をすり減らせるための作戦ではないのか? そんな考えがゼロの頭をよぎる。だがすぐに頭を切り替える。考え、隙ができてしまえばそれこそアーノルトの思う壺だ。
実際にアーノルトはその機会を狙って、じっと木の上でゼロたちの様子を伺っていた。そして半日たっても途切れないゼロの精神力に感服していた。獲物を仕留めるのにこれほどの時間を有したのは初めてだったからだ。無理やり攻めることもできる。だがそれをしてしまえば確実にこちらも手痛い一撃を浴びる、その確信があった。
ゼロたちとアーノルトが硬直状態に入った頃、ワルターたちは船の上だった。ニコルはようやく震えが止まり落ち着いたようだ。ワルターとオイゲンはゼロとフェンリーに申し訳なさを感じていても、それ以上に互いの大切な人の事が心配だった。
「大丈夫かな? ゼロたち」
「それを考えても仕方がない。早いところお嬢様たちの身の安全を確保し、戻るほかない」
何もできることがない船の上でただ時間を消費していく三人。そのもどかしさに耐えながらただひたすらに彼ら、彼女らの安全を祈る。




