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眠れるキツネは夜明に泣く  作者: ヒフミトーヤ
1/8

サワルナ、キケン

──俺好みの脚だと思った。


 小さく丸まった爪先、細い足首と少し筋肉質なふくらはぎ、それに続く締まった色っぽい太腿。


 ゆっくりと覗いた足元からシーツをめくり、次第に露わになっていくその脚を眺めているだけで、瑛海(えいみ)の下半身は熱くなり、じわじわと海綿体に血液が集まり出すのがわかった。


──だが、次の瞬間、予告なしのフリーフォールさながら、その興奮は急速に垂直落下した。


「ウオオオオーーーー!!」


 美しい脚の付け根には、美しいとは真逆の汚物が、自分と同じ男の証が付いていたのだ。


「なっ……なに?!」

 瑛海の野太い雄叫びに、美脚は跳ねるように飛び起きた。


 飛び起きた美脚の持ち主は全裸で、起き上がると同時にシーツが腰まで落ち、厚みのない胸板までもが露わになった。


 見なくてもいいとわかっていながら、瑛海はその胸板を脳裏に焼き付けれそうな勢いで凝視してしまい、五秒で後悔した。



──俺好みの脚の正体は……男だった。



 瑛海は脳回路が正常に作動していない状態で、なぜこんな事に自分は直面しているのかを、必死に考えた。



 昨夜、都内で対バンライブを終え、参加したバンドやスタッフ、友人たちで打ち上げをした。ファンの子も何人かいたと思う。その中のどこかにこの男は紛れ込んでいたのだろうか? 

 いたとして、なぜこの男と自分は一緒に、しかもお互い全裸の状態で、ベッドで朝を迎えたのか──。


「ダメだ……考えれば考えるほど吐きそうだ……」


 瑛海が絶望した声で小さく呟く中、全裸の男は細長い両腕を天井に向け、呑気に伸びをしていた。ムダ毛のない脇に思わず目が行き、瑛海は己の条件反射にまたも自分を殴りたくなった。



「名前……なんだっけ?」と、瑛海が低姿勢に問うと、男は「好きに呼んで?」と女性のように朗らかに笑う。


「いやー、そうじゃなくて、本当に聞いてるんですけどー」

 瑛海は奥歯を噛み締めながらも必死に笑みを作る。もちろん仕上がりは最高に引きつり倒しているわけだが。


「しゃあ、ノリって呼んで」

「……海苔?」

「おにぎりについてる海苔でも、貼るための糊でもないからね。矢に巨人の巨で、矩、ね」


 ノリ、と名乗る男は巨人という説明が全く不似合いな、青年と呼ぶにはまだまだ身体の線が細く、少年のように華奢だった。

 生粋の日本人顔の瑛海とは正反対に肌は白く、ほんのりピンク色の頬にアッシュブラウンの短髪とぱっちり二重の大きな瞳。高い鼻梁の下にはぷっくりとしたアヒル口の唇がついている──つまり、かなりの美少年だ──。


 こんなにも印象的な相手をなぜ自分は覚えていないのか、瑛海には至極難解だった。


「なんで俺は、君とココに寝てたのかなぁ? そして、ここはどこ?」

「忘れちゃったの? 昨夜ライブの打ち上げで、瑛海が俺のことお持ち帰りしたんだよ。あと、ここは俺の家ね」


 またもニッコリと可愛く微笑んでノリは首を傾げた。いや、可愛いけど可愛いくねーからな、と瑛海は謎の抵抗をする。

「うーん、全然思い出せないなぁ……ハハ……」


 瑛海がノリに合わせて作った笑顔は、無理があったらしく頬がビクビクと痙攣している。


「昨夜、瑛海がね、俺のこと可愛いね、可愛いねって……、家行っていい? ってしつこく言うから……」


 ノリが最後にモジモジと照れ出したので、瑛海は危うく再び絶叫しそうになった。

 男が恥じらっても何にも可愛くねーからな、と喉まで上がってきた罵声を必死に飲み込んで「そ、それで?」と、口の端を引き上げた。


「──まさか……本当に本当に、なんにも覚えてないの?」

 ノリはさっきまで赤らめていた頬からいきなり色を無くした。

 記憶がない自分に責任を全部振るのかと、瑛海は怪訝な顔のままノリと目が合う。


 だが、酒に酔ってノリを強引に誘ったのが自分なのだとしたら、記憶が抜けていようがどうしようが悪いのは全部自分ということになる。



 これはもう謝るしか方法はないのだろうと、瑛海はノリから気まずそうに視線を逸らす。

「──スミマセン……」

 何秒か沈黙があって、俯いていたノリはポソリと口を開いた。

「──俺……お風呂入ってくる……」

 そう言って、居た堪れない空気から逃げ去るように、ベッドからするりと抜け出した。



 一人部屋に残された瑛海は、その隙にばっくれてしまおうかとも思ったが、自分が誰なのかを知っている相手から逃げたところで意味がないなと思い直した。

 せめて待つ間に服だけでも着ようと、ベッドの下に転がっている自分の下着やらシャツやらを掻き集める。伸ばした手に不思議な感触のものが触れた。


「──かつら?」


 瑛海が拾い上げたのは女用のウィッグだった。それは茶髪のセミロングほどのもので、その色味と雰囲気にどこか既視感を覚えた。

 体を乗り出して周りを見回すと、他に落ちているのは黒レースのショーツにブラジャー、ひらひらしたミニスカートにオフショルダーのニット……どれも全て女物だ。


「知ってるぞ……この服……。昨日打ち上げにいたファンの女だ……」

 

 

 ライブの後、フロアで開いた昨夜の打ち上げの情景が、ようやく瑛海の脳裏に戻ってくる。

 メンバーや他のバンドの奴等と浴びるほどアルコールを煽って、大盛りあがりし、そこにはスタッフが声を掛けたファンたちも数人いた。




 その中に、短いスカートの裾から覗く太腿が細すぎず、太すぎず、脚フェチの瑛海にはたまらなく好みの脚をした女がいた。

 わざと隣に立たせて、肩を抱いたり腰に手を回したり、酒に酔った勢いで悪さばかりした。彼女は初め、照れて逃げていたものの、次第に瑛海を許して、輪から抜けてフロアの隅で何度も隠れてキスをした。



「──まさか、最後までしちゃったの?!」


 顔面蒼白で瑛海は黒レースのショーツを握り締める。

「してないから!」

 バスタオルを腰に巻いたノリがいつの間にか部屋の入り口で仁王立ちしていた。またも条件反射で、薄い胸板を見てしまう。


「じゃあ……、セ、セーフ……?」返す言葉はそれで間違っていなかったかと、瑛海は自信を持てずに最後は誤魔化すように笑った。

 だが、ノリの怪訝な表情からして、それは明らかに不正解だったようだ。


「すごい勢いで俺のこと押し倒しておいて……瑛海ってば寝ちゃったの! 全裸になって、チンコ丸出しで、俺の肩に頭乗せてぐーすか寝たの!」


 もう、その光景を想像するだけで瑛海は今にも嗚咽をあげて泣きそうだった。穴があったら入りたいとはこういう時に使うのかと無駄な応用も覚えた。


「──ごめん……」

 後ろ手でショーツをこっそり床に落とすと、瑛海は背を正して深く頭を下げた。


「……してもいいよ?」

「へっ?」

「お風呂入ってきたし、ちゃんと綺麗にしたよ!」

 どこを? 何を? いや、聞きたくないと、心の中で喚き散らして瑛海はかぶりを振る。

「いや、ダメだよっ大事にしないと! 会ったばかりの男に体を赦すなんてしちゃダメだ! 女……の子でなくても、人として、そう、人として!」我ながら名言が出たと瑛海の顔はドヤ顔だ。


「瑛海が言ったんだよ……俺のこと、可愛いって、好きだよって……何回もスカートの中に手入れて来たんだよ……」

 瑛海はその情景を余裕で想像できるが、恐ろし過ぎて敢えてしなかった。


「……スカート……そうだっ、スカートっ、お前なんで女装なんてしてたんだよ! さ、詐欺だろっ、こんな、女のフリして色仕掛けでっ!」

「瑛海が言ったんじゃん! 俺が女の格好のままだったらヤッちゃうって!」


「──へ?」


「俺のバイト先に呑みに来て、俺くらい可愛いかったらヤッちゃうって……女装してたら全然セーフだって」


「オ前……ノ、バイト先? 女、装……?」首の骨が折れるかと思うほどに傾げてみても瑛海は思い出せない。それに痺れを切らしたノリが強目に声を発した。


「男の娘バーだよ!」



 思い当たったのか、瑛海は頭の中で記憶が鮮明に弾け、目を見開いた。

──行った……。前にライブハウスのスタッフに二次会で連れて行かれた。瑛海はすでにベロベロの状態で……。確かに、好みの子が一人居た……。


「あの時の……子が……お前……?」

「今度ライブやるから見においでって……チケットくれたから行ったのに……。実際見たら、すごい格好良くて……俺もいいなって……思っ……」


 女メンタルみたいにノリはとうとう泣き出した。ペラペラの胸で、シクシクと顔に手を当て泣き出した。

 弱々しく泣いている姿を見ていると、瑛海の胸は次第に痛みだした。


 男であろうが女であろうが、ノリは瑛海が原因で傷付き、泣いているのだ──。


 どう対処して良いのかわからずに、瑛海はまだ少し湿ったアッシュブラウンの髪をそっと撫でた。

 驚いたノリが、大きく肩を揺らして瑛海を見上げる。


 目が合ったノリは可愛い顔をしていた。雨に濡れた子犬みたいに、瞳を潤ませてこちらを物欲しげにジッと見つめていた。


──キスして欲しいんだと思った。

 それで泣き止むならしても良いと、瑛海はノリの顎を指で軽く持ち上げ、そのまま唇を重ねようとする。

 だが、すぐに頬に激痛が走りそれは未遂に終わった。

「イッテェ!! なんで殴るんだよ!!」

「好きでもないのにそんな事しようとしないでよ!!」


──ノリの言うことは確かに正論だったが、空気っていうものがあるじゃないですかと、瑛海はイマイチ納得がいかない顔のまま、痛む頬を抑えた。


「──もう帰れ」


 それはノリが口にした言葉の中で一番強く、深く、そしてどことなく寂しげなものだった──。

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