彷徨うボトルシップが繋げし絆
時代は最早、体感が娯楽の主流となった。
他者の記憶を、我が事の様に追体験出来る『外部記憶再生装置』が開発されてから、娯楽コンテンツは綺麗な偶像達の舞踊や、華麗な歌の祭典から、強烈な体験が出来るアスリートや特殊な経験をしている者達の得難い経験こそが主流へと変わっていった。
―――だが逆に自身がそういった激しい仕事をしている俺からすると、一般人の普通の生活の記憶こそが貴重であったりするんだよなぁ。
今日もエリックは、電子の海の中に捧げられている記憶達の中を自動的にランダム再生する様にして、椅子に座ってのんびりしていた。手元にある珈琲を飲もうと手を伸ばした時、その手が彼の筋肉質の渇いた手から、思春期の女性の柔らかな優しい手に変わったことに気付いた。始まったのだ――追体験が。
俺は自分の先を行く友人たちに必死に手を伸ばす。前を行く彼ら彼女らは、この世にこれ以上楽しい事などないかの様に軽やかに笑いながら、さざ波の様に寄せては返し俺を……いや【私】を翻弄する。
『待ってよラウル』
『ここまでおいでクリス』
みんなに置いていかれるかもしれない恐怖。でも同時に、このいつまでも走っていけそうな自分の身体に喜びを感じている。私には、その先へ行くことが目的じゃない。今走っている事こそが目的で、楽しみなんだ。
『さぁ、もう到着するよ』
私は上がっていた息をそのまま飲み込んだ。宝石の様に光を反射する湖がそこで私たちを待っていた。我先に服を脱いで飛び込む。恥ずかしいという気持ちはない。そんなことよりも、ただ、この火照った身体をあの素敵な湖に浸す事が大事……。
ティーンエィジャーと思わしき女の子の、私小説の様な【記憶】だった。夏のひまわりの様な爽やかさが、静かにエリックを打ちのめしていた。
「こういうのが本当不意打ちだよな……」
あれから彼は日毎に彼女のデータを検索し、それを追体験した。彼女はよく泣き、笑い、そして日々にはいつも喜びが彩られていた。毎日の過酷な仕事の疲れも彼女の記憶は癒してくれていた。エリックにはそれが一つの清涼剤の様であり、それを日々楽しみに生きていた。
「ん? 警告?」
いつもの様に彼女のデータを追体験させてもらおうとした所、普段は付いていないタグが登録されていた。彼は特に気にせずにいつも通りにそれを再生し……打ちのめされた。あまりにも違う意味で。
彼女はどこかの開拓中の惑星の、開拓民の子供たちの一人であったらしい。普段は個人情報は分からない様に多数のロックがかかっていて、音声も顔も一部がぼやけていたり、全く違う顔に変更されていたりする。だのにこのデータでは普段は絶対に映らない記憶者の顔までもがしっかりと映っている。鏡や水面に映しても分からない顔が、今は暗い部屋のモニターに映った顔は鮮明に見えていた。
『私の記憶を楽しんで下さる方が少ない数ですが、いらっしゃるのを知っています。それに私はずっと励まされていました。一緒にこの惑星に来た子供たちは、少しずつ減っています。私も病魔に……』
胸の中に熱がある。熾火の様にそれは身体を温め続けてしまっている。
『こんな辺境の地。医療キットでも治せないものは、どうしようもありません。大人たちも次々に冷凍睡眠に入りました。私も……』
咳き込み、胃がせり上がり、自身の熱が体外に出る。同時に自分が弱く小さくなる様な気がする。
『いつも私を感じて下さった方。あなたのログから、あなたを私もいつも感じていました。宇宙の探検家だなんて、そんな素敵な職業。私も追体験じゃなくて、一緒に体験してみたかったです』
身体が痙攣する。視界が揺らぐ。でも、この気持ちを伝えないと後悔する。……きっとこの先なんて私には無いのだから。
『私にはこの星の座標も、救難信号の出し方も分かりません。もう私が最後の一人です。私が冷凍睡眠に入れば、活動出来る人間はこの星ではいなくなります……だから』
咳き込み、痙攣。モニターに爪を立てる様に必死に目線を合わせ、私は【俺は】、想いを必死に伝える。
『私にはこんな事を言っていいのか分かりません。だけど、ただ一言。会った事も顔も見えない。でも気持ちが、記憶から繋がったあなたを、私は愛しく思っています』
言い終えて私は私は横になる。自動でベッドの天蓋が覆い、冷凍睡眠の準備が進んでいく。最後にかすかにモニターに向けた顔はせめて笑顔に。口の動きだけかろうじて「ありがとう」と。
追体験は終わり、エリックは戦慄いていた。彼女……クリスも、俺を感じてくれていた。俺が日々、冒険家・探検家として、未知の星々を必死に旅した記憶を楽しんでくれた、感じてくれえいた。そして俺も気が付いていた。彼女と同じ想いだと。
「惑星探検家をなめるなよ。絶対に君を見付け出す」
俺はこぼれていた涙をぬぐうと、今までの追体験から感じた気候・太陽からの角度、沢山の[身体で感じた情報]から、必死に該当する星を探し始めた。諦めてたまるか。死なせてたまるか。
「直接会って、君の口からありがとうと言わせてやる」
――著名な惑星探検家であるエリック氏が、苦難の果てに未知の病原菌に犯された開拓民を星ごと全住民を助けたと一大センセーショナルを巻き起こした。その時に助けた一人が、後の彼の細君であるという事実は、付け加えねばならない情報だと諸君に述べておきたい――
ユニバーサルスペースジャーナル記事より抜粋