石榴〈前編〉
街路樹の枯れ葉が、涼しい風にさらわれていく秋の住宅地。
「おい、少しは目を逸らせ」
そんな住宅地の、あるアパートの駐車場の真ん中。囲むは捜査員の面々。
「綺麗に真ん中に落ちましたねぇ……」
その中で最も遺体を熱心に見るのは女性。その距離数十センチ。
「人の話を聞けよ、彼方。ガン見し過ぎだ。遺体さんに失礼だろ」
「……」
やっと振り返った彼方は、なぜか古谷を睨んでいる。
「やっと視線を外したと思えば……。なんだよ、言いたいことがあるなら言え」
「遺体さんとか…。言い方気持ち悪いです」
つい妹が最近見ているドラマの表現を使ってしまった。
「……」
「古谷さん、検死の結果を申し上げてもいいでしょうか?」
無言の空気を壊してくれたのは鑑識の関)さん。彼方が担当になると必ずこの人がやってくれるのは、彼方が話せる数少ない人だからである。
「お願いします」
古谷は関さんに救われた気分になりつつ、遺体を見る。
「殺されたのは女性です。身元は落ちていたカバンに入っていた免許証から、このアパートに住む石川花江さんだと思われます。飛び降りのようですが、不思議なことに、何か赤い実のようなものが遺体の上からかけられているようです」
「赤い実……。ありがとうございました」
古谷はお礼を言って、ちらりと彼方の方を見る。手に赤いものを持っていて、はめている白い手袋が少し赤く染まる。
「ああっ、彼方さんまた勝手にっ! 困りますよ!」
関さんが止めるが、彼方はただ一言。
「これ石榴の種ですよ」
あろうことか軽く手で潰している。ぐしゃり、赤い果肉がさらに手袋を染める。
「ああ、証拠品が……」
関さんが嘆くが、彼方は気にも留めない。苦笑いしつつ古谷は声をかける。
「すみません関さん。彼方、聞き込み行くぞ」
「一人で行ってきてください」
そう言って後ろを向く。
「お前なあ、どうせ人と話したくないだけだろ」
「……行けばいいんでしょう」
図星を指摘され諦めたように立ち上がると、早足でアパートへ向かう。今までの彼方なら何を言われても気にすることなく帰っていたので、古谷は少し驚く。
「あいつも少しは成長したのかな……」
ぽつり、古谷の心の声が出る。今まで共に事件を解決してきたが、彼方が聞き込みに行く姿を見るのは初めてである。
「そうですねえ、古谷さんのおかげですよ」
優しげな笑みで、関さんが隣に立つ。
「古谷さんっ! 早く聞き込み終わらせて帰りますよ!」
階段の一段目に足をかけた彼方が大きな声で呼ぶ。
「まだ一人は無理か」
古谷は小さく笑って彼方の元へ急ぐ。
◇◆◇
「って、またサボりかよ……」
会議室の中、古谷は隣の空いた席を見て、ため息をついた。
「古谷刑事、一応聞くが……、彼方はどうしたのかね?」
ふと、古谷は声を掛けられて立ち上がる。警視総監が古谷の前に立っていた。
「その……、いつものサボりみたいです」
「古谷君、君に迷惑をかけているのは理解しているが……。そろそろ、会議のたびに起こる私の胃痛を治めてくれないかね?」
痛そうにお腹を押さえる警視総監に、古谷は言う。
「……お言葉ですが遠山警視総監、彼方警部の元についてから、2年ほどになりますが、朝夕、私は毎日欠かさず胃薬を服用してきました」
実は最近、横暴さに慣れてきたのか、飲まなくなったことは伏せて言う。
「うむ……。いつもありがとう、古谷君」
それを聞いた警視総監は、お腹を押さえながら、労いの言葉を残し、席へ戻る。
「それでは会議を始める」
古谷が座りなおしたところで、開始を告げる司会者の声が会議室に響く。やはり彼方は古谷任せにするらしい。今頃、紅茶を飲んでいるだろう。
◇◆◇
「遅いです。何してたんですか」
会議が終わり、いつものように休憩室に行くと、案の定、ミルクティーの缶を2本も傍らに置いた彼方がベンチに座っていた。
「お前なあ……。会議に決まってるだろ?いい加減出ろよな」
ガコンッ。
文句を言いつつミルクティーとコーヒーを買い、彼方の隣へ座ると、ミルクティーを彼方に渡し、コーヒーを開けて一口飲む。
「嫌です。使命に燃える熱血人間が大量にいるじゃないですか」
彼方は3本目のミルクティーを開けつつ、きっぱりと言う。
「いや、お前も刑事なんだから少しはやる気出せよな……」
ため息をつきつつ、古谷も反論するが、
「あんなところに行ったら倒れちゃうじゃないですか」
引きこもり属性全開の彼方の言葉に呆れる。
「そこまで重症だったのか……。なら少しは人見知りが治るように努力しろよ」
「してますよ、毎朝歩いて通勤してます」
「それは当然の事だ」
「5分も掛かるんですよ?」
彼方は威張って言う。
「十分近いだろ。普通は5分しか掛からないって言うんだよ。俺なんか毎朝通勤ラッシュの電車に揺られて来るんだぞ」
「うっ……。そ、それより、さっさと事件の報告してください」
分が悪くなったと気付き、彼方は突然話題を変える。
「はいはい……、被害者はアパートに住む石川花江さん、二十三歳。職業は銀行員。真面目でトラブルを起こすような人でもなく、そんな相手も見当たらないそうだ。それと、今回の事件の前に起きていた3件の事件にも、同じように現場に石榴が落ちていたらしい」
「ふーん……」
そう言ってミルクティーを少し飲むと、考え込むように黙る。
「で、犯人分かるか?」
そんな彼方に、古谷はいつものように問いかけてみる。
「古谷さんはすぐに聞いてきますね。少しは自分で考えてくださいよ」
「いや、考えるよりも体を動かす方が性に合ってるんだよ。刑事は足を使うものだろ?」
ぽん、と軽く足を叩きつつ言う。
「流石は下僕属性ですね」
「どうしてそんな解釈になるんだよ」
「妹さんとか……」
「ぐっ……。だってあいつ逆らうと倍返ししてくるんだ」
「相変わらず情けないですね」
ぐさり、先程の仕返しとばかりに止めの言葉を刺して、美味しそうにミルクティーを飲み干し、立ち上がる。
「では、お望み通り足を使ってきてください」
古谷へ振り返ってにこりと笑い、そう言うのだった。
◇◆◇
石榴は不吉の象徴だと思う。小さい頃から、実家の庭に観賞用の石榴があった。赤い大きなその実は、秋になると裂け、中から赤い種子を零す。別に液体ではないのに、その赤色が、血に見えて仕方なかった。そんな風に思ったのはきっと、飼っていた白猫がその木の下で死んだからだろう。秋の枯れ葉が敷き詰められた庭で、眠っているかのように死んでいた白猫の上に、赤い石榴の種子が零れ、まるで血のように見えたのだ。そして同時に、綺麗だと思ったのだ。白猫の白い体から溢れているかのような、鮮やかで赤い粒達が。
もう一度、見られるだろうか。
◇◆◇
外では、昨日の夜から降っている雨が、朝になっても降り続いている。しかも、一番濡れてしまう小雨である。
「はあ、雨の中を来る人は大変そうですね」
彼方は、ごろごろと猫のようにソファに転がりつつ、3件分の事件の資料を読んでいた。古谷は、向かいのソファに座り、携帯ゲームをやめて、コーヒーを飲んでいた。部屋の中には、彼方と古谷以外に姿はないが、それもそのはず、ここは彼方専用の仕事部屋なのである。
「お前もこの雨の中出勤して来たんだろうが」
「いえ、私は昨日ここに泊まったので」
「おい、朝から呼び出しといて自分は濡れてないのかよ」
「だって帰ろうとしたらちょうど雨が降ってきたので。それにどうせ昨日のうちに調査も終わらせただろうなと思いまして」
「まあ、確かに調査して来たよ。どうだ、なにか分かりそうか?」
「ええ、でもまだ引っかかることがあります。頼んだことは調べてくれましたか?」
読み終わったのか、資料を机に放り、こちらを向いて座る。
「おう、資料集めのついでに聞き込みもちゃんとしてきたぞ」
「どうでしたか?」
「怪しそうな奴はいなかったぞ。それに、庭に石榴を植えている奴もいなかった」
「そうですか……。とりあえず聞き込みの時の様子を詳しく聞かせてください」
「まずは1件目の被害者、糸川徹の関係者の所に行ってきた。資料にも載っていた通り、二十八歳無職の男性で、一人暮らし。結婚歴もなく、彼女もいない。ただ、たまにセキュリティ関係の仕事を請け負っていたようだ。今回は隣の部屋の女性に話を聞いてきたが、余り人付き合いのある奴じゃなかったようで、事件の前日に出かけてるのを見かけたという事しか聞けなかった。だが、他の二件目と三件目の時にも同じような人付き合いがない奴らで、事件の前日に出かけていくのが目撃されている」
一気に話して疲れたので、一口、コーヒーを飲む。
「前日に出かけていた……。三人はどこに行っていたのでしょうか」
「それさえ分かれば進展すると思うが……。残念なことに何も分かっていない」
「少し整理してみます。古谷さん、黙って紅茶を淹れてください。出来る頃には……全て解決しましょう」
「おう、美味しいの淹れてやるよ」
古谷はお湯を沸かしに去っていき、彼方は聞き込みの時のことを思い返すのだった。
◇◆◇
「まさか帰ってきて遺体に遭遇するなんて思ってもいませんでした。面識もなかったので、住んでいたなんて思いませんでした」
古谷と彼方がまず話を聞いたのは第一発見者の女性。午前4時頃に、仕事から帰ってきて車から降りると、目の前に遺体があったという。
「私怖くなっちゃって……。車に戻って鍵を閉めて、すぐに通報しました」
青白い顔で語る女性にお礼を言って、次に大家さんに話を聞く。
「花江さんと仲がいい人なんていないと思うわ。それくらい姿を見ない人でねえ……。家賃を滞納したりもしてなかったし、見かけるのは朝、仕事で6時頃に出かけていくのを見るくらいだったわ」
「そうですか……」
手がかりは無さそうで、古谷は思わず落胆する。彼方は聞いているのかいないのか、後ろに引っ込んだまま、口を開かない。
「あっ。でもそういえば、最近機嫌が悪いようだったわ」
「機嫌……ですか?」
「ええ、見かけるのはいつも朝だったのだけれど……。険しい顔で考え込んでいたり、電話口で言い争っていたりしていたわ。声までは聞こえなかったし、これ以上は何も知らないわ。ごめんなさいね」
「いえ、貴重な情報、ありがとうございました」
すぐに通話履歴を洗おうと、2人は署に戻るのだった。
◇◆◇
「出来たぞ。妹のおすすめ茶葉で淹れた、アールグレイティーだ」
ふわりと香る紅茶を、一口飲むと、彼方は口を開く。
「……古谷さん、被害者全員の通話履歴を調べてきてください」
「了解」
古谷は張り切って部屋を出ていく。
「ん、美味しい……。流石は花乃ちゃん」
残された彼方は、満足そうに紅茶を飲む。
「彼方いるか?」
突然、部屋にやってきたのは彼方の父である。
「仕事は終わったんですか?」
言いながら、彼方は猫が毛を逆立てるかのように睨み付ける。
「いや……。少し休憩中でな、それでその……。いい加減会議に出てくれないか?」
バツが悪そうな顔で言ってみるものの。
「嫌です」
圧力を伴うその声は、決意の固さが伺える。
「彼方!これ全員が……。そ、総監っ! 」
そんな中、古谷が履歴のコピーを手にして戻ってくると、部屋に彼方の父、警視総監を見つけ、慌てて敬礼する。
「ああ……。古谷君。捜査の調子はどうだね?」
父い親のような雰囲気だった総監は、我に返ったように古谷に聞き返した。
「もうすぐ解決します」
自信満々で言うが、もちろん解決するのは彼方である。
「それは良かった。私はこれで失礼するよ」
「はい」
敬礼したまま総監を見送ると、ふと、総監が彼方の方に振り返って尋ねる。
「彼方……。今以上を望んではいけないかね?」
「あなたと契約したときに言ったはずです。条件を変えるおつもりですか?」
「いや、ならいいんだ」
そう言って少ししょんぼりした総監の背を、二人の事情を知らない古谷は見送るしかなかった。
◇◆◇
自殺者は街に溢れている。だから材料を探すことに時間は掛からなかった。ただ飛び降りとかより、ユリの花に囲まれて死にたいだとか、睡眠薬で死にたいだとか言う奴らが多くて、そういう奴らを飛び降りるように誘導する方が大変だった。
……まだ、見つかるわけにはいかない。
「もっと見たいねぇ……」
呟きながら、そいつは人ごみに紛れていった。
部誌に載せたものを修整したものです。今回は前後編でお送りする予定です。後編はまた来週〜!