其の四
ジリリリリリ
なんだっけ、アブラゼミ?がうるさい。
家の中まで、響いてきやがる。
今日も、相変わらず蒸し暑い。
「今日も真夏日が続き…」
点けっ放しのテレビからは、そんなアナウンスが聞こえる。
今さら消しに戻るのも面倒だ。もういいや。
「フーッ、と。」
アパートのドアを開けたとたんに、熱気が纏わり付いてくる。
ため息の一つでも、つきたくなるってもんだ。せっかく、風呂に入ってスッキリしたっていうのにな。
ただ立っているだけでも、汗ばんでくる。
タオル片手に、日陰をたどりながら、いつもの牛丼屋を目指す。
原チャリが壊れているから、歩きなのはどうしようもない。
真夏日の昼の常として、陽は高く、風はぬるい。
歩みも遅くなるってもんだ。
この暑さ、もう勘弁してくれ。
胸ポケットにねじ込んだ、新書サイズの日本史の概説書を取り出して、団扇代わりにする。
本は、暑さもあいまって、ふにゃふにゃだ。
扇いだところで、、ちっとも涼しくなりやしない。気休め。
うだるような暑さとは、まさにこの事。
「そっちは、どんなんなんだ?」
少しでも気を紛わそうと、
「彼」に話を振ってみる。
…返事がない。
「おーい」
あれやこれと言葉をかけたり、暫く待ってみたりするが、
「彼」は黙ったまま。
居て欲しい時に限って、居やしない。ったく。
「冷し中華大盛りで!」冷房の効いた牛丼屋で、夏限定の冷し中華を頼む。
今日みたいな暑い日には、ホカホカの牛丼は遠慮しときたい。
ふにゃふにゃの概説書をポケットから取り出して、しおりを挟んで置いたページから、また読みはじめた。
「えーと、なになに、国風文化とはいうが、実際は唐の文化が…」
「そうですそうです!」
おや、今頃か。
「なんだかんだいって、皆さん唐土の物が大好きだったんですよ〜」
「ほ〜、なるほど。」
「彼」の声と、本の記述の整合性に、思わず感心する。一呼吸おいて、俺は続ける。
「んで、なんでさっき呼んだ時には出て来なかったんだ?」
「さっきって、いつです?私を呼びました?」
「この店に入る前だ。覚えてないのか?」
「ん〜、全然覚えてませんね。暑さにやられちゃったんじゃないですか?くすくす」
そういって、
「彼」は、まるで子供のように笑う。
なにやら腹がたつが、どうやら呼んだ事を知らないのは、本当のようだ。
「あーもういいわ。忘れてくれ」
「なんですか〜?気になっちゃうじゃないですか〜、ねえねえ」
こいつ、こんな奴だったのか。
うっとうしいので、軽く流す。
「なんでもないから、もう黙ってろ」
「…人の事呼んどいて、すんすん」
泣く振りをしてやがる。どうやら拗ねてしまったようだ。
いい加減面倒臭くなったので、ほっとくことにした。
「すんすん…」
チラリ
「彼」の姿は見えないが、嘘泣きしつつ、こっちを見てる気配がする。
「すんすん…」
チラリ
無視、無視。
そうこうしているうちに、注文しておいた、冷し中華が来たので、本を閉じる。
とたんに、
「彼」の気配も、嘘泣きの声も消えてしまった。
「おーい」
怒らせてしまったかな。
いくら面倒臭かったとはいえ、ちょっとやりすぎたかな。
少し反省。
中学校の時にも、似た事をやってしまったのを思い出す。
「…ま、とりあえずは飯だ、飯。うんうん、夏はやっぱ冷し中華だな」
暑さで食欲の減退した体には、ちょうどいい。
ほどよいレモンの酸味が、また食欲をそそり、音をたてながら、すする。
美味さに魅了されてるとはいえ、お茶を飲む時など箸が止まった時には、やっぱり
「彼」のことが気になるわけで。
「急に消えちまって。なんか条件でもあるんかな?」
混雑してきた店内を見やりながら、考える。
店員さんが慌だしく、オーダーを取ったり、会計をしている。
「…おおっと、汁がこぼれちまう」
やっぱり、食事中に別の事を考えるのはよくないな。
…難しいことは棚上げにして、まずは、腹を満たす事にした。