その1
そして再び挑戦の日を迎えていた。
何度も通ったリンボー出版、その編集部。恭子さんは俺の渾身の原稿を黙ってじいっと読み続けている。
こういう時間は本当につらいものだ。針のむしろに正座させられているというか、真綿で首を絞められているというか、とてつもなく息苦しくはてしなく気の遠い瞬間。いたたまれない俺は椅子に座ったままうつむいて自分の膝頭をずっと見つめていた。
「これは……傑作じゃない!」
うつむく俺の頭の上に、予期せぬ絶賛の声が降ってきた。一瞬何を言われたのか理解出来ないくらいだった。
ついに俺の作品が認められたのだ。そのことに気づくと俺は満面の笑みを浮かべて顔をあげた。
「ほ、本当ですか?!」
「ええ、このあたしが言うんだから間違いありませんよ!」
「あ……あれ?」
原稿を手に力強くそう答えてくれたのは、恭子さんと思いきやミライちゃんだった。
不可解な出来事に呆気に取られていると、後ろから不意にぽんと肩を叩かれる。
「やったじゃないか。君には見どころがあると前々から思ってましたよ!」
振り返ると編集長かと思いきやこれまたミライちゃんだった。気がつけばオフィスいっぱいに無数のミライちゃんがいて、口々に祝福の言葉を投げかけてくるのだった。
「おめでとう、連載も近いね!」
「そのうちファンクラブも出来ますよ!」
「待ってまって、その前にとにかく記者会見やんなきゃ!」
様々に景気の良いことを口走るミライちゃん、たち。俺は気味が悪くなってオフィスを飛び出すと、廊下の窓の外にはおびただしい数のミライちゃんが待ち構えていた。
「先生、駒田先生!」
「応援していますよ、先生!」
「キャーキャー、こっち向いて先生ってば!」
なんてこった。どっちを向いてもミライ、どこまで行ってもミライじゃないか!
「先生、おはようございます!」
「うわあッ!!」
大声に驚いて飛び起きるとそこは俺の部屋、そして寝床の上だった。
そうかやはり夢だったか。夢じゃなきゃあんな突拍子もない事態は起きないよな……と、安心しかけてまた少し青ざめた。
起こってるよ突拍子もない事態が現実に!このクソ狭い六畳間に百年後の未来からやってきた女子高生がひとり。しかも居候。寝ても覚めても夢見心地か。やけにふわふわとして現実味がないけれど、認めなければなるまい。これが現実だ。
「いつまでボーっとしてるんですか。早くしないと朝ごはん冷めちゃいますよ!」
「あ、ああ。すまん」
俺は言われるままに床を出ると卓に就き、出来たての朝食をいただくことにした。
ほかほかの白ご飯にほうれん草のみそ汁、そして納豆と塩サバ。これ以上望むべくもないほどのご馳走朝ごはんである。だが少し贅沢すぎる気もしないでもない。
「塩サバ、こんなにデカイの要らないよ」
「そうですか?」
「そうだよ納豆だけでご飯2杯はいけるじゃん。サバだけで食べてたら塩っ辛すぎて持て余すし」
「じゃあご納豆で2杯食べたあとにサバで1杯食べたらいいじゃないですか」
「朝から3杯も食わないよ。時間も無いしさあ」
「時間? なんのですか?」
と、問われた次の瞬間に思い出して思わず立ち上がった。そして携帯電話を手にとって確かめながら慌てて身支度を整えはじめる。
「先生?」
「もう9時すぎじゃないか。早くバイトいかなきゃ!」
そう説明しながら部屋を出て行こうとする俺に、ミライちゃんはあっけらかんと声をかけてきた。
「あ、それなら断っておきましたよ」
「なっ!」
思わずドアに頭をぶつけてしまった。激痛の走る額をさすりながら、俺は思わず声を荒げてしまう。
「ななな、なんですってえ!?」
「先生にはしばらく作家活動に専念してもらおうと思いまして」
「それが出来てりゃバイトなんかしてねえよ! バイトのチーフなんて言ってた?」
「"好きにしろ"って熱い激励の言葉をいただきました!」
「うん、それたぶん激励じゃないと思う」
俺はあきらめて食卓に戻ると食事の続きをおこなった。
「だーいじょうぶですって、ヒット作の1本も書ければ一攫千金、一発逆転、一撃離脱じゃないですか!」
「離脱しちゃダメだろ」
俺はため息をついた。バイト先に見捨てられ、恭子さんに見放され、この狭い6畳間はいよいよもって閉塞感を増してきたかに思えてくる。
「そんな簡単に言うけどね、お話のアイデアなんてそうそう浮かぶわけじゃないんだよ、昨日だってダメ出しされたばっかだし……」
「だから"萌え"の研究をですね」
「ああ、あれはもういい。十分に分かった!」
「そうですか」
「そうだよ。うん、うん」
危なかった。あやうくまたまたおまわりさんのお世話になるところだった。
もちろんこの子の熱意はビシバシと伝わってくる。伝わってくるのだが、それがゆえにおっかないところも多々あるのだ。さながらものすごい勢いでスピンする特大のねずみ花火というか。見ているこっちがドキドキして目が離せないというか。
もちろん、恋というのとはちょっと違う。
「うん。萌えも理解されたということならば、あとはマーケティングですね」
「マーケティング?」
「そです。消費者の需要を把握するために市場の動向を正確に分析する行為のことですよ」
「……あれ、まともなことを言ってる?」
「今ちょっとあたしへの評価の片鱗が見えた気がしましたが……プロでやってく以上そういう努力って必要だと思うんです」
「たしかにその通りだな。敵を知り己を知れば百戦百勝脚とも言うしな」
「後半なんかちょっと違う気もしますけど、まあいいです。ご飯食べ終わったらさっそくお出かけしましょう!」
「うむ、分かった。ところでミライちゃん」
「なんですか?」
「塩サバはやっぱ余計だったよ」
「お昼か晩ご飯にとっといてください」
自分から出かけようと言ったわりに、ミライちゃんの出発の準備には結構な時間を要した。
女性の支度は念入りだとは聞いていたけど、その慎重さを目の当たりにするにあたかも戦場に向かう荒武者のようであった。
例の変身スティックを何度も何度も振りかざしてはあれこれと衣装替えをおこない、その度に「似合いますか?」とか「イケてますか?」とか彼女は聞いてきた。最初のうちは俺も比較的真面目に答えていたが、そのうちにだんだんとどうでもよくなってきた。イケてるかとかどうとかそんなオシャレセンスがあったら今頃こんな生活はしてないという話だ。
忍者なら鎖かたびら草鞋ばき、番長ならば学ランに下駄ばき。最低限その程度分かっていればお話は創れる。そういう態度が表に出てしまっていたのか、ミライちゃんはとりあえずファッション誌の一冊も欲しいところですねとため息をついた。
そんなこんなで俺たちは一路書店を目指した。
「ワクワクしますねえ」
道すがらミライちゃんは終始笑顔を浮かべていた。
「あたし、本屋さんに行くのってはじめてなんですよ」
「はじめて? そんな田舎に住んでんの?」
「逆に田舎に行けば店舗跡くらいは見れるかもしれません」
「……どういうこと?」
「書籍の電子化が進んでて、紙媒体の流通がほとんど無くなってますから。それも通販で買えちゃったりしますしね」
「なるほど、そういうことか……」




